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Like A Broken Mirror  作者: 勾田翔
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2(二月六日――午前七時四分~午前七時一八分)


   2(二月六日――午前七時四分~午前七時一八分)


 意識という風景に霧がかかったようだ。視界がはっきりとしない。まばらな白が行く手を阻む。足を踏み出せば、すぐにでも見えない崖から転落してしまいそ――


「――くだらねえコト考えてないで、さっさと起きんかいッ!」


 超至近距離から響いた怒声で、一気に霧が晴れた。強烈な耳鳴りと共に意識が覚醒する。

 久郷は顔をしかめながら、気だるそうに身体を起こした。眼の前に広がる景色は、一面白の床や壁。大きな窓からは、薄い陽光が差し込んでいる。

 すぐに、ここが病室だと理解した。

「よーやく目が覚めた? このダメジジィ」

「……葛城(くずしろ)か……」

 久郷の視線の先――彼の横たわっていたベッドの右横に、小さな丸椅子に腰掛けた『同業者』の少女がいた。服装はピンクのワイシャツに赤色のネクタイ、その上から黒のカーディガンを着ており、下はグレーのチェックのスカート。くせっ毛混じりのセミロングの茶髪の下からは、綺麗に化粧が施された、大人びた表情が覗いている。全体的に華やかな印象の少女だった。

「俺は……」言葉を濁す。記憶が混濁していた。意識を失うまでの記憶がかなり曖昧だった。しかし、ただひとつだけ、鮮明に脳裏に焼きついた光景があった。

 自分の右手に視線を落とす。やはり、『無かった』。太いギプスが取りつけられた右腕は肘の辺りから、姿を消していた。手首の関節の感覚も、指の関節の感覚も、その一切が存在しなくなっていた。動く左手で、自分の顔――左眼に触れる。厚いガーゼ越しにも分かる。すでに眼球はなかった。

 当然の事ながら、夢などではなかった。

 あの夜の出来事は、紛れもない真実だったのだ。暗殺の失敗。そして、標的に返り討ちにされた事。そして、自分の身体を失った事。その全てが、疑いようのない現実。

「殺し屋としては終わったね、アンタ」少女――葛城がそっけなく言った。彼女は自分の髪を軽く弄りながら。「匿名で連絡あって、戻ってきたと思ったら、このザマ。意識取り戻すのに丸二日かかったとはいえ、そのゴキブリみたいな生命力には率直に感心するけどね」

「匿名だと?」久郷が眉をひそめる。

「そ、どこの誰かは知らないけど、死にかけてたアンタを見つけて救急車呼んでくれたみたいよ。偶然、電話に出たのが、『こっち』の業界に通じてるヤツみたいだったから、表沙汰にはならなかったわ。そうじゃなきゃ、アンタ今頃、大量の刑事にでも包囲されてるわよ。良かったわね、眼が覚めた時にいたのが、美人女子高生で」

「自分で勝手に自覚している奴を本物の美人とは言わない」

「今度こそ地獄に落ちる?」

 感情のこもっていない声で、葛城が不意にワイシャツの胸ポケットから取り出したシャープペンシルを突きつけてくる。無論、それがただの文房具ではなく、そういう外装を施された銃器だという事は分かっていた。

「弾の無駄遣いはするものじゃないぞ」怯える素振りもなく、久郷が淡白な調子で言う。

 そんな彼の態度を見て、葛城は小さく溜息をついた。

「冗談の通じない男ね」毒気を抜かれたように、呆れ果てた表情になる葛城。シャーペンを胸ポケットに引っ込めると、今度はそこから一枚の紙切れを取り出した。

 久郷が目を細める。「それはなんだ?」

「誓約書」一言で片づけると、葛城が紙を手渡してくる。そして、久郷が文面に眼を通す前にその内容を言った。「やる事はかーんたん、今まで通り『仕事』を続けていきたいのなら、それにサインすればいいだけ」

「どういう事だ?」久郷は紙から眼をそらし、彼女に尋ねる。いちいち長ったらしい文を読むより、知っている者に直接訊いた方が早い。

「眼はただのガラス球突っ込むだけだけど、そっちの腕は何とかなるって事」葛城は適当な調子で、「なんか最近になって、実用化レベルまで開発が進んだ『可動義肢』があるらしくてね」と言った。「言ってしまえばそれの『実験台』を探してるみたいなの。腕とかなくなった患者に試験的に義手を装着させて、データを取るんだって。ま、患者側が負担する費用が通常の半分以下とはいえ、とんでもない値段である事に変わりはないからね。必然的に金持ちしか受けられなくなってるの」

 紙に記されていた手術費用を見てみると、確かにそこには法外な金額が載っていた。

 だが。

「払えないほどじゃないでしょ? アンタなら」

「あぁ、財産の八割でなんとかなる」

「金入っても全く使わない貧乏体質に救われたわね」

「毎回、報酬の半分はお前に貸しているせいで、贅沢ができないというのもあるのだがな。……ところで、俺からお前への借金がそろそろ三桁に到達しようとしているんだが、いつ返すつもりなんだ?」

「今より稼げるようになったらそのうち」葛城は軽くあしらい、その話題を闇に葬り去る。彼女は小さく鼻を鳴らして、久郷の方を見やる。「どうせ受けるんでしょ? その手術」

「ああ、俺には『殺し屋(これ)』しかないからな」

「私としては商売敵が減る方がありがたかったんだけど、ま、分かりきってた事か」葛城は呆れ声を洩らしながら、ブレザーの上着を片手に立ち上がる。「じゃーね、私そろそろ学校だから。次会った時、アンタがどうなってるか見ものだわ」

 毒づきながら、ドアに向かって歩き出していく葛城。久郷は彼女の背中を見ながら、気になっていた事を尋ねてみた。

「ところで、この件にほぼ無関係のお前が何でここにいる? ……というより、どこで俺がやられた事を知ったんだ?」

「簡単な話。無様にやられたアンタを一目、見るため。やられた件については刈谷(かりや)に聞いた」それだけ言うと、今度こそ彼女は病室から出て行く。

 会話のなくなった室内で、久郷の頭上にあった点滴のパックからポトリと薬液の滴る音がした。

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