14(二月七日――午後五時一分~午後五時二七分)
14(二月七日――午後五時一分~午後五時二七分)
「痛ッてえな……!」武田は苦痛と苛立ちの混ざった声色で、吐き捨てるように言った。「これだから近頃の若い奴らはよ……! 年寄りは大切にしろってママから教わらなかったのかあ?」
「あいにくとそんな事は教えてもらわなかったし、第一、年寄りって言うにはまだ早いんじゃないの? アンタ」
武田の前方から、高く透き通るような声が飛んでくる。その先にいたのは、ピンクのワイシャツと黒のカーディガンの上からブレザーを羽織った、高校生くらいの少女だった。
くせっ毛混じりのセミロングの髪の毛は、明るい茶色に染められていて、いわゆる現代風(?)なメイクの施された顔は整ってこそいるが、どこか人を寄せつけないような不敵な笑みが張りついていた。
夜の街で、今まで散々捕まえてきた生意気なガキ共の外見と通ずるものが、この少女にも見受けられるが……そんな虚構で着飾っただけの者達とは、明らかに違う『何か』を彼女は振り撒いていた。
事実、この少女は普通ではない。そんな枠組みからは大きく外れた存在だった。
「ちぇっ、さすがに堅物の警察官だけあるわね……直前で私がネコ被ってるのバレちゃったかあ……」つまらなそうに肩を落とす少女。
――事の発端は、ついさっきだ。ワインレッドのジャケットの男を取り逃がしたあと、笠峰と合流しようと元来た道を引き返していた時だった。
武田の前にこの少女が現れ、適当な話を持ちかけて武田に近づいてきたのだ。昔、麻薬摘発ために潜入捜査したキャバクラにいたキャバ嬢共みたいな話し方だった。その時点で頭の血管が破裂しそうな苛立ちに苛まれ、それを耐えるためにじっとしていた武田だったが、少女の方はその様子を『油断している』と解釈したらしい。直後に、人間を射殺するための凶器が武田の眉間に伸び、引き金が引かれたのだ。
そして今に至る。
少女の勘違いがなければ、左肩の負傷だけでは済まなかったかもしれない。
武田は赤黒い穴の開いた左肩を押さえながら、「たっくよお……」と悔しさを滲ませた声で呟いた。「見た目の印象がアテにならねえ事くらい、あの夜に嫌ってほど思い知らされたはずなんだがな……」
武田の正面に佇む、不良少女の手には一本のシャープペンシルが握られていた。
その先端は地面に転がり、ただの円柱状の筒になったシャーペンからは――白い硝煙があがっていた。
そう。
武田を撃ち抜いた凶器の正体は、これだ。
少女の持つ、何の変哲もない文房具から九ミリ弾が発射され、武田の左肩を貫いたのだ。
「全く……この国はどうなってんだ?」武田は忌々しそうに吐き捨てる。「意味の分かんねえ『力』を振るうイカレ銀髪野郎に、拳銃持ったアクロバット男……しまいにはテメエみたいなガキまで、そんなものを持っていやがるとはな……」
「所詮、アンタはこの世界の事を何も知らない『一般人』って事よ」
「ハッ! 言ってくれるじゃねえか、このクソガキが」
武田は、追い詰められながらも口許の凶暴な笑みを崩さない。どいつもこいつも舐めたマネしやがって……! 俺の前でこれ以上、悪事を働けると思うな。
武田はコートの内側に手を伸ばす。「悪いが、千条神羅の野郎を叩き潰すまでは……くたばってやる訳にはいかねえんだ」回転式拳銃を取り出すと、その銃口を一直線に少女へ向ける。周囲に他の人間はいない。派手に拳銃をぶッ放そうが、民間人に目撃される心配はないだろう。「邪魔する奴は片っ端から薙ぎ払ってやる。タイミング的に考えて、松坂の差し金だろう。容赦する理由なんて、これっぽっちだってねえからな」
「アンタの都合なんて知ったこっちゃないけど」少女は武田の言い分など、ゴミクズ程度の興味もないといった調子で、「私の仕事は、アンタをこの世界から永遠に追放する事」と言った。「アンタが存在している事を許さないヤツがいるからね」
「へッ、胆の小せえ野郎だ、松坂め……。自分が表に出てくんのが怖いからって、こんなガキたぶらかして送りこんできやがるとはな……!」
「……ていうかさ……」
「あん?」
不意に少女がこぼした、押し殺したような声に、武田は怪訝そうに眉をひそめる。
次の瞬間だった。
「アンタさっきからガキガキうッさいのよ――――――――――ッッッッッッッ!!!」
「あ……?」間の抜けた声を洩らす武田。
武田を指差し、顔を紅潮させた少女が、耳が痛くなるほどの甲高い声で叫ぶ。
先刻までの落ち着いた様子はどこに行ったのか、少女は武田を指差している方とは逆の腕を、扇風機みたいにぶんぶんと振る。彼女は動物みたいな唸り声を洩らしながら、武田を睨みつけて、「いい!? 私・じゅ・う・な・な・さ・い!」と一語一語区切るように、はっきりと口にする。「もう十分オトナよ! 親の助けなんかなくても生きられるし、自分の事は自分でできる! 自分の仕事だって持ってる! アンタみたいな男に子供扱いされる覚えなんて――」
「ガハハハハハハッッッ!」武田は少女の言葉を遮るように、豪快な笑い声をあげた。
「な、何よ!? 殺されそうになっておいて、何をバカみたいに笑ってんのよ!?」
「バカはテメエだよ、嬢ちゃん」武田は噛み締めた前歯をギラつかせながら言う。「何が『十分オトナ』だよ? バカバカしい。いっぱしの大人ってのは、そんなみみっちい事じゃ、いちいち取り乱さねえよ」
「うッ……」
「それにな、テメエは何も分かってねえよ」武田が表情を変える。その顔に先刻までの笑みはない。その瞳には突き刺すような威圧感があった。「自分は誰にも頼らず一人で生きてるって過信してる時点で、テメエはまだお子様だ。人間ってなあ、一人じゃ絶対生きていけねえ生き物なんだ。親の助けを必要としてなかろうが、身の回りの事を自分でこなせようが、その歳で仕事があろうが――そんなモンは関係ねえよ」
武田は改めて、回転式拳銃の銃口を少女に向ける。
「今、テメエが学校に行けてんのは誰のおかげだ? 親とはいかなくても、テメエの保護者がいるからだろ? 自分の事を自分でできるのは誰のおかげだ? どっかの誰かが、それをやりやすいように、環境を整えてくれてるからだろ? 仕事があってそれを全うできてんのは誰のおかげだ? テメエを雇ってくれる奴がいて、仕事を与えてくれる奴がいるからだろ? ほら見ろ。人間やってる以上、俺達は絶対に他人と繋がっている。自分の知らねえところで、誰かの助けを受けている。だから本当の意味で一人きりで生きてる奴なんていねえ。それを理解できてねえから、テメエは『ガキ』なんだよ!」
「黙れッ!」少女が激高する。彼女はカバンに手を突っ込むと、そこから今度こそ『本物の拳銃』を取り出した。「死ね! 老いぼれが――ッ!」
少女が拳銃の引き金を引き絞る。射線上には武田の姿。直後に鼓膜を穿つような炸裂音。
だが。
「ほらな」男性の低い声が、周囲の大気を震わせる。
武田の顔に苦痛はない。武田の顔に焦りはない。彼は左肩の銃創以上の怪我を負っていなかった。
彼の手にしている回転式拳銃から硝煙が立ち昇っていく。白色をした煙は、やがて降り積もる雪の色に埋もれて消え去ってしまう。
「右も左も分かってねえ子供が、ちょっとばかし他人より高性能なオモチャを与えられて、調子に乗ってる――悪いが俺にはそんなふうにしか見えねえよ」
毅然とした声色からは、老身のひ弱さなど微塵も感じられない。世界の裏で生きる人間を相手に、表の世界で生ぬるく呼吸してきた『一般人』は、そんな垣根を乗り越えて、明確な敵対者として立ち塞がっている。
やがて少女は、かすれた呻き声を洩らした。彼女の表情には、いまだにこの逆転した形勢を信じる事ができない、という色がありありと見て取れた。
「どうして……」少女は、さながら独り言のように呟く。小刻みに震える身体からは、生命力のようなものは感じ取る事ができない。やがて、彼女は覇気のない瞳で武田をみつめながら、静かに口を開いた。「どうして……『殺さなかった』の……?」
少女の身に纏っている、どこかの学校の制服は、僅かにだって破れてはいなかった。少女の柔肌に、グロテスクな赤黒い穴は開いていなかった。今この瞬間も、彼女は正常に酸素を吸って二酸化炭素を吐き出し、心臓を拍動させていた。
なら。
武田の放った弾丸は、一体何を捉えたのか?
答えは簡単。立ち尽くす少女の足許――雪の積もり出したアスファルトの上。
そこには拳銃があった。
あの瞬間。
少女が拳銃の引き金を引ききる前に、武田は自らの拳銃の撃鉄を起こし、少女の手にした拳銃を撃ち飛ばしたのだ。武田は涼しい顔をしているが、あんな小さな的に的確に当てるには、果たしてどれだけの技術を必要とするか。一歩間違えれば拳銃を弾く事もできず、かと言って少女を殺す事もできず、武田自身が鉛玉の餌食となっていたかもしれない。
「ま、たとえ今までの俺がユルい世界で生きてきたんだとしても……これが年季の差って奴だ。まだまだ若いモンには負けねえよ」軽い調子で言い、回転式拳銃をコートの中にしまう。武田は茫然と立ち尽くす少女を見やって、「さっさと消えな」と顎をしゃくる。「テメエの質問の答えだが……あいにくと俺に子供をいたぶって喜ぶ趣味はねえんだ。分かったら家に帰ってしっかりと反省しな」
身を翻し、立ち去ろうとする武田。無駄な立ち話をしている間に左肩の出血が酷くなってきた。少女に対して余裕を感じさせる態度を取ってはいるが、武田自身もう限界が近づいていた。できれば少女には、このまま諦めて退場してほしいところなのだが――
「……待ちなさいよ」
――どうもそういう訳にはいかないらしい。負けず嫌いな事で。
「よくもこの私を散々コケにしてくれたわね……。絶対に許さない……泣いて謝ろうが、絶対に許してやらないんだから……!」
(ちッ……)
顔をうつむかせ、憎悪の感情を噴出させていく少女に対して、内心で舌打ちしながら武田は再びコートの中の回転式拳銃に手を伸ばす。
どう出るか――次の手札を吟味している時だった。
この一色即発の空間の中で。
不意に、どこからともなく場違いな明るい楽曲が流れる。
その音が少女の持つスマートフォンの着信メロディだと気がついたのは、慌てた表情の少女がとっさに跳び退り、武田から距離を取ったからだ。
「……ッ!」少女が口をつぐんで武田を睨む。
武田はそんな彼女を見て、溜息混じりに腰に両手を当てると、「遠慮せずに出ろよ。どのみち俺に戦う気は、もうねえんだ」と肩をすくめた。
あくまでも警戒心は保ったままという調子で少女はスマートフォンを手に取り、画面を覗き込むと僅かに顔をしかめた。それから耳に当てる。
「ちょっと何の用!? こっち取り込み中……は? いきなり何言って――はあッ!? ふざけた事言ってんじゃないわよ! 私にも私の都合ってものが……ちょ、もう行くって……待ちなさいよ! ……ああもうッ!」
少女はいきり立ったように憤慨する。スマートフォンをカバンの中に戻し、武田を敵意のこもった目で一度睨みつけてから、「その顔、絶対に忘れないわ!」と声をあげた。「いつかアンタの鼻をへし折ってやるんだから、それまでに死んだら承知しないからね!」
「安心しやがれ、何度だって返り討ちにしてやるからよ」
「ふんっ!」不機嫌そうな態度と共に、踵を返した少女は、武田の目指す方向とは逆の道を駆けていく。少女の姿は暗闇に溶けてすぐに見えなくなった。
「さて……と」武田は傷の具合を確かめながら、間延びした声を出す。
それからさきほどの少女の事を思い浮かべながら、楽しそうに笑った。
「子供、か…………俺が言えた義理でもねえわな。ガハハッ!」




