10(二月七日――午前一〇時十三分~午後一二時五六分)
10(二月七日――午前一〇時十三分~午後一二時五六分)
結果は二時限目の途中から乱入。教室に入ると、こちらを睨んでくる教師を無視して、特に悪びれた様子もなく、自分の席につく。
「……おい、どうしたんだよ? 五十嵐。お前、普段遅刻なんか絶対しないのに」
右隣の席にいた男子生徒が囁くような声で尋ねてくる。
五十嵐は頬杖をつきながら、「別に」と言った。「単に寝坊しただけだよ。一人暮らしだと、寝過ごしそうになった時、起こしてくれる奴がいないからな」
もちろん嘘である。普段から、絶対に寝坊しないように六時から一〇分おきに鳴るアラームをセットしてあるし、今日にいたっては五時に起きた。
しかし、自分が遅刻した本当の理由を言う訳にはいかない。年端もいかない女の子家に連れ込んで一緒にいたら、いつの間にか時間過ぎてましたとか、学校来る途中にいかついオッサンと話し込んでたら、さらに遅れましたとか、口が裂けても言えねえ。
幸いにも五十嵐の嘘を男子生徒は信じたらしく、「ふーん」と気のない返事をするだけだった。それ以外に話したい内容は特にないらしく、彼は黒板に向き直ると、手許のノートにシャーペンを走らせていく。
五十嵐の方もカバンから教科書とノートを取り出し、範囲のページを開いた。そして、自分から見て廊下側に二列離れた場所、ちょうど五十嵐の右斜めの席に座って授業を聞き流していた少女――葛城真彩を見やった。
「(いまだに……信じられねえよな……)」誰にも聞こえないほど、小さな声で呟く。
昨日の出来事を思い出す。異常事態の中、高校生とは思えないほどの冷静な判断力と、特殊な道具を使い、切り抜けた彼女。
しかし、五十嵐は思う。
あの時、彼女は、『自分達にも追手が迫ってきているかもしれない』と言っていたが、はっきり言って、実際のところは分からない。正体不明の爆発に巻き込まれたと言っても、それをやったであろう本人や、その追手とやらをこの眼で見た訳ではないからだ。
あの状況の最中、葛城が何を思って行動していたとしても、当の五十嵐には、いまいち実感が湧かなかったというのが正直な気持ちではある。
だが、実際にこの眼で見た現象しか信じられないただの一般人であるからこそ――これだけは理解する事ができた。
――殺し屋、という単語が頭に浮かぶ。
昨日、葛城真彩本人から聞いた、いわゆる彼女の正体である。金で仕事を受け持ち、標的を殺害する職業。彼女自身が殺す気がなかったとは言っても……あの時、首筋に『本物の銃』を突きつけられた恐怖はそう簡単には拭えない。
言葉の上では、信じられないと否定的な事を考えている五十嵐だが、内心ではもう確信してしまっていると言ってもいい。
と、五十嵐の視線に気づいたのか、葛城の整った顔がちらりとこちらに向いた。
一瞬、心臓がどきりと鳴って、そのあと取り繕うように小さく手を振ったが、直後にいかにも不機嫌ですと言わんばかりの表情になった彼女に、中指を使った不機嫌さ剥き出しのジェスチャーを返された。
四限目の五〇分間を机に突っ伏して過ごして、昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴った時だった。
「話があるから、ちょっとついてきて」と笑顔で言われ、強烈なデジャヴに襲われたため、逃亡をはかったが、昨日と同じように引きずられるようにして強制退室となった。
で。
屋上前の扉のところまで来ると、(立ち入り禁止の)そこをピッキングで強引にこじ開ける不良少女。手招きされるがままに、開け放たれた扉を潜る。俺もこれで立派な共犯者だ。
屋上は殺風景なところだった。ひび割れたコンクリートの床が広がり、転落防止用の柵もない空間には、巨大な室外機がいくつか並べ立てられている。
『これ見つかったら怒られるだろうなあ』とか考えながらも、内心、普段足を踏み入れないような場所にいる事にちょっとばかり気分が高揚していたりもする。ちょうど昼時で日が高いという事もあり、そこまで寒くはない。
葛城は近くの室外機に寄りかかると、手にしていたコンビニのレジ袋から紙パックのレモンティーを取り出すと、ストローを差して飲んでいく。
「アンタも来なよ」と促されたので、彼女を怒らせないようにすぐに従った。彼女の正面に立つ。
五十嵐は恐る恐るといった調子で、「あの……何の用でしょうか……?」と尋ねた。女子相手に何をそんなにビビってるんだヘタレめ、と内なる自分が叱責してくるが、怖いものはしかたがない。ここに来る途中に出会った赤ジャケットの男にも同じ感想を抱いていたなあ、と適当に考える。
葛城はコンクリートのタイルの上に紙パックを置くと、続けて袋から菓子パンを取り出して、小さな口で頬張る。彼女は砂糖がたっぷり練り込まれた小麦粉の塊を咀嚼しながら、「何って、決まってるじゃない」と言った。「アンタが昨日拉致った家出少女とのアツい一夜はどうだったかって話」
「ぶふッ!?」思わずのけぞる五十嵐。彼はニヤニヤ笑いを浮かべる葛城に向けて、顔を真っ赤にしながら、「そんな事してねえよッ!」と必死に否定したところで、敬語が抜けていた事に気づき、慌てて取り繕った。「……いかがわしい事は一切何もしてないですハイ!」
「え、ウソ? マジで言ってんのアンタ?」彼女は本当に意外そうだった。「それ、もう紳士ってよりただの意気地なしなんじゃないの? アンタ男として大丈夫? ねえ」
――『いやあ、昨日ちょっと話しただけで相当なダメ野郎だとは思ってたけど、まさかここまでとは』『それともアンタ同性愛者だったりした?』『それか、ヤッちゃおうとも思えない程のブスだったの?』『だったらわざわざ律儀に連れて帰らなくても、その辺に捨てていけばよかったのに。まあ、何にしてもホントダメだわ、アンタって生きてる意味あるのかな?』
……と、言葉の限り五十嵐を罵倒してくる葛城。おい、俺が一体何をした? ここまで言われなきゃいけないような事なんてしてねえぞ。
五十嵐は歯軋りしながら、思わず口の中で悪態をついた。
「(余計なお世話だっつうの……この暴力女が……! つーか前から思ってたけど化粧濃いんだよ、それが可愛いとでも思ってやがんのか? ケバいだけなんだよ、ビッチが)」
直後、「ん、何か言った?」とニコニコと笑いながら彼女が尋ねてきたので、とっさに我に返った五十嵐は首をぶんぶんと振って、「いえ! 何も言ってないです!」と全力で反論した。
「ふうん、そう」と葛城は適当に相槌を打って、「じゃあ、今しがた私の耳に入った『暴力女』とかあ、『化粧が濃い』とかあ、『ケバいだけ』とか『ビッチ』だとか……それはぜえーんぶ私の空耳って事なのね~?」と笑顔の中に、例えようのない怒りを湛えながらこちらに歩み寄ってくる。
一瞬で五十嵐の表情から血の気が引いた。「ちょ、ちょっと待って! 嘘です! 今の全部嘘です! いいいいや、というかそんな事最初から言ってません! 全部ただの空耳! だからどうかこっちに向けて振りかぶった腕をッ――――」
「問答無用おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!」
「ぐほああッ!?」
……その後、俺がどうなったかは説明したくない……。




