◆(某日――時刻不定)
◆(某日――時刻不定)
燃えていた。焼けていた。木材が焦げる臭い。人が炭になる臭い。鉄臭い血の臭い。
あちこちで爆発音が響き、分厚いコンクリートの壁が砕け散る。
悲鳴が聞こえた。言葉にならない言葉を誰かに向かって叫んでいた。それを誰かの悲鳴が虚しくかき消して、その悲鳴がまた別の人の悲鳴でかき消される。延々と続くようなその光景を、隅でうずくまる私は、呆然と見つめていた。
大人達の着ている白衣が真っ赤に染まり、血だまりの中に横たわっている。恐怖で歪んだまま固定されたその表情が、どこか遠くを見ていた。
息を切らせながら走ってきた紺の服を着た警備員の人が、私の近くにあった棚から、大きな瓶を引っ張り出し、蓋を開けると、なりふり構わずそれを煽った。そして心から安心したような表情を浮かべた男の人は、直後に耳や鼻、眼や口から多量の血液を吹き出しながら絶命した。直前に彼の手から滑り落ちて割れた瓶のラベルには、英語表記で何かの薬品名が記されていた。洩れた液体からは、ツンと鼻をつく異臭が放たれていた。
それからしばらく経った頃、悲鳴と銃声はピタリと止んだ。先刻までの耳をつんざくようなノイズは、すでに存在しない。ただただ空虚な静寂だけが、周囲を包み込んでいた。時折、ガラスの欠け落ちる音がするだけだ。
「――こんなところにいたのか」
不意に頭上から声がした。私はおもむろに顔を上げる。そこには一人の少年が佇んでいた。全身にうっすらと青白い光が滲んでいる。
彼は、伸びきった銀髪の隙間から覗いた瞳を私に向け、血に濡れた手を私に差し伸べた。
「行こう、一緒に」嬉しそうに彼は言う。「他の皆はもう出て行った。あとは俺と君だけだ」
しかし私は首を横に振った。
「だめ……ここにいないと……怒られちゃう……それに、痛いことされる……」
「大丈夫さ。ここにはもう『悪いヤツら』はいないんだ。俺達は自由なんだよ」少年は大げさに腕を広げて、周囲の状況を示した。
「でも……」私は下を向きながら、呟いた。「ここを出て……どこに行くの?」
「――――」少年の言葉が詰まった。予想だにしなかった質問を受けたかのように、少年は困惑の表情を作る。
「お父さんもお母さんも……きっと、もう見つからない……。私たちには……頼れる人なんて……いない……。それに……あなただって、見てきたハズ……」私は自分の頭――そこから生える髪の毛に、震える手で触れた。ほとんどの明かりがなくなった部屋の中でも、キラキラと輝く、その銀髪に。「私達は……『人』とは違うから……受け入れてもらえないんだ……。誰とも友達になれないのなら、ここで『皆』と一緒にいれた方が幸せだったのにッ!!!」
明確な憤りを含ませた声で、私は彼に言い放った。少年が僅かにたじろぐ。構わず、私は少年の差し出していた手を弾き飛ばし、立ち上がる。
私は、自分よりもはるかに背丈の高い少年の肩を掴み、睨みつける。
「どんなに辛い実験でも……『皆』がいたから耐えてこられたのに……! 実験の後の、ごはんの時間に『皆』とお話できるだけで良かったのに……! ここがなくなっちゃったら……私の居場所はどこにもないのに!!」
噛みつくように私は言う。声は震えていた。両目から大粒の涙が溢れているのを感じる。
「……私の居場所を……返してよ……優しかった『皆』を……返してよッ……!」
「う……」少年が呻くような声を出す。
「……もう…………って……」
「え?」
「出て行ってッ!!」私は激昂した。彼の肩を掴む手に力を込め、強く揺する。「私の前からいなくなってよッ! あなたが『皆』を変えたんだ! あなたさえいなければ……あなたさえ、ここに来なければ……!」
「ち……違う……俺は……『皆』を助けたくて……君の事を――」
「あなたの言葉なんか聞きたくない!」肩を掴む手を離し、彼の身体を突き飛ばす。けど私の細腕では、彼を押し倒すまでにはいかなかった。
僅かにバランスを崩した彼は、たたらを踏む。彼は悲痛な表情で私を見る。でも私が返したのは、突き刺すような敵意のこもった視線だけだった。
それを正面から受けて、ゆっくりと彼は私から眼をそらした。
「……ごめん」彼が消え入りそうな声で言った。「もう……行く……でも、最後にひとつだけいいか……?」
「…………なに……?」
「たとえ、どれだけ俺の事を嫌ってもいい……だから……ここから逃げてくれ……。俺は君に死んで欲しくないんだ……」それだけ言うと、彼は踵を返し、死体の海を横断して暗闇の中に溶け込むように消え去っていった。
静寂の中、私の目から一粒の涙がこぼれ落ち、染み込んだ液体がコンクリートの床に小さなシミを作った。