8(二月七日――午前九時四五分~午前一〇時三分)
8(二月七日――午前九時四五分~午前一〇時三分)
「デザートイーグルか。中々イイ趣味してんじゃねえか、松坂の野郎」
雑草があちこちに生えた、ひとけの全くない小さな廃れた公園のベンチで武田は言った。
彼の手には、先ほど意識を奪った松坂から拝借してきた大型の拳銃が握られていた。
デザートイーグル。
マグナム弾を発射する最大級の威力を持つハンドガンだ。弾丸は弾倉に納まっている分しかないが、支給されている拳銃と比べると破格的に心強かった。
「武田さん、あんまり外で見せびらかさないでくださいよ……それ……」
コンビニの袋を抱えた笠峰が、公園の外から姿を現した。
赤くなった鼻には絆創膏が張りつけられている。
「ああ、悪い悪い」武田はデザートイーグルの安全装置がかかっているのを確認すると、コートの内ポケットにしまう。
笠峰は武田の隣に座ると、ベンチに袋を置いた。中身はいくつかの惣菜パンと紙パックの野菜ジュースだった。
中からホットドッグを取り出すと、それにかぶりつく。ケチャップとマスタードの味が口の中に広がる。傍らでは焼きそばパンを頬張る笠峰の姿。
早々にパンをたいらげると、野菜ジュースを喉の奥に流し込む。
一息つくと、顔を俯かせながら笠峰は話を切り出した。「……これから……俺達どうなるんですかね……?」
「松坂の野郎が忠告してた事とは違うかもしれねえが、俺達はもう後戻りできねえところまで、土足で踏み込んじまった」
あの後――笠峰の予想外の乱入により事なきを得た武田達は、すぐに気絶した松坂をロッカーの中に押し込んでから、署を出た。警視総監室にあった彼のパソコンが武田を誘惑してきたが、自分の身の安全を考慮して手をつける事はしなかった。今頃、署では大騒ぎになっているかもしれない。
「あそこまで派手にやっちまったんだ。……それに、俺とお前は僅かにでも何かしらの『秘密』を知っちまった。俺を本気で殺そうとしたあのジイさんが、大人しくしているとはとても思えねえ……」紙パックの中身を飲み干して、「ははッ」と武田は自嘲的に笑った。「ヤツらの頭ん中じゃ、俺達はもう犯罪者だろうな。笑えてくるぜ、殺人犯捕まえようとしてる俺達が悪モンで、自分の立場守るために躍起になってるヤツが正義だ」
「そ、そんなッ……!?」
「だからだ」武田は鋭い眼差しで笠峰を射抜く。「おそらく、これから俺達は松坂の野郎共に追われる立場になる。秘密裏に動いてるSATにも俺達の情報は回るかもしれねえ。仮に、あんな戦闘のプロ集団にでもかち合うような事があれば、間違いなく俺達は殺られる」
「…………」武田の言葉を聞きながら、笠峰の表情が絶望に染まっていく。
「――だから、俺達が先に手柄をいただく」
「え?」
「何を呆けたツラしてやがんだ。第一、事態がどう転ぶ事になってようが、俺のやろうとしてた事は変わんねえ。あの銀髪のガキ――松坂が言うには千条神羅っつったか? そいつを見つけ出してとっ捕まえる。後は千条神羅を交渉材料にでもすれば、俺達は助かるハズだ。簡単だろ?」
途端に笠峰の表情が明るくなる。自分が助かるための明確な方法を開示されたからだろうか。コイツは感情の起伏が激しい。周りの意見に振り回されるところがある。
(それはつまり、自分で自分の意見を持って行動ができねえって事だ……)
二年ほど前だったか。部下として笠峰を受け持った時、どうして警察官を目指したのかと訊いた事がある。その時に返ってきた答えは、『友達に正義感が強いから向いているんじゃないかと言われたから』というものだった。
結局のところ、さっきだってそうなのだ。自分も武田に同行すると言って室内に飛び込んできた時だって、武田の意見に流されたからに過ぎない。結果としてそれが、武田が間一髪の場面で命拾いする理由になったのだが。
自らの意思でこの職業を目指した武田にとって、笠峰の動機や態度には当然のごとく怒りが湧き上がった。
しかし。
(そんなヤツだからこそ……育ててやりたくなった……)
そう思うようになって以来、常に笠峰を様々な現場に連れ回してきた。他人の意見に振り回されやすく、なおかつ、ひたすらに憶病。そもそもの話において、この若者に人並み以上の正義感と呼べるようなものは感じ取れなかった。コイツに的外れな事を吹き込んだバカはどこのどいつだ。
だが、そんな後輩が、自分のいなくなったあとに一人の警察官として立派に働いているのであれば、それ以上の至福はない、と武田は思う。定年が間近に迫った武田にとって、あとを任せる事ができる人間を育て上げる事は、最後の目標のひとつになっていた。
まあ、この男を見る限り、まだそんな理想には程遠い訳ではあるが……。
「ところで笠峰、お前――家族はどこにいるんだ?」
「え、家族……ですか?」突然振られた話題に対して、笠峰が少し困惑した表情をこばす。
「そうだ、両親や兄弟、祖父母。お前の家族はどこに住んでるんだ?」
「え……と、……両親は石川の方で……今、姉が俺と同じで東京で一人暮らし、……爺ちゃんや婆ちゃんは……もう、どちらもいないです……」
「そうか」武田は頷き、「すぐに携帯出せ」と言った。「親や姉ちゃんに今すぐ電話しろ。そんで、たとえ警察が家に訪ねてきても、何も知らないっつってシラを切り通せって伝えろ」
「で……でも、何でそんな事……?」
「俺達を探し出すために、奴らは俺達の身内を当たるかもしれねえ。実際、身内は俺達の事についてなんか何も知らねえだろうが、万が一にも俺達にとってマイナスになるような情報を吐かせる訳にはいかねえ。たとえば、普段お前がよく使ってる店とかを、姉ちゃんが話しちまうとかな。そんな些細な事で、お前を追い詰めるための重要な情報が出てくる可能性もあるだろ?」
「わ、分かりました……!」急いで携帯を取り出す笠峰。と、そこで彼は何かに気づいたように武田を見た。「武田さんの方は……?」
「俺の方は心配いらねえよ」武田は投げやりな調子で言う。「……五年くらい前に離婚した」
「離婚……ですか……」
「ああ、結婚記念日にも、子供の誕生日にも全く家に戻らねえ仕事の虫に愛想尽かしちまったんだよ。妻は娘連れて家出て行ったきり、連絡もよこさねえ。だから、松坂達はもとより、俺もあいつらの居場所なんて分からねえ」
「……すいません、失礼な事訊いて……」笠峰は声のトーンを落としながら俯く。
「気にすんな。……その代わり、もしお前が結婚する事があれば、嫁さんや子供は大切にするんだ。ま……俺が言ったところで説得力なんかあったモンじゃねえがな」
ガハハと武田は豪快に笑って、ベンチから立ち上がった。さっさと家族に電話を入れてくるように笠峰に促す。
その直後だった。
「――笠峰ッ! そこから動くなよ! すぐに戻るッ!」
「ちょッ、武田さん!? 待ッ――」
笠峰の静止の言葉も聞かず、武田は走り出した。
公園を出た武田は、ある一点を見据え、駆ける。
一瞬、僅かな時間だった。しかし、物事の判断を即座につかせるくらいには十分すぎるものが彼の目には映り込んでいた。
(あの赤ジャケットの男、間違いねえ! あいつが持ってたのは――拳銃だ!)




