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夢と幻のキネマ館  作者: 黒木 静
『恋と愛のアゲハ』
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24.アゲハ㉓



 24.アゲハ㉓



 

「つまり――妹の容態はかなり良くなったと、そういう訳だな?」

 王子は龍司のその言葉を真実と受け取った。

 屋上――王子と龍司は、屋上で座りながら話した。他には誰もいない。聞こえてくるのは、グラウンドに響くボールを蹴り上げる音くらいだ。

 王子は一人で納得したように頷いた。金色の髪や、大量に付けた指輪――いかにも不良といった外見とは裏腹に、頭の中は龍司より早く廻る。

「元は原因不明の病気。しかし、その病気は蟲という奇妙な生き物が原因だった。おそらく、誰も信じることのない、妄想のような出来事だ――だが、俺は信じる」

「なんでだ? そんなもの、俺だったら信じない」

「お前は手に入れたから、分からないんだ。なんでそうなったのか、原因の詳細を」

 王子の姉は、龍司と同じく原因不明の病に侵されているらしい。同じことを考えている者同士だからか、自然とこうして仲良くなったのかもしれない。そう龍司は思っていた。

 王子の考え方は非常に単純明快だ。

信じるに値するものを信じる。信じがたいものは信じない。

 しかし、龍司の話はどう考えても後者、信じがたいものだと言える。

 だがそれを越えて、王子はこう考えてしまうという。

「姉の原因不明の病。その原因が、お前の言うものであったら良い……そうすれば、少なくとも、それは原因不明のものではなくなる。俺は、お前がその話をした日から、姉の様子を、違う目で見ている。お前の教えてくれた、その見方でね」

「……それで、姉のことは分かったのか?」

「いいや。どうやら、お前の言う『蟲』によるものじゃないのかもしれない。まだ見つかっていない病気なのかもしれない。『蟲』でもない、他の病気だ。

――不思議なことだな。『蟲』という妄想みたいな話のほうが、姉よりも現実的に聞こえるんだ。荒唐無稽であっても、意味不明ではない……羨ましいな」

王子はそれだけ言うと、もう何も口にはしなかった。ただ下を、街のある方を見つめていた。

「……俺は妹を助ける。でも、きっとただでは済まない……もう、会うことはないかもしれない。会えても、どうなるか……予想がつかない」

 王子は答えない。

「でも、妹は助けるつもりだ。それだけは、誰にも譲れないから」

「…………」

「協力してくれて助かった。ありがとう」

 龍司は黙って、屋上から離れた。

 王子自身も、何かと戦おうとしている。龍司にはそれが分かった。

 未だ答えに迷う王子と、そこから抜けだした龍司。

 二人はこの時から、お互いのつながりを失った。

 

 その日の放課後、龍司はすずめに謝った。

 部室の中には、やはり二人しかいない。雀の配慮がなければ、龍司がこうして謝ることも、『蟲』と戦うこともできなかっただろう。

 昨日の出来事――疲労し、何も言えず、何も考えられなかった龍司は、雀との会話を成立させることができなかった。雀の質問に対して、龍司は適切な言葉で答えられなかった。

 雀の気持ちを分かるからこそ、それをちゃんと説明しなければならない。

 もちろん、真実を全て話すことはできない。しかし、雀にはそれを教える権利がある。そして、雀には最後の仕事を、手伝ってもらわなければならない。

「昨日は悪かった。どうやら寝ぼけていたみたいだ。お前の質問に答えられなかった」

「別にいいんだよ。龍司クン」

 ポニーテールが揺れる。雀は部長の席を、龍司へと譲った。

「それよりも、早く次のことを教えないとね。必要なんでしょう? 私の力が」

 怪しく微笑む雀。その顔には、昨日の出来事などなかったと言わんばかりの、つよがった表情が見え隠れてしている。龍司は次の言葉を失った。

 どうすればいいのだろうか。龍司は悩む。

 そうしている間にも、雀は龍司の体を無理矢理席へと座らせ、ペンを握らせた。

「想像するためには、知識や技術は必要だけど、時には何も考えないで、ただ思うままに筆を進めるのもいいと思うよ。総合力が身についたら、今度は自分だけのものを作り出さないと。だから、私は龍司クンに、それを教えたんだよ」

「でも……お前はそれでいいのか?」

「……う~ん。確かに知りたいとは思うよ。龍司クンだけ、なんだか楽しそうなことをしているように見えるからさ。新しいゲームがあって、誰かがそれを面白そうにやっていたら、やっぱりやりたいって思うじゃない? それと同じだよ。

――ただ、考え方を変えただけ。龍司クンがそうして楽しんでやっているものを、私は近くからアドバイスする役目に回ったんだって、そう考える事にしたの。もし、本当に龍司クンが教えてくれたなら、私はきっと、龍司クンと一緒に戦ったと思うよ。だって、面白そうじゃない。

この世にはどんなに想像しても、形になるものは少ないからね。チュパカブラとかビックフットとか、実在したらいいなって思うことはできるけど、実際はいない。でも、それを絵に描くことはできる。――龍司クンがしているのは、そのチュパカブラの絵を現実にすること。どうやって何をしているのかは分からないけど、とても面白そう」

雀の考え方を変えたのは、龍司の「寝ぼけた」姿を見てからだった。

「……戦争映画とかあるじゃない? ああいうのを見ていると、昔の軍人さんに「かっこいい」って思ったりするけど、本当に戦争が始まったら、軍人になって戦うのは嫌だなって思う。

――私は、龍司クンの中にそれを見たんだ。遊びではなく、本当に戦っているんだって」

それは雀の想像だ。妄想の物語だ。全て現実ではありえない夢の産物だ。

龍司はそう言えればよかった。そうすれば雀の考えなど全て微塵に砕き、安心を取り戻すことができたのかもしれない。しかし、それすらも龍司は答えられなかった。

雀の言っていることは――概ね的を射ている。正しいのだ。

だが、龍司にはその正しさを欺くことはできない。妄想を馬鹿げているとは言えない。想像することは意味のないことだとは言えない。

――部活動をしている時のすずめの姿を知っているなら、なおさらだ。

「……悪い。すずめ。きっといつか話すよ。本当のことを」

「えっ? 本当に?」

「いや、やっぱり駄目だ。お前だけには教えないほうが良さそうだ」

 雀が夢の世界に行けば、それこそ帰ってくることはできなくなるだろう。夢の虜になり、あちらの世界でチュパカブラとグロックで戦闘を始めるに違いない。

 龍司はそれを想像して、途端に考えていたことの馬鹿馬鹿しさに気がついた。

「ははっ……結局、現実ではなく、想像に過ぎない――か」

 夢の世界を体感した龍司は、もう現実も妄想も区別が付かなくなりそうだった。だから、現実で自分を繋ぎとめてくれる存在が、ありがたかった。

 まだ、目覚めていられる。まだ、眠るには早い。

 杏理を助けだした後も、見守っていなければ、兄として駄目じゃないか。

 ――龍司は一人で笑った。

「ど、どうしたの? シリアスな私はヘンだった?」

「そうじゃないよ。大切なことばかり考えていて、その後の事を考えてなかった。せっかくすずめにここまでしてもらったんだ。そんなんじゃ、いけないよな」

 王子に言ったことは、後で訂正しなければいけないな。と龍司は一人で思った。

 後遺症。あの時、雀が口にしたことは正しい。そして、それが正しいのであれば、龍司はそれを乗り越えて、杏理を救い出し、共にこれからも生きていく必要があるのだ。

 自分を犠牲にしてまでも、杏理を助けるというのは、単なる比喩に過ぎない。本当に死んでしまったら、杏理を真の意味で助けたことにはならない。

 戦争――雀のその例えは正しい。生きるか死ぬかの戦いに於いて、龍司の生死は戦いが終わるまで分からない。

 龍司は死んででも杏理を助ける。という決意の下で戦っていた。

 それは改めなくてはいけない。龍司は一人、心の中で決意の形を変えた。

「すずめ。どうやら、ずっと勘違いしていたのかもしれない。いつ死んでもいいなんて、そう簡単に思うもんじゃないよな……そんなことにも気付かなかったなんて」

 杏理を助けること。それと生き残ること。これは二つともやらなくてはいけないことだ。

 戦いに慣れたことで心に余裕ができたのかもしれない。最後の時を前にして、心構えにも変化があったのかもしれない。ともかく、龍司の中で、何かが成長したような気がした。

 蛹を砕き、自らの体を生み出す、蝶のように。

 杏理を失うかもしれないという悲しみも、自らに振りかかる死への恐怖も、増え続ける後遺症も、その全てを乗り越えて―――杏理を助けださなくてはいけないという覚悟。

 それが、この時完成を迎えた。

「すずめ」

 龍司の態度がくるくると変わっているのを、雀は不思議な目で見ていた。見るもの全てをペンで描くことのできる少女には、龍司の心の変化は明確に分かる。言いたいことも、考えていることも、雀には概ね分かる。

 だが、雀はあえて聞く。

「うん。何かな?」

「――次で最後になると思う。協力してくれ、すずめ」

「んふふ……もちろんだとも。ラスボスを倒すのなら、私の力が必要になるはず……ふふ。まるで、ゲームでいうところの賢者の役割だ」

 雀にも決意はある。龍司の「やっていること」の全てを知っているわけではない。しかし、龍司が「妹の為」に、「想像力を働かせて」何かと「戦っている」ということは理解している。

 最後――とは、つまり最後の敵と戦うということ。雀にはすぐに予想がついた。

 こんなに楽しい展開は無い。見たものを全て模倣し、想像したものも容易に形にしてしまう雀には、龍司の戦いの行方を見守るだけでも十分に「楽しい」のだ。

 雀は、見ることのできるものに興味を示さない。ただある光景を淡々と自分の頭に記録していくだけだ。

だから、雀の夢は、予想もつかない夢の世界に行くこと。

 そのために雀は漫画を書き続けている。漫画を描くことが、自分自身が最も楽しめることだと知っているからだ。そして、それは己の持つ夢と似ている。

 ――そして、龍司が実際にしていることと、似ている。

 それを感じ取ったから、龍司が何も言わずとも、それを信じて、彼の望むままにした。

 雀は、自分の夢を、他人を通して叶えようとしていた。

 全容は確かではないが、雀はその歯車の一つになったことを確信している。

「それじゃあ、最後の二つの能力を、龍司クンに与えよう」

 雀は自分の夢を龍司へ託し、龍司は雀の夢を受け取る。

 二人の目標や考え方は違うが、形は同じだ。

 羽は対とならねば飛ぶことができない。龍司は四つの可能性を、雀から受け取った。

 もう二つ、その力が揃えば、雀の想像する「最も強い」龍司が出来上がる。

「龍司クンがあんまり漫画を知らないようだから、戦闘モノの定石を、龍司クンに教えた。一つは『加速』する力。もう一つは『爆発』の力。どうだった? 教えた通りにちゃんと発動したかな?」

「ああ。問題なかった。想像通りだ」

「オッケイ。ならば、もう二つ。少年漫画並に熱く戦うなら、私はこの二つを選択する」

 雀は二つの漫画を掲げた。

「敵の動きを止める『時間停止』と、何度攻撃されても倒れない『不死』の能力。まさに、これがあれば、龍司クンは「絶対」に勝つことが出来る……と、私は思う」

「……そんなこと、できるのか?」

 時間を止めることなど不可能だ。それと同じくして、死なないことなど人間には可能ではない。『加速』は戦闘機が音速を出すことができる。『爆発』は核兵器というおぞましい殺人兵器がある。しかし、どんな技術を以てしても、時間を止めることはできないし、すごい医療機関でも、人を生かし続けることなどできない。

 ――いいや、想像の、夢の世界なら――可能、かもしれない。

 龍司は一度、両腕を切断されたことがあった。しかし、龍司はすぐに死にはしなかった。

 そもそも、想像の世界での死とは何か。

 血を流す痛みも、切断される苦痛も感じた。しかし、龍司はショック死することも、失血死することもなかった。想像の世界と現実の世界では――「できないこと」は「ない」?

 ならば、それも実行できるかもしれない。

 龍司がそう思ったことを、雀は見逃さなかった。

「時間を止める。という考えで一番有名なのは、『ファウスト』のあの言葉かもしれない。でも、漫画とはちょっと違うんだよね。簡単な想像なら、『ビデオの停止ボタン』をイメージするといい。ピッとボタンを押した瞬間、時間が止まる。時間が止まった世界をどうやって動くのかについては、いろいろな制約が、物語ごとにあるけど、それは無視しよう。龍司クン以外は動かない。でも動かそうと思えば動かせる。これでいい」

 一冊、漫画本を龍司に手渡す。それが一番龍司の想像の役に立つ。ということだ。

「もう一つは不死。ゾンビは体を破壊されても死なない。でも、そういう不死よりも、体が損壊した瞬間に再生する能力のほうが便利だ。体の部位を一つ一つ蘇らせるとなると、いちいち関節とか神経の名前を覚えるので大変そうだ。だから、能力だけを開発しよう。つまり、体は破壊されるが、すぐに蘇ることのできる力。それが龍司クンに与える不死。オートレイズみたいな? 頭を破壊されたらちょっとヤバいかもしれないけどね。あと、銀の銃弾とか。龍司クンがどういう状況になるのか想像しづらいけど、『弱点』を付かれたら死ぬかも……」

「…………」

 その事については、アゲハが知っているだろう。

 しかし予想は付く。おそらく、想像することができなくなれば死ぬ。

 アゲハの言う『脳死』。これは頭を破壊されたら終わり。ということにもなりうるはずだ。

 雀がもう片方で持っていた漫画本を渡す。

「じゃ、コレ読んでね。その方が早く理解できると思うよ。そして、それは宿題。今から、現代銃器を応用して『自作銃器』を作れるようになろう。つまりレーザーライフル」

 びゅーん。と雀がライフルを構えながら口で音を真似る。

「いくらなんでも、それは無理じゃ――」

「なんでもかんでも無理無理って言わないの! やってみなければ分からないでしょ! 勝ちたくないの? ラスボスに!」

「そんなの―――勝ちたいに決まっているだろ!」

「じゃあ言う事聞きなさい! このすずめ様の言うことにしっとり従えば、勝利は絶対!」

 雀はにっと笑う。龍司もそれに釣られて微笑んだ。

 雀が龍司に与えたものは、想像力だけではない。

 杏理のことを思いつめる龍司に、人間性を取り戻させたのは他でもない、雀だ。

「ああ。絶対に勝利だ!」

 



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