悪夢の始まり
第二章【失われた日常】
朝日がまぶしい。ここは俺の部屋だ。見慣れた
窓からはいつも見ている朝日がいつの間にか入
り込んでいた。眠ってしまったらしい。もう
とっくに日が登っている。それにしても……。
「夢、か…」
なんだか変な夢だったな。と、無意識に頬
に手をやると頬はひんやり冷たかった。
そのとき、またあの感覚が俺を襲った。背筋を
ナメクジがはいまわり、全身に鳥肌がたつ感
覚。そしてそれと同時に俺の頭の中に人の声が
聞こえてきた。
『やっとお目覚め?随分ねぼすけじゃない。お
かげで待ちくたびれたわよ』
振り向くとそこには夢で見たあの漆黒の少女が
こちらに不満そうな顔を向けている。
俺はそれを見て寝ていたベッドから飛び起き
た。そんな俺を見て相変わらず彼女は不気味な
笑みを浮かべている。
「どうしたの?そんなに怯えて」
「お前は一体?」
少女はその質問は聞きあきたというような表情
を浮かべる。
「私が誰かなんてどうでもいいことよ、それ
にあなたがそれを知ったところで何も変わらな
い」
こいつは何者だ?なぜ俺の前に現れる?こいつ
の目的はなんだ?疑問が次から次へと溢れてく
る。
「わかった、お前が何者かはもう聞かない。だ
が一つ教えてくれ。お前の目的はなんだ?な
ぜ俺につきまとう?」
少女は俺の質問にしばらく答えず、俺をじろじ
ろ観察していた。多分、このとき俺はびびって
るように見えたのだろう。それを彼女は面白
がって見ていたんだと思う。
少しの間観察し、満足したのか彼女はようやく
口を開いた。
「あなたに協力してもらいたいことがあって来
たの」
「は?」
俺は自分の耳を疑った。なぜ俺が見ず知らずの
不気味な少女に協力してやらねばならんのだ?
「ふざけんな!人に散々つきまとって、その
上協力しろだと!?人をからかうのもたいが
いにしろ!」
これにはさすがの俺も切れた。
「心配しなくても、あなたに拒否権はないわ」
どこまで自分勝手なヤツなんだ?もうほっとこ
う。俺はその少女を残して部屋を出ると、朝の
用意を早々に済ませ家を後にした。
だが、俺はこのときまだ、分かっていなかっ
た。彼女が言っていた『あなたに拒否権はな
いわ』という言葉の本当の意味を……。
◇
それからというもの、その少女は頻繁に俺の前
に現れるようになっていた。そしてある時、少
女はこんなことを言い残していった。
「あなたの死期が迫っているわ。私ならそれ
を食い止める事ができる。ただし、あなたが協
力してくれればの話だけどね」
また訳の分からん事を言い出したぞ。まった
く、いい加減にしてほしいぜ。
「だいたい何で俺が死ぬなんて事が分かる?俺
はこの通りピンピンしてるじゃねえか?」
「信じたくなければそれで構わないわよ。ただ
し、後で後悔するのはあなただけどね」
「………」
勿論、こいつの言うことなんて信じちゃいな
かった。そんな根拠なんてどこにもない。
だが、万が一、本当に万に一つの確率でこいつ
の言うことが正しかったら?そういう考えが頭
から離れないのだ。
ただ、こいつが何者か分からない以上、信用す
る事は出来ない。
そんな俺の心を読み取ったかのように少女は口
を開いた。
「そんなに私の正体が知りたい?」
「少なくとも、正体が分からないヤツの言うこ
となんて信じられねえな」
少女はフゥ~と小さくため息をついた。
「仕方ないわね、分かったわ、教えてあげ
る。私の正体を…。ただし、それを聞いたら
ちゃんと私に協力してよ?」
「それは俺が決める」
少女はもう一度ため息をつくと話し始めた。
「私は……、私はあなた達人間の言うところ
の悪魔みたいな存在かしらね」
「なっ……」
これには俺も何と答えてよいのか分からなかっ
た。悪魔だと?
「だから教えるのはイヤだったのよ。どうせこ
んなこと信じてくれないでしょうからね」
「当たり前だ!自分のことを悪魔だって言って
いるヤツの言うことを『はいそうですか』なん
て言えるヤツなんざよほど頭がいかれてる
か、よほどのお人好ししかいないだろう!」
「やっぱり、そうよね……」
少女の顔からは不気味な笑みが消え、悲しそう
な表情だけが残っていた。
「……ったく、仕方ねえな!」
「え?」
「俺はよっぽどお人好しらしい」
こういうとき無性に自分の性格がイヤにな
る。
「協力してやるよ、ただし俺に害が及ぶよう
なことがあればその時点で協力は破棄するから
な」
「分かってるわよ」
少女の顔にはいつもの不気味な笑みが戻ってい
た。まったく、現金なヤツだ。
「そういえば、お前の名前、まだ聞いてなかっ
たな」
「え゛?そ、そうだっけ?」
「ああ、聞いてないはずだぜ。これから協力す
るんだ。少なくとも名前くらいは教えてくれ
よ」
「う~~~、どうしても?」
「なんだ?言えない理由でもあるのか?」
「イヤ、そういうわけじゃないんだけど…」
なんだか妙に歯切れが悪い。たかが名前くらい
教えてくれてもいいもんだが。
「わかったわかった!言うわよ……、私の名前
は……、『@シ*£』よ!」
「はい?なんだって?」
まるで蚊の鳴くような小さな声で、何を言って
いるのかまったく分からない。
「もっと大きな声で言ってくれ!」
「……『ア、アシリル』よ!なっ、なによ?笑
えばいいでしょ!」
「いや、何で笑う必要があるんだ?」
「だって、変な名前じゃない!」
「まあ確かに変わってはいるが、笑うほどのこ
とじゃないだろう?」
「ほ、本当に!?」
「ああ、俺は人の名前を笑うなんて失礼なこと
はしねぇし、もしそんなやつがいたらぶっ飛ば
してやるよ、だから気にすんな」
その言葉を聞いたアシリルの顔にあの不気味な
笑みはなく、どこにでもいる普通の少女の笑顔
があった。
それにしても、最初現れた時とはまるで別人だ
な。
「も、もうなにカッコつけてんのよ?私の事
はいいの!それよりもあんたの事よ!」
「そうだったな、で?俺の死期が迫っているっ
てどういうことだ?」
「死期が迫っているというだけで何が原因で死
ぬかまでは分からないわ」
「じゃあ俺は何をすればいいんだ?」
「今は特に何もする必要はないわ。時が来れ
ばおのずと分かるから。言える事は『気をつけ
て』としか……、じゃあくれぐれも不用意な行
動はしないようにね」
そう言うとアシリルはまた暗闇の中に消えて
いった。
それからしばらくは何も起こらない、いつもの
日常だった。今思えば、これは嵐の前の静けさ
だったように思える。
だが、その嵐は何のまえぶれもなく突然やって
来た。
ある日、俺はいつものように神谷と一緒に遊び
に出かけていた。ちなみに、この件は神谷には
伝えていない。伝えたところで帰ってくる言葉
は分かっているからだ。
さて、話を戻そう。神谷と出かけていたときに
事件は起きた。
神谷はある洋服店の前で立ち止まると、ここに
よりたいと言って中に入って行った。俺はとい
うとファッションに関してはまったく興味がな
いので外で待っていることにした。
「こりゃ長くなるな……、まったく、映画館の
時といい、女みたいな性格だな」
と、ブツブツと文句をたれている俺のそばに誰
かが駆け寄って来た。
「ん?」
そこにいたのは少女だった。背丈は俺の胸元あ
たりで、歳は小学校高学年~中学生くらいだろ
うか?
その少女は俺の顔をじっと見ている。
「どうしたの?迷子かい?」
思わずこちらから話しかけてしまった。
「………」
少女はしばらく黙ってこちらを見たあと、俺の
腕を掴んでどこかへ連れて行こうとした。
「おい!何なんだ!?いきなり!」
「……こっち」
それだけ言うと少女は再び俺を引っ張りだし
た。
(もしかするとこの少女が助けを必要としてい
るんじゃ?)
と、俺は適当な考えをめぐらせながらも少女に
着いて行った。
だが、少女の行く先はどんどん人の気配が無く
なっていき、暗い裏路地に入って行く。さすが
に少し不安になってきた。
「なあ!一体どこへ連れて行く気だよ!」
俺は手を振りほどいた。すでにここは先程まで
いたにぎやかな場所から遠く離れた狭い路地で
ある。
「……来て」
「え?」
そして、少女が俺の手を再び掴もうとしたその
とき、その手を何者かがはたいた。
「あんた、私があれほど忠告してあげたの
に、もうちょっと注意しなさいよね!」
そこには怒りの表情を浮かべた、あの漆黒の少
女、アシリルがいた。