夢と現実の境界
『プロローグ』
一人の少年がいた。どこにでもいる高校一年
生。学校の成績は良くもなく悪くもない。運動
も人並みにできる。特筆した才能なんてな
い。いわゆる『凡人』だ。
そんな少年が体験した“夏の思い出”であ
る。
◇
第一章【はじまり】
照りつける日光、うるさいほどに鳴くセミの
鳴き声、それとともに聞こえてくる耳障りな教
師の声。
今日は夏休み前日、明日からは待ちに待った
夏休みのはじまりだ。
教師は宿題はきちんとしてくるようにだと
か、危ないところに行かないようにだとか言っ
ているようだが、そんなことは俺の耳には全く
届いていない。
俺は今日から夏休みをいかに楽しもうかと考
えているだけだった。
(なにして遊ぶかな~?)
空を走る一筋の飛行機雲をボ~っと眺めなが
ら夏の計画をたてていた。
「それじゃあ有意義な夏休みを過ごすように」
ようやく終わった教師の話。それとほぼ同時
にちりじりに別れていく生徒たち。
「やっと終わったぜ」
他の生徒と同じように帰り支度を初めていると
「沢崎~」
後ろから俺の名前を呼ぶ気の抜けた声がする。
「相変わらず間抜けな声だな神谷」
こいつは俺の幼なじみの神谷慎吾。小学校から
の腐れ縁だ。
「そういうお前は相変わらず失礼なヤツだ
な。まあいいや、さっさと帰ろうぜ」
「ああ、分かってるよ。今帰る準備してるから
ちょっと待て」
普段から置き勉している俺の机の中はまるでご
み箱のようになっている。夏休み前ともなると
持ち帰る教材の量も他の生徒の3倍くらいある
のだ。
「ゲッ! 凄い量だな。ほとんどゴミじゃねえ
のか?」
「うるせえ! これでも今日は少ない方だぞ」
「多いときのお前の机の中を見るのが恐ろしい
よ」
「さてと、終わったぞ」
パンパンに膨らんだカバンを抱え教室を出
る。予想以上のカバンの重さにまるで鉄球でも
引きずっているように思えた。ただでさえ暑い
のにカバンのせいで余計に暑い。このとき俺は
決心した、もう置き勉するのはやめようと。
「沢崎、帰りにちょっと付き合ってほしいんだ
が」
「ん? ああ、別に構わねえけどどこにだ?」
「映画だよ」
「またかよ、この間行ったばっかじゃねえか」
神谷は大の映画好きで新作が出るたびに行って
いるらしい。それだけならいいのだが問題はそ
れに毎回俺も付き合わされるということだ。
「そういうとこは普通女連れて行くもんじゃね
えのか?」
「そんなヤツがいればお前を誘ったりしねえ
よ」
そんなにしょっちゅう映画を見る金が一体どこ
にあるというんだ?こいつの収入源を知りた
い、そして俺にもその一部を分けてもらいたい
ものだ。
「で? 今度はどんな映画なんだ?」
「ホラーだよ、めちゃくちゃ怖いらしいぜ」
「ふ~ん」
「お? なんだ?沢崎、もしかしてびびってん
のか?」
「どうしてそうなる!」
まったく、何が嬉しくて男二人でホラー映画見
に行かなきゃならんのだ。まあ、それをいつも
断らないでついて行くのは映画の料金がこいつ
のおごりだからだ。マジでこいつの金の出どこ
ろはどこだよ?と気にしつつくだらない話をし
ながらしばらく歩いて学校近くの映画館に着い
た。
「結構混んでるな」
「文句言ってもしゃあねえだろ、ほれ」
神谷は用意していたチケットを俺に手渡した。
そのチケットを係員に見せて俺達は館内に入っ
て行った。チケットに書いてある席に座り映画
が始まるのを待つ。そこまではよかったのだが
問題はその後だった。 映画が始まるやいなや
隣に座っている神谷はギャーとかワーとか女み
たいな悲鳴をあげている。
(怖いなら見なきゃいいのに)
終わってみれば神谷の悲鳴のせいで映画の内容
は一つも分からなかった。
結局、俺は何をしにきたんだろう?
無駄な時間の浪費だった。もうこいつとは二度
と映画に来ないようにしよう。
「イヤ~、怖かったけど面白かったな」
「ああ、そうだな」
おごってもらった手前、文句も言えないので適
当に相づちをうっておいた。
映画館を出てみると外はもう日が沈み、綺麗な
満月が顔を見せていた。
「それじゃあ、俺はこっちだから。今日は付き
合ってくれてサンキュー」
そう言って神谷は帰って行った。
「はあ~、さてと俺も帰るとするか」
今日は疲れた。
早く帰って寝たい、そう思いながら駆け足で家
路を急ぐ。普段歩いている学校の帰り道も日が
降りると全く別の顔を見せている。
しかし、そのとき俺は奇妙な感覚に襲われ
た。まるで背中を無数のナメクジがはい回るよ
うな悪寒。体中に鳥肌がたっていた。夏だとい
うのに体が震える。
気がつくと俺はさっきまでにぎやかだった大通
りを外れ、人気のない狭い路地に迷いこんでい
た。
「あれ?おかしいな、こんなところで道に迷う
はずがないんだが」
俺が今歩いているのはよく知った学校近くの映
画館から家への帰り道……のはずなのだが、こ
んな道は初めて通る。
「くっそ~、どこなんだよ!?ここは」
行けども行けども暗闇が続くばかりだ。
「何なんだこれは!?」
と、そのとき
「あなた、道に迷ったの?」
「え?」
突然の声に俺は何が起きたのか分からず、声の
聞こえてきた方へと振り向いた。そして、そこ
にいたものを見て再び俺は恐怖を覚えた。
俺に声をかけてきたのは少女だった。ただの少
女ではない。黒のローブ、黒く長い髪、黒い
瞳。まるで、背景に溶け込むような漆黒、そし
て、それとは対称的に透き通るような白い肌を
した少女。年齢は俺とさして変わらないように
見える。
だが俺が恐怖したのはそいつの外見ではな
く、こいつがどこから現れ、いつからここにい
るかということだった。
「あなた、道に迷ったの?」
漆黒の少女は同じ言葉を繰り返す。
俺は直感的にこいつが危険な存在であると感じ
た。だが、そうだと分かっているにもかかわら
ず、なぜだか体は金縛りにあったように動かな
かった。
「誰なんだ?お前は」
少女は俺の質問をバカにしたようにクスクスと
笑っている。
「誰も自分が何者なのかなんて知ることはでき
ないわ」
何なんだこいつは?頭いかれてんのか?
「悪いけど急いでるんだ。そういう話なら他を
あたってくれ」
少女は再びフフと不気味な笑みを浮かべた。
そして少女は俺の方へゆっくりと近づいてく
る。
「残念だけど私の方はあなたに用があるのよ」
そう言うと少女は俺の顔にその真っ白な手を当
ててきた。
「冷たっ!!」
俺の頬に当てられた手はまるで氷のように冷た
かった。そこで俺の意識は途切れた。俺が最後
に見たものは不気味に笑う少女の顔だった。