第15話 墓前の少年
血に染まる紅葉が、藩の崩れゆく未来を告げていた。
紅葉が血のように山々を染め上げる――
秋の会津の山々を眺め、沢村錬次はそう思った。
盃を傾け酒を飲みながら、彼は静かに涙を流した。
遠山政勝に嫡男・成正を斬られてから、間もなく一年が経とうとしていた。
「成正…なぜ、お前が…」
錬次の声は、秋風に掻き消されるように震えた。
成正は、遠山の気まぐれな「刀の切れ味を試す」ため、竹の添え物のように斬られた。
あの日、遠山の冷酷な笑みが錬次の胸に突き刺さり、以来、夜毎にその顔が夢に現れる。
成正の笑顔、剣の稽古に汗する姿、そして血に染まり静まり返った愛息――
その全てが錬次の心を焦がし、復讐の炎を絶えず燃やした。
沢村家は代々、会津藩の武断派として刀と忠義を誇りに生きてきた。
錬次もまた、藩主への忠義を胸に戦場で汗を流し、息子・成正にその志を継がせんと育て上げた。
だが、突如権力を握った遠山政勝は、その全てを一瞬で踏みにじった。
遠山は武断派の力を利用しながらその理念を歪め、気に入らぬ者を「試し切り」と称して斬り捨て、恐怖で藩を支配した。
成正の死は、遠山の権力誇示に過ぎなかった。
「政勝…貴様は、人の命を何と思う…」
錬次は酒を一気に飲み干し、盃を地面に叩きつけた。
砕けた陶片が、紅葉の落ち葉に混じる。
かつて、錬次は藩外の刺客を雇い、遠山を討とうとした。
だが、奥番の毒味役――おそらく潔目処新左衛門の手にかかり、刺客は返り討ちにされたと聞いた。
「遠山はまだ死ぬ運命にあらずか…」
錬次はそう呟き、復讐の炎を押し込めようとしたが、息子の命日が近づくにつれ、怒りは堰を切ったように溢れ出した。
遠山の首を斬る機会は幾度もあった。
背を向けた瞬間、腰を屈めた隙、大笑いする無防備な一瞬。
だが、錬次は刃を収めていた。
遠山の口から、成正への詫びの言葉を引き出したかったのだ。
息子の命を奪った男が、せめて悔悟を示せば、成正の魂も報われると信じたかった。
だが、遠山は詫びることなく、不敵な笑みを浮かべ、錬次を嘲笑うように見下した。
あの冷酷な目は、錬次の心を砕き、ついに均衡を崩した。
ある秋の夕暮れ、錬次は成正の墓前に参った。
墓石の前に、小さな人影が枯葉を供えている。
清見彦左衛門の息子、隼人だった。
「隼人…お前、成正を偲んでくれたのか。」
錬次は声をかけ、少年の頭をそっと撫でた。
隼人は無垢な瞳で錬次を見上げ、こう答えた。
「成正兄貴は、剣の稽古でいつも俺を励ましてくれた。派閥なんて関係ないよ。父上も、成正兄貴のこと、尊敬してたって。」
その言葉は、錬次の胸に剣よりも鋭く刺さった。
子供には武断派も文治派も関係ない。ただ純粋な友情がある。
だが、遠山はその友情すら踏みにじったのだ。
「隼人、父御を大切にな。」
錬次はそう言い残し、紅葉に紛れて姿を消した。
心は決まっていた。
もう、詫びの言葉を待つ必要はない。
遠山の命で、成正の魂を鎮める。それが、父としての最後の務めだった。
その夜、遠山政勝は自慢の庭園を悠然と歩いていた。
月光が水面に揺れ、紅葉が静かに散る。
遠山は下女が差し出した酒を飲み、哄笑を上げた。
「沢村の小僧、良い刀の試し切りだったぞ!」
その言葉が、錬次の耳に届いた瞬間、怒りが堰を切った。
不意に、遠山の下駄の鼻緒が切れ、彼が腰を屈めた。
その刹那、錬次の刀が風を切り裂き、遠山の首を刎ねた。
首は鞠のようにはね、枯葉の上を転がり、血が紅葉をさらに深く染めた。
遠山の目は、最後まで嘲笑の色を失わなかった。
錬次は動かぬ遠山を見下ろし、刀を自らの胸に突き立てた。
「成正…これで、ようやく…」
穏やかな微笑みを浮かべ、彼は地に倒れ、息絶えた。
遠山の死は、会津藩に衝撃を与えた。
武断派は指導者を失い、混乱の渦に飲まれた。
若侍たちは遠山の遺志を継ぐ者と、松平容保への忠義を誓う者に分裂し、互いに刃を向け合った。
ある夜、武断派の若侍数名が酒の席で乱闘を起こし、互いに斬り合い、一人が命を落とした。
文治派はこれを機に勢力を増し、容保の帰藩を密かに準備。
藤川義高は、武断派の目を欺くため、表向きは中立を装いながら、
武断派の若侍を引き入れつつ、文治派の若侍たちをまとめ、容保の帰還を確実なものとする策を練った。
だが、その動きは新たな火種を生み、藩内の緊張は一層高まった。
潔目処新左衛門と黒崎左京のもとにこの報せが届いた時、二人は異なる思いを抱いていた。
新左衛門は、遠山の死が新たな争いを生むことを予感し、容保の安全を案じた。
左京は、容保を守る使命を改めて胸に刻み、剣を握り直した。
四つ辻の道祖神は、静かにその顛末を見守っていた。
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