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『行き遅れ』――それは貴族女性にとって、社交界での『死』を意味する。
「アリステラ! 私のアリス……! ああ、お帰りなさい!」
「っ――お母様」
仲間たちと別れ、公爵家へ向かう馬車に揺られ、いくばくか。首都にある、公爵家の屋敷に着くなり、お母様が使用人を押しのけ、私を強く抱きしめた。久しぶりに会ったお母様は、八年前より少し歳をとっていたけれど、記憶のままで。じわりと目の奥が熱くなり、気づけばその体をそっと抱きしめていた。
「ただいま戻りました、お母様」
「本当に、よくやりました。あなたは我が家の――いえ、我が国の誇りです」
「……お母様」
「それなのに……」
ぶるりと、お母様の背が震える。顔を上げたお母様の顔は、怒りに満ちたものになっていた。
「国王陛下にも、王太子殿下にも愛想が尽きました」
「お母様……?」
「御覧なさい!」
お母様に手を引かれ、広間に入ると執事が山のような書類を抱えていた。お母様はその中から一枚引き抜くと、私の目の前に突き出す。そこには、若い男性の肖像画――。
「お母様、これは一体……」
「あなたのお見合い相手よ!」
「お……」
お見合い。……お見合い。八年間の度で、一度も耳にしなかった言葉だ。
「ええと……お母様、私はまだ旅から戻ったところでして。ひとまず、ゆっくり休みたいと」
「あなたの気持ちはわかります。ですが、時は一刻を争うのですよ!」
「はい?」
「今から結婚相手を見つけて、結婚式の準備をしてもかつかつですのに。のんびりしていては、あなた――三十になってしまうわ!」
悲鳴のような声に、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。貴族女性は、二十五を超えた時点で行き遅れ扱いだ。その上、三十を超えるとなると――。
「公爵家の令嬢が、三十歳まで未婚だなんてあってはなりません! あなたが立派なことを成し遂げたのは、誇らしいわ。……いいえ、生きて帰って来てくれただけで十分だと、心の底から思います。でも――でもこのままでは、あなたの将来がつぶれてしまうの!」
私は勇者だ。しばらくの間は、社交界でも持て囃されるだろう。だが、その後は? 三十を過ぎ、『ただの』公爵家令嬢になれば……。三十にもなって親元を離れられず、結婚相手すら見つからない女になってしまう。
だけど――。
「お母様、私は勇者としてこの八年間、剣の腕を磨いてきました。ただの公爵令嬢に戻り、王太子殿下と結婚する――そんな願いもありましたが、叶いませんでした。もう、諦めています」
「ええ、王太子殿下はご逝去遊ばされればいいわ」
「え? い、いえ私はそこまでは……。その……『行き遅れ』のままでも、もうよいかと思うのです」
そう、私は散々考えた結果――男なんてもうどうでもいいという境地に至った。というより、そう思う他なかったのだ。幼いころから、婚約者として王太子だけを見て来たのだ。今更、他の男と……なんて、考えられない。
それに、私が未婚のままであれば、王太子に「自分の婚約者を魔王討伐に行かせておきながら、他の女を孕ませて、婚約者を捨てた男」という泥を一生擦りつけられるし……。それも、復讐としては悪くない。
「私は、このまま『勇者』として生きていこうと考えています。夫のために生きるよりも、この国のために働きたいのです。国王陛下にも、そうお話ししようと――」
「ダメよ、アリステラ」
「なぜです? 公爵家の世継ぎでしたら、弟のジルが――」
「そうではなくて……。この国の法律は、よく知っているでしょう?」
お母様の苦々しい顔に、はっとする。……そうだった。
「『未婚女性は、財産を持つことができない』。このままでは、あなたは勇者としての褒章も、損害賠償も受け取ることができないわ」
「…………」
「国王陛下に交渉すれば、勇者として特権を持つこともできるでしょうけど、我がエドワーズ公爵家を狙う勢力に『特別扱い』と批判されることにもなりかねません」
お母様の出身である侯爵家は、先祖代々続く由緒正しい家柄だった。しかし、この法律のせいで一人娘である母は家の財産や爵位を継ぐことができず――国王陛下の弟だった父と婚姻を結ぶことで、『公爵夫人』となり、ようやく侯爵家の財産を受け継ぐことができたのだ。
「本当にバカげた法律だ。私に勇者という厄介ごとだけ押し付けておいて! 女を何だと思っているんだか!」
「ま、まぁ、アリステラ! 言葉遣いに気を付けてちょうだい」
「……お、お母様」
そう言われても、この八年、『勇者』として過ごしてきたのだ。行く先々では、平民と接することも多かったし……。野営だってしょっちゅうだった。令嬢としての振る舞いを忘れてしまうのも、無理はない。
「お母様、私は――」
「アリステラ。あなたの気持ちは、よくわかります。勇者として、魔王を倒したあなたになんという仕打ちでしょう」
「……」
「ですが、どうにもならぬことなのです」
八年。……八年もの月日を捧げ、国に平和をもたらしたというのに。そんな私を待っていたのが――。
「お見合いなさい、アリステラ。……今すぐに」
お見合い、だなんて。魔王を倒した時には、想像だにしていなかった。
「…………はい」
こうして、勇者であり、公爵令嬢のアリステラ・エドワーズは望みもしない婚活を始める羽目になったのだった。
――そして現在。お母様が選別した男性と、お見合いに明け暮れているものの……。
「僕より強い女性はちょっと……」
勇者である私の能力を前に、怖気づく者。
「私が婿に入ったら、まず公爵家の鉱山を持参金代わりに頂きましょう。もちろん、領地の運営も私が――」
公爵家の財産目当てなことを、隠しもしない者。
「すみませんが、僕より年上の方はちょっと……」
……『行き遅れ』は嫌だ、と。遠回しに伝えてくる者。
「ろくな男がいないではないか……!」
「アリステラ様、お気を確かに!」
ガン、と酒場のテーブルを叩いた私に、エリーが慌てて背をさすってくれる。出逢ったころは十六歳だったエリーも、今や二十四歳の女性。酒場に出入りしても、咎められぬ歳。
「そりゃあ、私も歳を取るわけだ……」
「あ、アリステラ様。あの、お見合いなんてもうお止めになられては?」
「…………」
エリーの言葉は、善意から来るものだとは理解している。だが、当のエリーは今度、子爵家の養子に入り、レインと婚約することが決まっていた。つまり、この言葉はその余裕からくるもの……なんて、卑屈な考え方はしたくないが。
「心配させてすまない。だが、国王陛下からの褒章を授かるためにも、結婚は必須だ」
「そう、ですか……」
「どうした?」
少し、不服そうな顔のエリーに首を傾げると「いえ、アリステラ様が結婚するのだと思うと」と、苦い笑みを浮かべる。
「アリステラ様は、ずっと私の憧れの方でしたから。……ご結婚されて、誰かのものになると思うと、寂しくて」
「何を言っているんだ。結婚しても、私は私だろう」
「そうなんですけど、そうじゃないといいますか……。町の若い娘や、ご令嬢方も残念がっていると聞きますよ。『結婚なんてしなくていいのに』と」
「なんだと?」
人ごとだと思って、勝手を言ってくれる。結婚しなくて困るのは、私だというのに。
「アリステラ様は、皆の憧れの勇者様ですから」
「女性に人気があってもな……」
確かに――この間、お母様の命令で婿探しのため参加したパーティーでも、あっという間に女性陣に囲まれてしまった。まぁ、『行き遅れ』と嘲笑されるよりは、よいのだろうが……。
「最近は、ドレスでパーティーへご参加されていて残念です。凱旋パーティーの時の正装はとても素敵でしたのに!」
「ああ……」
凱旋祝賀パーティーでは、一目で『勇者』と分かるようにと、国王陛下が仕立ててくださった正装を纏ったのだった。騎士たちが着ているものより、幾分か豪華だったそれは、確かにパーティーで注目を集めていた。仕舞には、来賓で来ていた他国の王女様が私を男だと勘違いし、婚約の申し込みをしてくる始末だった。
「すまない。男装はもうするなと、お母様から言いつけられてしまったのだ」
「そんな……」
婿探しのためにはやはり『勇者』ではなく『令嬢』でなくてはならない。美しいドレスに髪飾り、アクセサリーを纏えば、こんな私でもそれなりに見える。正直に言えば、最初は「すぐ相手は見つかるだろう」と楽観視していた。『勇者』で『公爵家令嬢』の婿だ。手を挙げるものなど、いくらでもいるはずと――だが。
「しかし、我慢して見合いし続けた結果がこれとは……。嫌になってくる」
「うう、アリステラ様……!」
ぎゅう、と抱き着いてきたエリーの髪を、そっと撫でる。こうしてエリーと気安くできるのは、お互い平民に変装しているからだ。公の場では、こうはいかない。レインも、ゲオルグも……。もう、私への態度は『公爵家令嬢』への態度でなければならないのだ。それを寂しく思う自分がいて、嫌になる。もう、『勇者』として旅に出ることは叶わないというのに。
「不思議だな。最初は、魔王討伐などごめんだと思っていたのに。今は、エリー達と離れるのが寂しくて、もう一度旅に出たいと思っているだなんて」
「アリステラ様……!」
頬を赤く染めるエリーの肩をそっと掴んで、体を引き離す。もう、遅い時間だ。そろそろ送ってやらないと。
「屋敷まで送ろう。護衛は巻いてきたのだろう?」
「は、はい……。ああ、どうして……」
「ん?」
「私が男性だったら、絶対アリステラ様に求婚するのに。どうして、世の男性たちにはこんなにも見る目がないのでしょう?」
呪いにでもかかっているのでしょうか、と憤慨するエリーに苦笑いする。そんな風に言ってもらえて光栄だが、残念ながら男たちに見えているのは現実なのだ。私の『年齢』という現実……。
「お代はここに」
「おう。男前の兄ちゃん、またおいで」
「…………ああ」
長い髪を縛り、帽子の中にしまっているせいだろう。店主は私を男だと勘違いしているようだ。……自分で変装しておいてなんだが、そんなに男性に見えるだろうか? 確かに、身長も筋肉もあるが……。
「アリステラ様、お別れするのが寂しいです」
「ああ、私もだ。だが――」
酒場を出て、しばらくした時――ふと怪しい気配を感じ、振り返った。意識を集中させ、路地の方をじっと見つめる。……間違いない。
「魔王軍の残党か? ……出てこい。でなければ、殺す」
私の言葉に、エリーがすぐさま戦闘の構えをとる。もう、慣れたものだ。
「ふん、流石は勇者。よく気づいたな」
「……」
路地から姿を現したのは、フードを被り、体中に包帯を巻いた男だった。負傷の具合からして、私たちと戦って敗れたのは間違いないだろう。漏れ出す魔力から、魔族であることが分かる。顔はよく見えない――声に聞き覚えがあるような気がするが、思い出すことはできなかった。何百もの魔物、魔族と戦ってきたのだから、当然だろう。
「魔族とは、停戦協定を結んだはずだ。何をしに来た?」
そう――人間を殺す命令を出していた魔王を屠った後、私たちは魔族の宰相と交渉し、停戦協定を結んだ。魔族の中には、人間との共存を望む者もいる。そのすべてを滅亡させる気は、最初からなかった。だから、協定を結んだ。お互いに危害を加えない、という協定を。
「ふん、決まっているだろう! お前に復讐しにきたのだ!」
「……はぁ?」
復讐? ……こいつ、協定を無視する気なのか?
「協定を破ればどうなるか、理解して言っているのか?」
国王陛下は、魔族は危険だから殲滅した方がよいのではないか、とお考えだった。それを説き伏せることができたのは、あの協定があってこそ。それなのに、こいつは復讐のために魔族すべてを危険に晒すつもりなのか?
「協定は『人間の国との戦争、人間への暴力・殺戮・略奪行為の禁止』だろう? ふん、俺はそんなことはしない」
「……? なら、何をもって復讐をすると――」
「もう、始まっている。俺は、お前に呪いをかけてやった」
ざわりと、肌が粟立つ。……呪いだと?
「どんな呪いか……心当たりはあるか?」
「……」
「この国へ着いてすぐのことだ。俺は、お前に関する噂を聞いた。……婚約者に捨てられたと。八年も魔王討伐のため、身を費やしたにも関わらずだ」
鼻で笑ってきたそいつに、ぐっと拳を握り締める。
「この国では、未婚の女は生き辛いらしいな。実にくだらないことだ。それで、お前は結婚相手を探し始めたと――だから俺はかけてやったのだ!」
「なにを――」
「クズ男としか出会えない呪いをな!」
びしりと私を指さし、叫んだ魔族に呆気に取られてしまう。今、なんと……。
「ま、まぁ! ではアリステラ様がろくでもない男とばかりお見合いしていたのは――」
「ふふん、俺の呪いによるものだ!」
ざまぁみろ、と――そいつが言い終える前に、私は間合いを詰めそいつの胸倉を掴み、地面へ押し倒した。簡単に抑え込まれたそいつは、「ぐっ」と苦しげな声を漏らす。私は短剣を出すと、そいつの胸元へ切先を押し当てた。
「呪いを解除しろ。今すぐに」
「……俺には解除できない。解除する方法は、ただひとつ。大陸の端にある、エルンの湖の水に浸かることだ」
エルンの湖――確か、伝承にあるどんな病や呪いも解くことができるという……?
「ただし、五年だ」
「ご…っ」
「五年間、毎日……エルンの湖に浸からねば、呪いは解除されない」
つまり――つまり私は、更に行き遅れるか、クソ男と結婚するか。どちらか選ばねなならないと……。
「試しに、お前を殺してみていいか? 呪いが解けるかもしれん」
「ア、アリステラ様! 落ち着いて下さい!」
「そうだ、落ち着け。あの協定は『お互いに』害さないというものだろう?」
魔族の言葉に、ぎり、と奥歯を噛み締める。……その通りだ。こいつを今、私が殺せば勇者自ら協定を破ったことに――。それも、こいつの狙いなのか?
「俺の呪いは、暴力でもなんでもない。ただお前が結婚できなくなるだけだ」
結婚、できなくなる『だけ』だと……?
「俺のすべてを――魔王陛下を奪ったお前が幸せになるなど、絶対に許さない」
低く唸るようにそう言った魔族に、思わず手を離していた。瞬間、魔族は駆け出し、路地の闇へと消えていく。
「アリステラ様、逃がしてしまってよかったのですか!?」
「……構わない」
クズ男としか出会えない――か。
「あんな呪いのために、奴を拷問して協定を破る気はない。この国が一番大切だ」
「アリステラ様……!」
感動しているエリーを他所に、私は呆然と夜空を見上げていた。選ぶだけ選んで、討伐の時も一度も自分に手を貸さなかった神に祈っても、どうにもならないことは分かっている。それでも、今は問いかけずにはいられなかった。
ああ、神よ……。私の人生をめちゃくちゃにして、満足ですか?




