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十年前――魔族を率いる魔王が、急激に勢力をつけ、人間たちを襲い始めた頃。この国に神託が下った。
「勇者たちよ。人々を脅かす魔王を打ち倒し、この大陸に平和をもたらすのです――」
神の言葉に従い、国王は『勇者』を探し出した。一人は、漆黒の髪を持つ聡明な齢二十二の魔導士。一人は、強靭な肉体と精神力を持つ、齢三十の戦士。一人は、亜麻色の髪を持ち人々を癒す、齢十六の少女。そして最後の一人は――金色の髪と青い瞳を持つ、この国で一番高貴な乙女。
国王は神の名の元に、四人の勇者に魔王討伐の任を与え、送り出した。
それから八年――。
「勇者様のご帰還だ!」
故郷に足を踏み入れるなり、門番の兵が声を張り上げた。瞬間、大衆が歓声を上げ、空気を震わせる。城下町の人々は、ようやく帰還した『勇者一行』を見ようと、我先にと沿道へ駆け出してきた。警備兵たちが押し掛ける大衆を抑え込む中――私たち『勇者一行』は城へ向かい歩みを進めた。
長かった――本当に。もう、国を出発して八年が経つ。魔導士、ヒーラー、戦士――そして『勇者』。私たちはたった四人で、人々を脅かす魔王を打ち倒し……ようやく今日、故国へ凱旋した。
「公女様、よくぞ御無事で……!」
「おい、じいさん。公女様じゃないって。勇者様だろ?」
「救世の勇者様……! なんて凛々しいのかしら……! 素敵……!」
詰めかける人々に手を振ると、黄色い声が上がる。そんな私を見て、戦士が呆れたように肩を竦めた。
「おいおい、大人気だな。『勇者様』?」
「やめろ。今まで一度もそんな風に呼んだことはないだろうが」
「いつも通り、お嬢ちゃんでいいって?」
「……そうだな。もう、国へ戻れば呼べなくなるだろうから、存分に呼んでおけ」
私の言葉に、戦士は一瞬息を飲んだ後、「ああ、そうだな」と少し寂しそうな顔になる。私たち勇者一行は、神託を元に選ばれた。魔導士は、宰相閣下の長男で将来が約束された優秀な男。ヒーラーは平民の少女で、招集された時はまだ十六歳だった。同じく、平民から選ばれたこの男……戦士は、結婚したばかりで妻のお腹には子供もいた。皆、望んで魔王討伐になんて、行きたいはずもない。
かくいう私もそうだった。この王国で唯一の公爵家の令嬢で、剣など一度も握ったことなどなかったのだから。国王陛下から命令が下った時は、お母様は気丈に振舞いながらも影で涙を流しておられたし、お父様も「国王陛下のご命令ならば、必ず成し遂げるように」と言いながらも、家宝の剣を私その手は震えていたのを今でも覚えている。
「お父様、お母様――私、必ず帰って参ります」
覚悟を持ってそう告げたものの、出征の時から既に心は折れそうになっていた。重いものと言えば、せいぜい裁縫用のハサミくらいしか握ったことのなかった小娘が、勇者に任命され出征するのだ。その姿に、周囲の人々はあからさまに不安げだった。国王陛下ですら、そうだった。第一王子の婚約者である私を、勇者として送り出すのは非常に心苦しいことだとのお言葉も賜った。
「どうか無事に帰って来るのだ。……何もできない私を許してくれ」
「殿下……。はい、必ず」
婚約者である第一王子は、震える声でそう言うと、国宝である鎧を授けてくれた。ドワーフの鍛えた、伝説級の防具――とはいえ、それを纏うのは、戦闘経験など微塵もない小娘である。
「お嬢ちゃん、そんな風で大丈夫か?」
「……も、問題ございませんわ」
「まったく、先が思いやられるな」
鎧の重さで、疲れ果て、度々他のメンバーよりも早く足が止まる私に、戦士は憎まれ口を叩き続けた。……あの時は、身分の差があるにも関わらず気安い態度で、更に自分を批判してくる戦士――ゲオルグに随分と腹が立ったものだが、今ならわかる。あれは、私を心配してのことだったのだ。
「魔法で少し鎧を軽くしましょうか」
「レイン、やめとけ。嬢ちゃんのためにならねぇよ」
「で、ですが公女様は本当にお辛そうですよ……」
心配と言えば、魔導士のレインと治療士のエリーも、いつも私を気にかけてくれていた。おそらく、箱入り娘の私は二人がいなければ途中で心が折れてしまっていたことだろう。何せ、戦士が私を『訓練』と称し散々いじめてくれたのだから。
「嬢ちゃん、本当に神に選ばれた勇者なのか? ……こんな細い腕じゃ、剣を持つのでやっとだろ」
「……そんなこと」
私の方が聞きたいです、と。そう絶叫しなかったのは、お父様とお母様、そして婚約者の顔を思い出したからだった。皆が信じて待ってくれているのに、泣き言など言っていられない。
私は、魔王城への道のりの中、必死に訓練を続けた。戦士に、魔導士に頼み込み――剣の腕を磨き、少しだが魔法も覚えた。一年経つころには、戦士と魔導士に頼ることなく、一人で魔物を退治出来る程にまで成長したのだ。
魔物や魔族を倒し、戦闘に明け暮れる日々――残念ながら、神に選ばれた勇者でありながら、神に助けられることはなく。死にかけたことは、何度もあった。魔族に腕を千切られかけたり、腹を剣で貫かれたことも。
それでも、戦い続けたのは……全て故国のため。愛する人々のため。
「魔王を倒し、帰ってきたら結婚式を挙げよう。君を妃とし、生涯愛し抜くことを誓う」
――私を信じて待ってくれている、婚約者のため。
剣を振い続け、八年。ようやく私たちは魔王城へたどり着き、魔王を打ち倒した。その時の喜びは、今でも忘れない。私は、強くなった。おそらく、誰よりも。だけど、心の奥底にあるものは変わらなかった。お父様、お母様、国王陛下……。公爵家のみんな。そして……第一王子殿下。ようやく、彼らに会えるのだと胸の内は喜びでいっぱいだった。
「ああ、長かったな。ようやく国へ帰れるぞ、アリステラ!」
「っ、ああ! 八年か――」
八年もの歳月を費やし、魔王を倒した勇者。そして、その一行。皆に感謝されぬはずもなく、人々からの名声も、国からの褒章も、莫大なものとなるだろう。当然――これから先、私たちには明るい未来が待っている。この時は、そう信じて疑わなかった。
――それなのに、この有様はなんだ?
「よくやってくれた! 勇者、アリステラ――我が姪よ!」
「…………」
国王陛下に謁見した私は、跪くのも忘れてぽかんと玉座を見上げてしまった。それは、そうだろう――その膝の上に、第一王子そっくりの幼子が座っていたのだから。呆然としながら、ちらりと視線を向けると、傍に控えていた第一王子がすいっと私から視線を逸らした。
「アリステラ、レイン、エリー、ゲオルグ。貴殿らの働きで、我が国……いや、人類は救われた。大義であった」
「……」
「それぞれに褒美を用意しておる。凱旋パーティーも開く予定だ。準備をしておいてくれ」
「……」
「えー、あー……。……アリステラ?」
返事をしない私に、国王陛下が気まずげに声を掛けてくる。私だけでなく、後ろの三人も凍り付いたまま、陛下を見上げていた。それもそうだろう、帰り道に散々話していたのだ――第一王子との結婚について。
結婚式は盛大になるだろう、とか? 子供は何人欲しいか、とか? 向こうに似た方がおしとやかでいいだとか、戦士が余計なことを言って。喧嘩になったり――それなのに。
「第一王子殿下の、お隣の方は……」
それなのに、第一王子の隣には冠を被った女性。そして国王の膝の上には、王子そっくりの幼子。……これで察しないほうが、どうかしている。私の問いに答えたのは、王子ではなく国王陛下だった。
「ア、アリステラ。すまない、君に話す……機会がなくて」
「……『機会』」
はっ、と思わず鼻で笑ってしまい、レインに後ろから腕を引かれた。だが、私には憤る権利がある。叔父である国王陛下に対し、今まで礼儀は守ってきた。しかし、今日ばかりは別だ。
「そうでしょうね、八年も魔王討伐に出ていたのです。話す機会などあるはずもありません」
「アリステラ……我が姪よ。落ち着いておくれ」
「陛下。……私と第一王子は婚約していたはずですが? その方はどなたなのです?」
「……今は、第一王子ではなく王太子だ。そして、隣にいるのは――王太子妃で。この子は、その、二人の息子だ」
「つまり?」
察せよ、と言わんばかりの物言いに腹が立ち、続きを促した。国王は第一王子改め、王太子の方を見たが、彼は自分で説明する気がないようである。心底呆れかえって、私は「つまり?」と再度続きを促した。魔王を屠れる程に力をつけた私に凄まれ、国王は気圧された様子だ。八年前に送り出した公女とは、別人であると悟ったようで、観念したように話し出した。
「アリステラ。八年……八年経ったのだ。王太子も、魔王討伐にこれほど長くかかると思っていなかった。王太子は、結婚し、国を治める義務がある。それで、私が強引に縁談を進めたのだ」
「結婚で、国を治める? ――婚約者の私には、魔王を討伐に行かせておいて、ですか。それに、王太子妃の座を空けて、側室に迎えるという手もあったのに、それはしなかったと?」
「最初はそのつもりだったのだが、その、側室に娶る前に世継ぎができてしまっては……。すまなかった、アリステラ」
国王陛下に謝られても、気分は晴れない。それどころか、最悪だ。自分が愛し、信じていた相手が……自分の過ちを自らの口で説明せず、父親任せにする男だったなんて!
「賠償と、魔王討伐の褒章については十二分に用意するつもりだ。だが、君がどうあっても正妃の座を望むならば――」
「いいえ、結構でございます。賠償と褒章については、こちらの言い値とさせて頂きましょう。領地もいくつか頂きます。構いませんね?」
「うむ……、そうだろう。仕方あるまい……」
……仕方ない? なんだ、その返答は。自分の息子のしでかしが原因ではないのか。相手が国王陛下でなければ、胸倉を掴んでそう叫んでやりたいところだ。
「ああ、我が弟――公爵と公爵夫人が君を待っている。あまり長居させてはいけないな」
「……ええ。それでは、失礼いたします」
私が踵を返し、謁見の間を出ると他の三人もあとに続いた。皆、言葉もないようで気遣わし気に私を見つめている。私は無理矢理笑顔を作ると、「あんなクソ男と結婚することにならなくて、本当によかった」と吐き捨てた。
「お、おう! 嬢ちゃん、その通りだ! お前はいい女になった。いくらでも嫁の貰い手がいるさ!」
……ゲオルグ。この八年、「お前に嫁の貰い手なんかいるのか? 料理もできねぇとは」なんて文句を言い続けていなかったか? らしくもない言葉で励ますのはやめろ。
「アリステラ様、お気を確かに。……アリステラ様を大事にして下さる方が他にいらっしゃいますよ」
レインーーお前は一時期、私に好意を寄せてくれていたな。婚約者である第一王子がいるからと、断った時は肩を落としていたっけ。……まぁ、今はエリーと付き合ってるけど?
「き、貴族のことはよくわかりませんが、アリステラ様はすっごくお綺麗ですし、まだ――」
エリーの言葉が、ぴたりとそこで止まる。……『まだ』の先の言葉が予測できてしまった。残りの二人もそうだったのだろう、少し顔色が悪い。
「あ、あの、アリステラ様……」
「そう、だな。……私は『まだ』二十八歳だ」
二十八歳――男性ならば、適齢期。しかし、女性にとっては……完全に行き遅れの年齢。魔王討伐出征の時は、結婚のことなんて一切心配していなかった。むしろ、命があるうちに帰って来られるのか、そればかり……。
……そうか。そうだ。八年も経ったのだ。年も取る。
二十八、か……。
「見事に……行き遅れてしまったなぁ」
私のつぶやきに、他の三人は何も言わず、ただただ俯いていた。




