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死刑確定から十八年の月日が流れ、泉寸七翁は六十一歳になった。
死刑が確定した受刑者は刑務所ではなく、全国七か所にあるいずれかの拘置所に送られる。移送された寸七翁は、独居房で読書の日々を過ごしていた。ただし、寝そべることは許されない。
毎朝七時起床。朝食・昼食・夕食が決まった時間にあり、それ以外は狭い薄明かりの部屋の中で一日を過ごし、二十一時ごろ就寝。このルーティンが変わることはない。会話は刑務官とだけで、それも点呼の際の返事と読書や新聞、日記帳の申請時だけでそれ以外の無駄話は一切禁じられている。
日本における死刑確定から執行まで、平均すると十五年から二十年くらいなので、これは精神的にかなりの苦行といえる。そして同時に遺族にとっても同様で、憎い殺人者の早期執行を望むが、司法に限らずこれまでの前例に倣うのが歯がゆいところだろう。
死刑以外の犯罪者(無期懲役も含む)は刑務所に収監されるわけだが、一日の変わることのないルーティンこそ死刑囚と同じだが、彼らには朝起きてから”刑務作業”という、縫製・木工・印刷・陶芸などの工場作業や施設内労務に官公庁から委託された受託作業などの仕事が与えられる。
死刑囚の自由時間とされている時間が、彼らの労務時間で、平たくいうと世間一般の人々とあまり変わらない労働時間を送っている。その対価は、時給でいうと十円から十五円くらいで、仕事の熟練度が上がっても二十円にも満たない。つまり、一日八時間労働をしても最大で稼げるのは百六十円ということになる。
だが、一般社会と明確に違うのは労務時間中も常に刑務官の監視の目があって、さぼったり、何かをくすねたり、誰かを威嚇したり、ということがないよう見張られている。囚人のことを刑務官が呼ぶときは番号だが、この主目的は看守と囚人の感情の介入を防ぐということのようだ。
これらはすべて社会復帰のためのプログラムで、この稼ぎが受刑者が出所したときの支度金となる。世の中の多くの場所に彼ら彼女らが刑務所内で作った民芸品や小物があり、そうとは知らない世間の人々がそれらを買っていく。
ここまでを見ても一見、死刑囚が楽でいいように感じるが、よくよく見ると日々変化なく、話し相手もなく、行動範囲は六畳ほどの狭くむき出しの便器のある部屋での毎日。そんな生活を十五年近くするとなると、精神が不安定になり刑務官の目を盗んで自殺を図る者がでてきても不思議ではないのが実情で、まさに生き地獄だ。それでも彼らに対して憐憫の感情をもつ者はいないだろう。殺人を犯すとはそういうことだ。
寸七翁は早く死刑を執行してほしかった。だが彼の気持ちとは裏腹に弁護人が再審請求を繰り返していた。
つまり、死刑確定から六か月以内に執行すべし、と法律上ではなっているが、案件が審理中扱いとなっていてずっと引き延ばされている。彼に限らず、ほぼすべてのケースで本人が早期の死刑を望もうが望むまいが、手続きを弁護人がする以上、書類上の審理で次々に待ったがかかり十年以上に及ぶことになる。仮に審理が終わっても、その時の法務大臣が命令を出さないと刑は執行されない。そして、その多くは大臣がその命令を下さない。死刑囚の三食、白米とみそ汁と主菜の三品が日々必ず出されている。それは国民の税金で賄われていることはいうまでもない。二十一世紀も二十五年が過ぎたが、この二十年を振り返っても、死刑確定者は百五十数名が常にいるが、年間を通して執行される者は一から五人。これがいまの日本を表している。
その日はようやく訪れた。
午前六時過ぎ、複数の足音が近づいてきて寸七翁の独居房の前で止まった。所長を筆頭に死刑執行の立会人の面々が並び、いつもの刑務官がドア越しに静かに告げた。
「泉、支度をしてくれ」
布団から半身を起こして彼は返事をすると、畳の上にたたんであった服を着た。布団もきれいにたたんで部屋の隅の所定の位置へ置いた。
寸七翁に取り乱した様子がないことを確認すると、ひとりの刑務官を残して他は下がっていった。
七時になっていつも通り朝食が出されたが手をつけることはしない。日本にはいわゆる”最期の晩餐”というものはなく、粛々と予定通りに事は進行する。もうここまできて暴れたり騒いだりする者もいない。
その後、教鞭師の祈りがあり、八時になって房を出ると、前後を刑務官に挟まれて冷たい廊下を進む。身体の前で組まれた両手首は紐で拘束されている。一枚の重い鉄扉を開けるたびに鍵の金属音が響いて不穏な空気が包んだ。
そして執行室の前で刑務官が足を止めると、扉の前で先に待機していた医務官が寸七翁の体調を確かめると、所長が一歩前に出て両手を突き出し執行命令書を読み上げた。
「泉寸七翁。法務大臣の命により、これより刑を執行する」
彼は布で目隠しをされて室内に入ると、刑務官の支えで執行台の中央へ導かれ、太い首紐を通された。足元は下へ開く観音開きになっている。別室では三人の刑務官が同時にボタンを押し、そのいずれかひとつが死の扉を開く回路に繋がっている。
ふと身体が浮き、一瞬の快感と恍惚をみたあと、いいようのない苦しさが首より脳に負荷をかけ、寸七翁は六十一年間をフラッシュバックさせていた。飼っていたオカメインコのピコのことが鮮烈に浮かびあがり、彼は死の淵で笑った。




