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薄い白布のカーテンが、静かな空調の風にふわりと揺れる。朝の光が半透明の窓を透かして、柔らかな金色の粒となって室内に降り注いでいた。
新生児たちがいる入院室は、透明な保育器がいくつも整然と並び、ひとつひとつの中に、まだ世の中を知らない赤子たちがすやすや眠っている。鼻の頭にかすかな汗、握りしめた拳。胸が上下にゆっくりと動くたびに、酸素モニターのライトが点滅する。ピッ、ピッ、と一定のリズムが部屋の静寂を細く縫っていた。
看護師が巡回している。名札のついた小さなベッドをひとつずつ覗き、体温計をそっと差し込む。彼女は記録用紙に全員分を記入すると部屋をあとにした。
彼ら彼女らの未来はここからはじまっていく。
「主文、被告人を死刑に処する」
法廷内に裁判長の声が沈み込むように響いた。
その言葉を聞いても、泉寸七翁の表情は変わらなかった。まるで蝋で固められた像のように、眉ひとつ動かない。
張り詰めた静寂が場を包み、傍聴席のあちこちから息を呑む音が重なる。嗚咽をこらえる遺族の姿や顔をハンカチで覆ってうずくまる者。一区切りがついたと大きく息をつく者と、さまざまな感情がそれを表現していた。
主文を聞いて、報道席の一角で記者が一斉に立ち上がった。机の下に置いたノートパソコンを抱え、出口へ駆けだす。第一報を報道するためだろう。すでに外にはマスコミ各社と野次馬たちが道路に密集している。
ドアの開閉音がして、床を蹴る革靴の乾いた響きが残った。数名の記者がすでに廊下へ消えた。電波をつかもうとケータイを掲げる姿もある。
その音の波が去ると、法廷には再び重い空気が戻ってきた。
裁判長は小さく咳払いをし、判決理由の朗読に移る。「本件は、極めて残虐かつ冷酷非情な犯行であり、更生の余地は認められない──」
淡々とした声が、木造の天井に吸い込まれていく。寸七翁は、両膝の上で重ねた自分の手を見つめていた。その指には細かな傷跡があり、乾いた皮膚の隙間から血管が透けて見える。
その肌に触れる冷たい空気と刺す視線を背中に感じていたが、心はまるで空洞のようだった。
令和☓年☓月☓日午後一時ごろ、泉寸七翁は自宅から数キロ離れた比較的大きな幼稚園に金属バットを持って侵入。保育士を含む園児を次々に殴打した。みな頭部を中心に複数回殴られ八名が頭蓋骨陥没や複雑骨折で重症、十三名が脳挫傷で死亡した。近隣の主婦が通りかかり、悲鳴を聞いて通報、現行犯逮捕となった。
寸七翁は無職で、犯行動機は人生に疲れた、というものだった。生きがいもなく、もう死にたいが自殺する勇気はない。そこで司法というこの国の制度を利用する方法を選んだ。大量殺人はできるだけ短く速く。簡単かつ、より確実に実行できる場所として、老人ホームと迷ったが、おそらく職員の成人男性比率が少ないであろうと目星をつけて、彼は幼稚園を選んだのだという。
弁護人が横目で彼を窺った。
情状を訴え続けたが、最後まで本人には届かなかった。判決は想定の範囲内だったが、それでも彼は唇を噛みうつむいた。
逮捕、起訴からこの第一審まで、およそ一年四カ月。控訴を本人が望んでいないので、死刑はこのまま確定するだろう。これは異例の早さといえる。その多くは、この後上告するし、精神鑑定も行うのが通常だ。そうなってくると、それから弁護人と検察の綱引きがはじまる。仮に刑が確定しても、これまた法務大臣が命令を出さないと、いつまでも刑は執行されない。そんなこんなで、あっというまに五年、八年、十年と月日は過ぎていく。遺族には辛い時間だが、これが稀ではなく日本では当たり前の現状ということだ。
彼は国選弁護人だ。
持ち回りで巡ってきたが、案件を詳細に見ずとも、世間をおおいに沸かせていた事件の弁護だ。限りなく十に近い割合で負ける裁判だった。
世間ではよく、あんな犯罪者の弁護をするやつの気がしれない、などというが、もちろん弁護士の誰もが好き好んで凶悪犯罪事件の弁護人を買って出ているわけではない。被疑者もしくは被告人の人権保護と司法制度全体の公正維持の使命は義務だからだ。
だが寸七翁は、そんな弁護人の感情に一片の興味も示さない。この期に及んで”死刑”という言葉に、恐怖も安堵も拒絶もなかった。
生と死は、もう彼の中で同義だった。
「被告人、最後に何かいいたいことはありますか」
裁判長の声が再び法廷内に響く。
寸七翁は、ゆっくりと顔を上げた。
「ありません」彼の声は思いのほか柔らかく、落ち着いていた。
裁判長は一瞬口を開きかけたが、言葉を呑み込み左右の裁判官と目を合わせ、ちいさく頷きあうと視線を手元へ戻した。
「それでは、これにて閉廷します」
すると近くに控えていた警備員が寸七翁のもとへ歩み寄り、無言で手錠をかけた。
金属が擦れる高い音が、法廷内の隅々まで響いた。
「人間じゃない……」
誰かが傍聴席でつぶやいた。怒りでも恐怖でもなく、ただ呆然とした声。これまでに寸七翁から遺族への謝罪の言葉もついになかった。
その声は聞こえているはずだが、寸七翁に反応はない。まっすぐ前を見据えたまま、ゆっくりと立ち上がる。
報道陣が再びざわめいた。シャッター音が強烈なフラッシュと共に降り注ぐ。
その光の中を、前を向いたまま彼は無表情で進んだ。




