第五話:銀河の歓迎プロトコル
朔が、さくちゃんたちの微笑ましいやり取りから、瞬時に意識を切り替えた。その瞳には、先ほどまでの柔らかな光はなく、全てを見透かすような、冷徹な神の光が宿っている。
「…異銀河宇宙、ですって? さすがに、そこまでは私の『銀河の眼』も届いていなかったわね。で、そのエネルギー反応の詳細は?」
『詳細なパターン解析を進めた結果、これは、我々の銀河(天の川銀河)とは根本的に異なる物理法則、あるいは高次元構造を持つ「異銀河宇宙」からの、意図的な『干渉』、あるいは我々の銀河に対する『観測』の可能性が極めて高いと判断されます。エネルギーの質、量ともに、これまでの「侵食因子(コードネーム:亜)」のそれとは比較にならず、より組織化され、かつ高度な知性を持つ存在によるものである可能性が濃厚です』
シロが投影したホログラムには、天の川銀河の遥か彼方、漆黒の宇宙空間に、不気味な紫色のエネルギーの揺らぎが、まるで深海のクラーケンの触手のように、こちらを窺っているかのような映像が映し出された。
朔は、その報告に一瞬だけ眉をひそめ、表情を曇らせた。だが、すぐに、その口元にはいつもの不敵な、そしてどこか楽しげな笑みが浮かんだ。
「ふーん、ディープ・エコーの奴、ただじゃ転ばなかったわけね。自分だけじゃ無理だと踏んで、別の銀河で『お友達』を作って、こっちにちょっかい出して来ようってことかな。 しかも、『お友達』は、なんだか得体が知れなくて、ちょっと面倒くさそうな感じね。面白そうじゃない、望むところよ。で、その『お友達』、もうこっちに何か送り込んできてるわけ?」
彼女の声には、新たな「ゲーム」の始まりを予感させる、確かな高揚感が含まれていた。
地球の「箱庭」が安定期に入り、少しだけ手持ち無沙汰を感じ始めていた彼女にとって、この異銀河からの「挑戦状かもしれないもの」は、格好の刺激となるのかもしれない。
その直後。
シロ(システム)のメインコアが、一斉に警告の赤色に染まった。
『 警告! 未知のエネルギーパターンを検知! 銀河系外からの侵入者! 識別コード:ディープ・エコー!』
『対象は、不明な勢力に所属する次元哨戒艇三隻と、同勢力配下の神柱百柱を伴っています!』
シロの管制AIの声は切迫し、その白い球体の表面は、激しい明滅を繰り返していた。
【月詠朔:神域(旧六畳間)】
(……こんなに早く出戻ってくるとはね。それに、お友達も連れてくるなんて、律儀なこと……システムが警戒していた、異銀河の勢力であれば、尚のこと。あのディープ・エコーが、こんなたくさんのお友達と一緒に帰ってくるなんて……)
彼女の表情に、怒りと、どこか楽しげな色が見え隠れする。失われたルナ・エコーたちへの弔いの炎は、まだ冷めていない。
「シロ。ディープ・エコーの艦隊の侵入経路と、現在の詳細な位置情報を、全て私に投影して。そして、彼らの艦隊が発するエネルギーパターン、構成物質、そして、その艦隊に搭載されているであろう全ての情報収集装置のスペックを、解析しなさい。一つたりとも見落としてはだめよ。それと、その艦隊のあらゆる行動に対して、感知しうる最大の監視レベルを設定し、二重三重のセーフティプロトコルを展開しておいて。万が一、彼らが想定外の挙動を見せた場合でも、即座に対応できるよう、最大限の備えを怠らないで」
ルナ・サクヤは、冷静に指示を出す。
『了解しました、ルナ・サクヤ。解析結果を投影します。……対象艦隊の移動パターンから、天の川銀河のエネルギー資源の探査、及び、貴殿の特定を最優先任務としていると推測されます。また、彼らは現在、当システムの広域監視網の存在に気づき、警戒を強めています』
シロが投影したホログラムには、天の川銀河の銀河系図が展開され、その外縁部に、ディープ・エコー率いる小型艦隊が、まるで獲物を探すかのように、しかし非常に慎重に移動している様子が映し出された。彼らの艦隊の動きは、確かにルナ・サクヤとシステムが構築した監視網を警戒しているように見える。
「……ふふふ。もうどこにも死角などないのよ、ディープ・エコー。システムの監視網は、とっても優秀だからね。すでに、この天の川銀河で見えないものはないもの。まさか、この天の川銀河が、私たちの掌の上にある、巨大なチェスボードになっているとは、思ってもみなかったでしょうね」
ルナ・サクヤの口元に、不敵な笑みが浮かんだ。
彼女は、直接的な戦闘をすぐに仕掛けるつもりはなかった。未知の異銀河勢力との全面衝突は、この段階では非効率的。地球の「ファンタジーゾーン」計画も、まだ初期段階だ。まずは、彼らの目的を探り、その戦力を正確に把握すること。そして何よりも、この天の川銀河には、彼らが想像もしないような圧倒的な存在がいるという事実を、骨身に染みて理解させる必要がある。
「シロ。『銀河の歓迎プロトコル』を発動します。彼らに、私からの『歓迎』を、最大限に、そして理解しやすい形で示してあげなさい」
『了解しました、ルナ・サクヤ。「銀河の歓迎プロトコル」を起動します。具体的な内容は?』
「ふふっ。まずは、彼らの進行方向を、特定の観測エリアへと『誘導』してあげましょう。そして、彼らが探査能力を過信し、無駄なエネルギーを消費している間に、私からの『挨拶』を送りつけてあげるわ。もちろん、物理的な干渉は最小限に。あくまで『見えない手』で、彼らの心を揺さぶるのよ」
ルナ・サクヤの意志が、シロを通じて、天の川銀河全域に張り巡らされた「システム」のネットワークへと伝播する。
ディープ・エコー率いる次元哨戒艇の艦隊は、銀河の監視網を掻い潜ろうと、必死に、そして巧妙に航行を続けていた。
(……よし。この星雲の陰に潜めば、しばらくはあの月の女神の監視網から逃れられるはずだ。まずは、この宙域のエネルギー反応を詳細に分析し、ドン・ヴォルガ様に報告を…!)
ディープ・エコーがそう考えた、その瞬間。
彼の艦隊の進行方向の、まるで何もないはずの宇宙空間に、突如として、目に見えない「壁」が出現したかのように、空間が微かに歪んだ。艦隊のセンサーが異常を感知し、警告音を鳴らす。
「な、何だ!? エネルギーシールドか!? いや、違う…これは…空間そのものが捻じ曲げられている…!?」
艦隊の航路が、強制的に、しかし緩やかに変更されていく。それは、まるで目に見えない巨人の掌で、進路を誘導されているようだった。
そして、誘導された先の宙域。
そこは、何の変哲もない星間空間だった。だが、艦隊がその中心に到達した途端、周囲の星々から放たれる光が、奇妙なほどに増幅され、空間そのものが、まるで万華鏡のように美しく、しかし幻想的に輝き始めた。
それは、ルナ・サクヤが、サンクチュアリ・ゼロのクロノス・ヴェールから微量なエネルギーをリークさせ、特定の空間に高次元の光を投影したのだ。
ディープ・エコーの艦隊のセンサーは、その異常な光の現象を解析しようと試みるが、その光は、彼らの解析能力を超えていた。
「艦長! 光のパターンが、解析不能です! これは、我々の知るいかなるエネルギー体とも異なるようです…!」
「こ…これは、あの月の女神といわれる者が…!?」
神柱たちの間に、動揺が広がる。
その混乱の最中。
ディープ・エコーの乗る旗艦のメインコンソールに、突如として、一つのデータパッケージが、唐突に現れた。
発信元は不明。しかし、そのデータは、艦隊のセキュリティを易々と掻い潜り、直接コンソールに投影されたのだ。
それは、小さなホログラム。
中には、地球の「ファンタジーゾーン」で、ゴブリンを相手に奮闘する冒険者たちの映像。そして、その映像の端には、あの「システム」のマスコット端末、シロが、子供たちと遊ぶ小野寺さくちゃんを見つめて、時折、ルナ・サクヤの悶絶するような声が混じる謎の通信記録が、不可解なデータとして記録されていた。さらに、その奥には、世界一美味しい抹茶ケーキのレシピと、「ご褒美は、ちゃんと待っていれば来るものよ」という、どこか子供じみた、しかし有無を言わせぬメッセージが、隠しコマンドのように埋め込まれていた。
「なんだ...これは…!?」
ディープ・エコーは、その不可解なデータに混乱を極めた。
それは、ルナ・サクヤからの、理解不能な「挨拶」だった。
(……ふふん。これで、私の『歓迎』の意図は、少しは伝わったかしら? ディープ・エコー。この銀河は、あなたたちの思い通りにはならない。そして、私の『ゲーム』は、あなたたちの想像を超えているのよ、ってね)
ルナ・サクヤの口元に、満足げな笑みが浮かんだ。
彼女は、ディープ・エコーがこの「歓迎プロトコル」をどう受け止めるのか、そして、それに続く異銀河の勢力への反応を、静かに、しかし興味深く見守ることにした。
天の川銀河の運命を賭けた、壮大なチェスボードの、最初の駒が、今、動いたばかりだった。




