第四話:萌芽と目論見
六畳間の情報ステーションは、朔にとって新たな日常の一部となりつつあった。
モニターに映し出される世界の喧騒をBGM代わりに、彼女は黙々と自室の再構築と、そしてアタッシュケースの中の装備の「調整」を進めていた。
あの「システム」から与えられた限定的な権限――装備のカスタマイズと強化。それを試すのは、奇妙な高揚感を伴う作業だった。
ライフルの銃身をほんの少し短くし、取り回しを重視してみたり、スーツの素材の感触を変え、より気配を消しやすいようにとイメージを投影してみたり。明確な効果があるのかはまだ未知数だが、自分の意図が反映される感覚は、プラモデルを組み立てるのに似た没入感があった。
そんな作業の合間に、朔は定期的に外部の情報をチェックする。
「ラビット」の最初の襲撃から数日が経過し、世界は依然としてその余波と、次なる襲撃があるのかどうかという漠然とした不安の中にあった。
街の機能は徐々に回復しつつあるものの、人々の表情は硬く、どこか怯えているように見える。
ネット上では、あの日の出来事に関する情報交換や、能力に目覚めたと自称する者たちの書き込みが後を絶たなかった。
『俺、なんか昨日から身体軽いんだけど、これって覚醒?』
『近所の公園で木刀振ってたら、ラビット(の幻覚?)倒せたわw 俺TUEEE!』
『能力者集まって、チーム作ろうぜ!名前は「終末の聖剣」な!強そうな奴募集!』
『うちの学校でも能力者何人かいるっぽい。なんか派閥みたいなの出来てて、ちょっとウザい』
まだ組織だった動きというよりは、個々人が自分の変化に戸惑ったり、あるいは有頂天になったりしている段階だ。
中には、ネット上で仲間を募り、「ギルド」や「騎士団」を名乗る、いかにも中二病的なノリのグループも散見される。彼らは自分たちの強さを誇示し、序列をつけたがり、SNS上で他のグループとくだらない煽り合いを繰り広げている。
しかし、その実態は、まだ「ごっこ遊び」の延長線上に過ぎないように朔には見えた。本当に再び怪異が現れた時、彼らがどこまでやれるのかは未知数だ。
ただ、水面下では、もっと組織的な動きも始まっている気配があった。
元々何らかの組織基盤を持っていた団体――例えば、規模の大きな武道団体や、一部の警備会社、あるいはもっと裏社会に近いような集団――が、この機に乗じて能力を持つ人間をスカウトしたり、独自の戦力として囲い込もうとしたりしているという噂が、まことしやかに囁かれている。
彼らはまだ表立っては行動していないが、もし再び「侵略」が起これば、その時こそ訓練された部隊として表舞台に登場し、大きな影響力を持つことになるのかもしれない。
そして、最も分かりやすく、そして強引に動いているのは、やはり政府だった。
『政府、能力者の実態把握のため、全国調査を開始。任意での情報提供を呼びかけ』
『有識者会議「能力は公共の福祉のために活用されるべき。無秩序な行使は社会不安を招く」との見解』
『警察庁、能力者による自警団活動に対し「現行法では認められない」と牽制。ただし、協力的な者には「指導」も?』
政府は、この新たな「力」を持つ者たちを、どうにかして管理下に置こうと躍起になっている。
まずは情報収集。そして、飴と鞭を使い分けて、自分たちのコントロール下に置こうという意図が透けて見える。
「協力」という名の「服従」を求め、従わない者には「社会不安を煽る存在」というレッテルを貼ろうとする。
まだ一度の襲撃しか経験していないにも関わらず、この素早い動き。彼らにとって、未知の力を持つ個人の存在は、それだけ脅威なのだろう。
『XX省、極秘裏に「特殊才能研究室」を設立か? 能力者を実験対象に?』
『一部の政治家、能力者を「国の宝」と称賛しつつ、その「適切な管理」の必要性を訴える』
(……結局、いつの時代もやることは同じか)
朔は、そうした情報を冷ややかに眺めていた。
力を持つ者、持たざる者。支配する者、される者。
世界の様相がどれだけ変わろうとも、人間の本質はそう簡単には変わらないらしい。
むしろ、未知の状況に置かれたことで、そうした剥き出しの欲望やエゴが、より鮮明に現れてきているのかもしれない。
そんな中、朔にとって一つだけ興味深い情報があった。
それは、ごく一部の専門家やマニアの間で囁かれている噂だった。
『例のラビット騒ぎの時、局所的にラビットが「蒸発」するみたいに消える現象が起きてたらしい。現場には何の痕跡も残ってないとか』
『もしかして、まだ見つかってない超強力な単独能力者でもいるのか? 政府も把握してない、隠れた切り札的な』
『いや、それは都市伝説だろ。そんな都合のいい話……』
(……私のこと、か)
朔は、自分の行った狙撃が、そんな風に噂されていることを知った。
もちろん、誰もそれが自分の仕業だとは夢にも思っていないだろう。
だが、その「正体不明の何か」の存在は、明らかに既存の勢力図や政府の計算を狂わせる「攪乱分子」となり得る。
それは、朔にとって、わずかながらの優越感と、そして新たな警戒心とを同時にもたらした。
盤上の駒は、まだ本格的には動き出していない。
しかし、その萌芽は確かに見て取れる。
そして、自分はその盤を、誰にも知られずにかき乱す、名もなき駒。
いや、あるいは――駒ですらない、盤の外から石を投げ込むだけの、ただの傍観者か。
朔は、再びアタッシュケースに手を伸ばした。
ライフルの冷たい感触が、妙にしっくりと馴染む。
世界の混乱など、自分には関係ない。
ただ、次に「システム」が情報を送ってきた時、自分はどう動くか。
それだけが問題だった。




