第二話:異世界の幕開けと冒険の響き
ルナ・ドミニオンによる「ファンタジーゾーン」創設の通達は、世界に大きな波紋を呼んだ。
人々は、半信半疑ながらも、オアシスの安全圏に身を寄せ、その外に広がる「空白地」――今や「ファンタジーゾーン」と呼称されるようになった領域――の変貌を、固唾を飲んで見守っていた。
そして、その数日後、ルナ・ドミニオンの宣言通り、最初の「現象」が始まった。
【オアシス・トーキョー、境界地区】
「…おい、本当にモンスターなんているのかよ? ゲームのやりすぎじゃねえの、あのおっさん(ルナ・ドミニオン)の言うことなんて」
かつて「ワイルドハント」の一員として、今ではオアシス内のインフラ整備に勤しむケンジは、眉をひそめながら、同僚の能力者とファンタジーゾーンの境界線に立っていた。
そこには、厳重な防護壁が築かれ、その向こう側は、以前の荒廃した大地とは異なる、不気味なほど生命力に満ちた、異様な森が広がっていた。
警戒にあたっていた自衛隊や能力者たちも、半信半疑の面持ちだ。いくら「神」の言葉とはいえ、本当に「異世界の生物」が現れるなど、にわかには信じられない。
その時、森の奥から、複数の影が姿を現した。
それは、かつて彼らが戦った「亜」の怪異とは似ても似つかない。
緑色の肌に、尖った耳、そして粗末な皮の鎧を身につけた、人間よりも一回り小さな二足歩行の生物――ゴブリンだ。
彼らは、棍棒を手に、奇妙な声を上げながら、境界の防護壁へと向かってくる。
「っ…!本当に現れたぞ!」
誰かが叫んだ。
それを合図に、眠っていたかのような能力者たちの闘争本能が、一斉に目覚めた。
「よし!行くぞ!あれこそ、俺たちの新しい『獲物』だ!」
ケンジは、手にした鋼鉄製のバールを掲げ、真っ先に防護壁のゲートを飛び出した。
彼の超人的な腕力と、荒削りな戦闘経験が、ゴブリンを一撃で叩き伏せる。
彼のような、かつて力を持て余していた能力者たちにとって、この「ファンタジーゾーン」は、まさに待ち望んでいた「活躍の場」だった。
【オアシス・パリ、ファンタジーゾーン内部】
「ソフィア様! この薬草、怪我の治りが驚くほど早いんです! まるで、奇跡の薬のようです!」
泥だらけの冒険者が、興奮した様子で、小さな診療所を営む聖女ソフィアの元へ駆け込んできた。
彼が手にしていたのは、ファンタジーゾーンの奥地で発見したという、見たこともない奇妙な植物の根だった。
「そう…ですか。では、もう少し詳しく見せていただけますか?」
ソフィアは、その根を注意深く観察した。彼女には、それが、ルナ・ドミニオンが語っていた「ポーション」や「エリクサー」の素材となる可能性を、漠然と感じていた。
彼女は、医療の知識を持つ仲間たちと、この奇妙な薬草の成分を分析し、その治癒効果を再現する方法を模索し始めた。ルナ・ドミニオンが「理論は自分で作れ」と言っていた言葉が、彼女たちの心に響いていた。
【各地のオアシス】
各オアシスに設置された情報端末では、ファンタジーゾーンでの冒険の様子が、リアルタイムで中継され始めた。
「ゴブリンを倒して経験値ゲット!レベルアップしたぞ!」
「見てくれ! これがファンタジーゾーンで手に入れた、『アイアン・ゴブリンの剣』だ!」
能力者たちが、魔物を倒し、新たなスキルを獲得し、そして、これまで見たことのないような素材やアイテムを手に入れていく。
それらは、瞬く間にオアシス内の新たな経済を活性化させ、鍛冶師や錬金術師、そして物資の流通業者など、様々な職業の人々が、その新たな市場に参入していった。
人々は、この「ファンタジーゾーン」を、恐怖の対象であると同時に、新しい生活の希望と、そして何よりも、究極の「娯楽」として受け入れ始めていた。
「勇者」と呼ばれる能力者たちの活躍は、子供たちの憧れの的となり、彼らの冒険は、新しい時代の英雄譚として語り継がれていく。
中には、自らの冒険を動画で配信し、「ファンタジーチューバー」として人気を博す者まで現れた。
【月詠朔:神域(旧六畳間)】
「ふふっ。まあまあね。最初にしては上出来、ってとこかしら。ケンジさん、相変わらず暴れん坊ね。でも、ちゃんと役に立ってるじゃない」
ルナ・ドミニオンは、神域のメインコンソールに映し出される、各地の「ファンタジーゾーン」のライブ映像と、そこで繰り広げられる人間たちの活動を、満足げに眺めていた。
彼女がデザインしたモンスターたちが、意図した通りの「経験値」と「ドロップアイテム」を提供し、人間たちがそれを貪欲に吸収し、新たな社会を構築していく。
ソフィアたちが薬草の分析に勤しんでいる様子も、彼女の「目に」は捉えられていた。(まあ、そのうち『ポーション』のレシピくらいは解明するでしょ。その方が、面白いしね)
「システム」からの報告によれば、地球のエネルギーバランスも、この「ファンタジーゾーン」の活動によって、さらに安定し始めているという。人類が「亜」由来のエネルギーを消費し、再変換していくことで、地球に残留する「歪み」も効率的に処理されているのだ。
(……うん。この『地球・デザイン』、なかなか見込みがあるじゃない。私の最高傑作になるかもしれないわね。にひひっ)
ルナ・ドミニオンの口元には、自身の創造した「箱庭」が、その意図通りに機能し始めたことへの、確かな満足と、そして、さらなる「お遊び」への期待が浮かんでいた。
彼女は、再び「システム」の広大な情報ネットワークに意識を接続した。
地球の隣人たちは、新しい世界で、それぞれの冒険を始めたばかりだ。
だが、その遥か宇宙の片隅では、ルナの「神域」を構成する意識の一部が、再び不穏な兆候を捉え始めていた。
「亜」の残渣の、さらなる変異。
そして、その背後に蠢く、未知なる「影」の存在。
それは、まだ、地球で冒険を始めたばかりの人間たちには、知る由もない、遥かなる宇宙の物語。
ルナ・ドミニオンの「本当の仕事」は、まだ始まったばかりだった。