第二話:盃なき謁見(ドン・ヴォルガへの道)
炎神アグニスと氷刃のグラキエスに半ば引きずられるようにして、ディープ・エコーは、彼らが「仮の詰め所」と呼ぶ、岩石惑星の軌道上に浮かぶ小規模な宇宙ステーションへと連行された。そこは、ギャラクティック・アウトローズ・ユニオンの末端組織が、この辺境星系の監視と資源採掘の拠点として利用している施設だった。
ステーションの内部は、無骨な金属の壁と、明滅する計器類が並ぶ、質実剛健な造りだったが、そこに漂う空気は、ディープ・エコーの故郷の銀河とは明らかに異なる、荒々しくも力強い神々の気配に満ちていた。
「待っていろ。今、バルガス様にご報告申し上げる」
アグニスはそう言うと、ステーションの奥へと消えた。残されたグラキエスは、依然として無言のまま、鋭い視線でディープ・エコーを監視し続けている。その圧力は、ディープ・エコーの消耗した精神をさらに苛んだ。
(……このギャラクシー・ギルドニアとかいう銀河、どうやら相当な武闘派の神々が幅を利かせているらしいな。下手に逆らえば、即座に存在を抹消されかねん。今は、ただひたすらに従順を装い、情報を引き出すしかない…)
ディープ・エコーは、内心で今後の立ち回りを計算しながら、表面上は怯えた子羊のように身を縮こまらせていた。
やがて、アグニスが戻ってきた。その顔には、わずかな興奮の色が浮かんでいる。
「ディープ・エコーとやら、運が良かったな。鉄腕のバルガス様が、貴様の与太話に興味をお持ちになられた。ついてこい」
ディープ・エコーは、アグニスに促されるまま、ステーションのさらに奥深く、一際重々しい隔壁扉の前に導かれた。扉が開くと、そこは広大な謁見の間とでも言うべき空間だった。中央には、巨大な黒曜石を削り出したかのような玉座が鎮座し、その上には、見るからに屈強な、そして歴戦の風格を漂わせる神が、腕を組んで座っていた。
その神は、鋼のような肉体に、無数の戦傷を思わせる古傷が刻まれ、その両腕は、まるで岩塊そのもののように太く、力強い。鋭い眼光は、どんな虚偽も見抜かんばかりに、ディープ・エコーを射抜いていた。
彼こそが、この辺境宙域のギャラクティック・アウトローズ・ユニオンの勢力を取りまとめる幹部神の一人、「鉄腕のバルガス」だった。その威圧感は、先ほどのアグニスやグラキエスとは比較にならないほど強大で、ディープ・エコーは思わず息を飲んだ。
(…まずいな。こいつは、ただの若造どもとは格が違う。下手に小細工を弄すれば、即座に見破られるだろう。ここは、正直に、しかし最大限に自分の価値をアピールするしかない…!)
「貴様が、異銀河からの流れ者、ディープ・エコーか」
バルガスの声は、まるで山が崩れるかのような、重く低い響きを持っていた。その声だけで、ディープ・エコーの魂は震え上がる。
「は、はい!その通りでございます、バルガス様…!」
ディープ・エコーは、床に額を擦り付けんばかりに平伏した。
「アグニスから話は聞いた。天の川銀河とやらで、『月の女神』なる存在に追い立てられた、と。そして、その銀河は、まだ我らギャラクティック・アウトローズ・ユニオンの支配が及んでおらぬ、未開の地だと申すか」
バルガスの言葉には、疑念と、そしてそれ以上の好奇の色が混じっていた。
「…左様にございます! あの天の川銀河は、確かに『月の女神』という、恐ろしく強大な存在がおりますが、それ以外の神々は未熟で、星々のエネルギーも、まだほとんど手つかずの状態にございます! もし、バルガス様のような、偉大なる神のお力があれば、必ずや、あの銀河をギャラクティック・アウトローズ・ユニオンの栄光ある支配下に置くことができると、わたくしめは確信しております!」
ディープ・エコーは、必死に言葉を紡いだ。朔の恐ろしさを強調し、自分がいかに無力であったかを訴えつつも、同時に、天の川銀河が持つ「未開の魅力」と「潜在的な価値」を、巧みにバルガスの心に訴えかけようとしたのだ。それは、自らの生存と、そしていつの日かの復讐のための、命がけのプレゼンテーションだった。
バルガスは、しばらくの間、腕を組んだまま黙考していた。その沈黙は、ディープ・エコーにとって、永遠よりも長く感じられた。
やがて、バルガスは、ふっと息を吐き、そして、わずかに口角を上げた。
「……面白い。実に面白い話だ、ディープ・エコー。その『月の女神』とやらが、どれほどのものかは知らぬが、未開の銀河、そして手つかずのエネルギー…それは、我らがドン・ヴォルガ様にご報告申し上げるに値する情報かもしれんな」
その言葉に、ディープ・エコーは、内心で安堵の息を漏らした。どうやら、第一関門は突破できたらしい。
「よし、決めた」
バルガスは、玉座からゆっくりと立ち上がった。その巨躯は、まるで山脈そのものが動き出したかのような、圧倒的な存在感を放っている。
「ディープ・エコー。貴様を、ドン・ヴォルガ様のおわします本拠地へと連れて行く。そこで、貴様の知る全てを、洗いざらいドン・ヴォルガ様にお話し申し上げるのだ。良いな?」
その言葉は、もはや決定事項だった。
「は、はい! 光栄の極みにございます、バルガス様!」
ディープ・エコーは、再び平伏しながらも、内心では新たな計算を始めていた。
(ドン・ヴォルガ…このギャラクティック・アウトローズ・ユニオンの頂点に立つ存在か。バルガスですらこの威圧感だ、その親玉は一体どれほどのものか…想像もつかん。だが、ここで臆していては、未来はない。何としても、このドン・ヴォルガに取り入り、天の川銀河への侵攻を実現させる。そして、その混乱に乗じて、あの忌々しい月の女神に一矢報いてやる…!)
バルガスは、満足げに頷くと、アグニスとグラキエスに命じた。
「お前たち、このディープ・エコーを拘束し、我が艦隊へと移送しろ。近いうちに、本星へと帰還する。そして、ディープ・エコー…貴様も覚悟しておくがいい。もし、ドン・ヴォルガ様の前で、少しでも虚偽を述べたり、あるいは我らを欺くような素振りを見せたりすれば…その時は、貴様の魂ごと、この宇宙から消滅させてくれる。それは、この鉄腕のバルガスが保証する」
その言葉には、一切の揺るぎも、慈悲もなかった。
ディープ・エコーは、その言葉の重みに身を震わせながらも、必死に恭順の意を示した。
彼の、ギャラクシー・ギルドニアにおける、危険な綱渡りは、まだ始まったばかりだった。そして、その先に待つのは、栄光か、それとも破滅か――それは、まだ誰にも分からない。




