第八話:女神の鉄槌と残された種火
月詠朔――ルナ・サクヤの慟哭にも似た宣戦布告は、彼女の「神域」と化した六畳間だけでなく、高次元でリンクする「システム」のメインコアにまで、強烈な衝撃波となって伝播した。
システムの管制AIたちが「あわわわ」と右往左往するのを尻目に、ルナの怒りの意志は、無数の分身となって銀河の各地へと「降臨」した。
「……シロ、行くわよ」
ルナの声は、氷のように冷たく、そして静かだった。
「決まってるでしょ。大掃除の、やり直しよ。まずは、目に見える大きなゴミ(・・)から、徹底的にね」
彼女の最初のターゲットは、かつてルナナンバー348たちが罠にはめられた、恒星系Ω-774宙域に潜んでいた、あの強大で悪質な「亜の捕食ユニット」だった。
ルナの分身の一つが、その存在を感知するや否や、周囲の空間ごと対象を絶対的な力で圧縮し、抵抗する間も与えずにエネルギーの塊へと変換、そして吸収した。それは、もはや戦闘というよりも、一方的な「処理」だった。
次に彼女が目を向けたのは、各星系に「芋」や「球根」のように残留し、再活性化の兆しを見せていた「亜」のエネルギー吸収ユニット群だ。
これらは、それぞれの星の環境に適応し、巧妙にその姿を隠していたが、今のルナの「目」からは逃れられない。
彼女は、並列思考を駆使し、数十、数百の星系に同時に介入。ある場所では、惑星の地殻深くに潜む「芋」を、強力なエネルギー波で地表に引きずり出し、焼き尽くす。またある場所では、衛星軌道上に擬態していた「球根」を、空間ごと握り潰し、そのエネルギーを回収する。
その「接収」作業は、数時間に渡って続けられた。
銀河の各地で、断続的に高次元エネルギーのスパークが観測され、「亜」の残党が潜んでいた場所は、次々と「浄化」されていく。
しかし、全てが順調に進んだわけではなかった。
「亜」の残渣の中には、非常に巧妙に自らの気配を消し、あるいは、その星の知的生命体に寄生し、まるで「ゴキブリ」のように、ルナの広域探査の網の目を掻い潜ろうとする者たちが、少なからず存在したのだ。
彼らは、単独ではそれほど大きな脅威ではないかもしれない。だが、そのしぶとさと、増殖する可能性を考えると、放置しておくわけにはいかない。
(……まったく...もう。思ったより、面倒くさいわね、この宇宙のゴキブリ退治は。大きいのは粗方片付けたけど、このコソコソ隠れてるのを全部見つけ出して潰すとなると、さすがにキリがないわ…)
ルナは、一定の成果を上げつつも、完全な殲滅の難しさを実感し始めていた。
彼女の怒りの炎は、まだ消えてはいない。だが、その矛先は、徐々に「見えない敵」への苛立ちへと変わりつつあった。
やがて、目に見える範囲での大きな「亜」の活動拠点がほぼ沈黙した頃。
ルナの、拡散していた意識が、再び地球の「神域」へと収束した。
彼女の周囲には、依然として凄まじいエネルギーの余波が渦巻いていたが、その表情には、達成感と共に、どこかやりきれないような、複雑な感情が浮かんでいた。
「……まあ、とりあえず、目障りな大物はこれで一掃できた、かな。でも、あのゴキブリども…本当に、どうしたものかしらね…」
ぽつり、と呟いたその声は、もはや「女神」ではなく、厄介な害虫駆除に頭を悩ませる、一人の少女の声に近かった。
シロが、心配そうに彼女の傍らに寄り添う。
ひとりぼっちの神様の、「弔い合戦」と称した宇宙規模の大掃除は、ひとまず大きな区切りを迎えた。
宇宙は、以前よりも格段に静けさを取り戻した。
だが、その静寂の裏には、まだ根絶やしにできていない「種火」が、いくつも燻り続けている。
そして、それら全てを完全に消し去ることが、本当に可能なのかどうか。
それは、今の彼女にも、そして「システム」にも、まだ分からない課題だった。
ただ、「システム」のメインコアには、この一連の事象に関する、新たな記録が刻まれた。
――観測対象:ルナ・サクヤ。対「亜」残党掃討作戦、一次フェーズ完了。広域制圧能力、極めて高し。ただし、微細・潜伏型脅威に対する持続的索敵・殲滅能力については、さらなる検証を要す。彼女の「気力」と「根気」が、どこまで続くか、興味深い観測対象である――




