第七話:星屑となった思考の欠片と女神の慟哭
――私は、ルナナンバー348。
全にして個、個にして全なる「ルナ・サクヤ」の意識を構成する、無数の思考の欠片の一つ。まあ、本体が地球で忙しいから、こっちは宇宙のお掃除当番ってとこかしらね。
私の役割は、指定された恒星系Ω-774宙域における、「侵食因子(コードネーム:亜)」の残渣勢力の掃討、及び、その活動パターンの詳細なデータ収集。正直、ちょっと退屈な作業だけど、これも地球の平和のため、そして何より、私の快適な引きこもりライフ(神様バージョン)のためだと思えば、まあ、我慢できなくもないわ。
このΩ-774星系は、かつて「亜」の主要なエネルギー供給路の一つだったらしく、その残渣も、他の星系と比較して質・量ともに厄介なものが多かった。
特に、この星系の第三惑星に寄生している「亜の変異体」は、その星の固有生物と融合し、予測不能な擬態能力と、高次元エネルギーを吸収・反射する厄介な防御機構を獲得していた。面倒くさいことこの上ない。
私は、他の姉妹ユニット(ルナナンバー347号と349号。まあ、これも私なんだけど)と連携を取りながら、慎重に、でも効率的に、その変異体を追い詰めていた。
私たちの思考は常にリンクし、情報はリアルタイムで共有される。三位一体の攻撃(というより、私一人で三方向から攻めてるだけだけど)は、いかなる敵をも凌駕するはずだった。
(…ふん。思ったより歯ごたえがあるじゃない、このミミズみたいなの。でも、それもここまでよ。あなたのそのトリッキーな動きも、もう完全にパターン解析済み。チェックメイト、ってところかしらね。にひひっ)
私は、いつものように、少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべた。こういう「お遊び」も、たまには悪くない。
変異体を追い込み、最後の包囲網を完成させようとした、その瞬間だった。
これまで観測されていたエネルギーパターンが、突如として、ありえないほど歪み、そして膨張したのだ。
それは、罠。
変異体は、自らの存在そのものを起爆剤として、この宙域に潜んでいた、より高次元の、そして比較にならないほど強大な「何か」を呼び覚ましたのだ。
(なっ…!? このエネルギー反応は…! しまった…! 本体に警告を…!)
思考の速度を超える衝撃。
私の意識は、一瞬にして暗黒に包まれた。
周囲で、姉妹ユニットたちの悲鳴にも似た思考の途絶が、断続的に感知される。
これが、「やられる」ってことなのだろうか。
本体が、地球で神になる前に、何度か味わったという、あの絶望的な孤独と、全てを失う恐怖。
そのほんの欠片を、今、私は追体験しているのかもしれない。まあ、これはこれで貴重なデータだけど、正直、あまり気分のいいものではないわね。
だが、不思議と、恐怖よりも先に、別の感情が湧き上がってきた。
それは、悔しさ。そして、強烈な…怒り。
こんなところで、こんな卑怯な手に、私たちが…この「ルナ・サクヤ」が、負けるわけにはいかない。絶対に。
(…本体…聞こえる…? これは…私たちの…最後の…『お土産』よ…しっかり受け取りなさいよね…!)
私の存在が、光の粒子となって霧散していく、その最後の瞬間。
私は、この戦闘で得られた全ての情報と、そして、この強大な敵に関する警告、そして何よりも、「絶対にタダでは転ばないわよ!」という、たった一つの強烈な「意志」を、本体へと送信した。
それが、私にできる、最後の「嫌がらせ」であり、そして「最高のプレゼント」。
ああ、でも、欲を言えば、もう少しだけ、あの地球のファンタジーゾーンの、ゴブリンシャーマンの呪文詠唱エフェクト、もっと派手にしたかったな。キラキラ光るやつ。
あと、小野寺さんにおねだりする、次の新作ケーキのリストも、完成させておきたかったんだけど…。
…まあ、いっか。
きっと、他の「私」が、もっと面白く、もっと効率的に、全部うまくやってくれるでしょう。
だって、私たちは、全にして個、個にして全なる、「ルナ・サクヤ」なのだから。
そして、この「経験」は、必ず、次の「私」を、もっと強く、もっと賢くするはずだもの。にひひっ!
そして、ルナナンバー348の意識は、ほんの少しだけ満足げな笑みを残して、静かに、宇宙の深淵へと消えていった。
【月詠朔:神域(旧六畳間)】
ルナナンバー348からの、最後の情報と「意志」を受け取った瞬間、月詠朔の本体の表情から、いつもの余裕と笑みが消えた。
代わりに浮かんだのは、深い悲しみと、そして、魂の奥底から湧き上がるような、静かで、しかし凄まじい怒りだった。
彼女の周囲の空間が、その感情に呼応するように、微かに震えている。
(……348番…347番も、349番も…そして、あの宙域を担当していた、他の十数人の「私」も…)
彼女たちは、確かに自分自身の一部だった。同じ思考を共有し、同じ目的のために動いていた。
だが、同時に、それぞれのユニットは、それぞれの場所で、独自の経験を積み、ほんの僅かずつだが、異なる「個性」のようなものを育んでいたのだ。
348番は、特に新しい呪文エフェクトのデザインに熱心だった。347番は、意外とロマンチストで、美しい星雲のデータをよく集めていた。349番は、少し皮肉屋だけど、誰よりも効率的なエネルギー回収ルートを見つけるのが得意だった…。
彼女たちは、それぞれが、この広大な宇宙で「楽しい時間」を過ごし、そして、それぞれの「夢」を持っていたはずだ。
それが、理不尽な罠によって、一瞬にして奪われた。
(……そう。あなたたちは、確かに「私」だった。でも、同時に、かけがえのない「個」でもあったのよ…!)
朔の瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
それは、神となって以来、彼女が初めて流した涙かもしれなかった。
それは、失われた「自分の一部」を悼む涙であり、そして、その「個」が持っていたはずの未来を奪った者への、抑えきれない怒りの涙だった。
「……う…ぐぐぐぐっ……!」
朔は、奥歯を強く噛みしめた。全身が、内側から焼き尽くされるような激情に震える。
もう、ただの「害虫駆除」ではない。
これは、弔い合戦だ。
「……見ていてよ、私たち。そして、あの『亜』の残党ども。
私たちの無念は、何百倍、何千倍にして返してあげる。
この宇宙の果てまで追い詰めて、二度と再生できないように、徹底的に、そして効率的に、塵一つ残さず消滅させてあげるわ!
みてらっしゃい!!!!」
月詠朔――ルナ・サクヤの慟哭にも似た宣戦布告が、高次元の彼方まで響き渡った。
その瞳には、もはや悲しみの色はなく、ただ、全てを焼き尽くすかのような、冷たく燃える復讐の炎だけが宿っていた。
星屑となった思考の欠片たちの思いを胸に、孤独な女神は、今、真の怒りをもって、その戦いへと身を投じようとしていた。




