第五話:地球(テラ)デザインと宇宙(そら)の雑音
月詠朔――ルナ・サクヤの日常は、もはや常人の理解を遥かに超えた領域にあった。
彼女の意識は、その気になれば千にも万にも分割され、それぞれが独立した思考と処理能力を持ち、地球上のあらゆる事象から、果ては銀河の彼方で起こる微細なエネルギーの揺らぎまでを、同時に、かつ正確に把握し、対応することが可能となっていた。
それは、まさに遍在する神の視点。
今、彼女の主たる意識(思考ユニット1番から100番まで、と彼女は便宜上ナンバリングしていた)は、地球の再デザイン計画――特に、広大な「空白地」を利用した「ファンタジーゾーン」の創設準備に注がれていた。
「システム」の情報ネットワークから取り寄せた、様々な「ファンタジー要素の強い星」の環境データ、生態系、そして「システム」自身が実験的に導入したという「経験値・レベルアップシステム」や「スキル制度」のアルゴリズム。
それらを参考に、しかしあくまで彼女自身の「面白そう」という基準と、「地球の能力者たちのストレス解消(という名の、力の健全な発散場所の提供)」という(建前上の?)目的に沿って、Sちゃんデザインの新しい「隣人」たち――つまり、ファンタジーゾーンに放たれるモンスターたちのデータが、次々と構築されていく。
(……ふむ。この「ゴブリン」って種族、繁殖力は高いけど、単体だと弱いから、序盤の雑魚キャラにはちょうどいいわね。でも、たまに『ゴブリンシャーマン』みたいな、ちょっと厄介な魔法を使う亜種が混じってると、油断してる勇者さん(笑)には良い刺激になるかも。にひひっ)
(山岳地帯には、やっぱり「ワイバーン」かしらね。でも、ただ飛んで火を噴くだけじゃ芸がないから、特定の条件下で『エンシェント・ワイバーン』に進化する隠し要素とか入れてみようかな。ドロップアイテムは、もちろん超レア素材で)
(ああ、そうだ。ダンジョンもいくつか配置しないとね。迷路の奥には、ちゃんと宝箱と、それなりの強さのボスキャラを。…ただし、宝箱の中身は、たまに『ハズレ(ただの石ころ)』とか『残念でした!』って書いたメモだけにしとこう。そういう理不尽さも、また一興よね)
彼女の「神域」と化した六畳間(の意識空間)には、無数の設計図やシミュレーション映像が、万華鏡のように展開し、そして再構築されていく。その顔には、まさに新しいゲームを創造している開発者のような、純粋な楽しさと、そしてほんの少しの悪戯心が浮かんでいた。
この「ファンタジーゾーン」の具体的な発表は、もう少し地球全体のインフラが安定し、各オアシスが自立的な運営を始めた後になるだろう。その時、世界の指導者たち(と、特に小野寺さん)がどんな顔をするか、今から楽しみで仕方がない。
――だが、そんな地球規模の「箱庭作り」に没頭している一方で、彼女のもう一つの意識(思考ユニット101番から1000番まで)は、もっと広大な、宇宙規模の「雑音」を捉え始めていた。
(……ん? これは…)
「システム」の情報ネットワークを通じて、かつて「侵食因子(コードネーム:亜)」が根を張っていた、いくつかの星系から、微弱ながらも不穏なエネルギーパターンが断続的に感知され始めたのだ。
「亜」の地球接続ハブは、確かにルナが完全に掌握し、便利なエネルギー供給装置へと改造した。しかし、「亜」という存在そのものが、完全に消滅したわけではない。それは、宇宙に広がるアメーバのような、あるいは植物の根のような、本能的なエネルギー捕食の集合体。その分体と言える物は、依然として宇宙のどこかに存在し続けている。
そして、どうやら、その「本体」との接続を断たれた、いくつかの星々に残っていた「亜」の「分身(分け御霊のようなもの)」あるいは「種子(芋や球根のような休眠エネルギー体)」が、親玉の束縛から解放されたことで、活動を開始し始めているらしかった。
ある星では、かつての怪異とは異なる、その星の環境に独自に進化した、より凶暴なクリーチャーが生まれつつあった。
また別の星では、「亜」のエネルギーに精神を汚染され、狂気に染まった知的生命体たちが、新たな「使徒」として、宇宙に混乱を撒き散らそうと蠢き始めている。
(……はぁ。やっぱり、完全に綺麗サッパリとはいかないわけね。まあ、予想はしてたけど。あの「亜」のしぶとさを考えれば、これくらいは想定の範囲内、かな)
ルナ・サクヤは、地球での「ファンタジーゾーン」設計の片手間に、その宇宙規模の「害虫駆除」計画の立案も、同時並行で開始した。
それは、もはや地球の守護神という役割を超えた、銀河の調停者、あるいは、もっと単純に「宇宙のお掃除屋さん」としての、新たな仕事の始まりを意味していた。
(まあ、いいわ。どっちも、私にとっては面白い「ゲーム」になりそうだし。地球のデザインも、宇宙の害虫駆除も、効率よく、そして私が一番楽しめるように、進めさせてもらうとしましょうか。にひひっ)
月詠朔――ルナ・サクヤの、神としての新たな日常は、地球と宇宙という二つの壮大な舞台で、今まさに、その幕を開けようとしていた。
そして、そのどちらの舞台も、彼女の気まぐれと、圧倒的な力によって、予測不可能な方向へと進んでいくことになるだろう。
「システム」ですら、もはやその全貌を掴みきれない、ひとりぼっちの神様の、壮大なる「お遊び」が。




