第五話:動き出す歯車、最初の灯火
ルナ・ドミニオンによる「地球会議」は、そのあまりにも衝撃的な内容と、彼女の絶対的な力の前に、世界各国の指導者たちに深い困惑と無力感を与えた。
しかし、彼らには、感傷に浸っている時間など残されていなかった。
「一週間後に、最初のコロニーへの移住(の推奨)と、高速ネットワーク(の基盤)を開通させる」
その「神託」は、有無を言わせぬ最終通告だったからだ。
会議場での喧々囂々の議論は、数日間に及んだ。
小野寺拓海は、その渦中で、各国代表の意見集約と、「ルナ・ドミニオン」への(恐る恐るの)確認作業に奔走した。
そして、約束の一週間が目前に迫った日、ようやく最初の「地球再生共同宣言(という名の、ルナ・ドミニオンの提案への合意文書)」が、世界各国の代表者たちの間で取り交わされた。
それは、多くの妥協と、そしてそれぞれの国のエゴが複雑に絡み合った、不完全なものだったかもしれない。
だが、それでも、人類が初めて、一つの共通の未来に向かって、かろうじて足並みを揃えようとした、歴史的な瞬間だった。
宣言に基づき、各国政府は、自国民に対し、「ルナ・ドミニオン」が安全を保証するとされる「オアシス(生存拠点都市)」への集住を、強く推奨し始めた。
「オアシス」の候補地は、大陸ごとに数カ所。かつての大都市の比較的被害の少なかった区域や、あるいは何もない平原に、ただ「ここが新しい生活の場だ」と印がつけられたような場所もあった。
そこは、まだほとんどが瓦礫の山か、手つかずの荒野。真新しい建物など、どこにもない。
不安と絶望が渦巻く中、しかし、ほんの僅かな希望を信じ、人々は、なけなしの家財道具をまとめ、それぞれの「オアシス」へと、あるいは最も近い「オアシス」へと、自力での移動を開始した。
もちろん、その道のりは困難を極めた。インフラは破壊され、移動手段も限られている。特に、病人や老人、幼い子供を抱えた家族にとっては、絶望的な距離だった。
だが、そんな彼らの前に、時折、不思議な「助け」が現れた。
道端で力尽きそうになった時、どこからともなく食料と水が置かれていたり。
通行不可能なはずの瓦礫の山が、一夜にして片付けられ、道ができていたり。
あるいは、身動きが取れずにいた人々が、次の瞬間、気づけば目的地の「オアシス」の近くまで「運ばれて」いたり。
それらは全て、月詠朔が、彼女の気まぐれと、「まあ、初回くらいはサービスしてあげてもいいか」という程度の軽い気持ちで、誰にも告げずに行った、ごく限定的な「移動サポート」だった。彼女は、決してそれを公言しなかったし、助けられた人々も、それが誰の仕業なのかを知る由もなかった。ただ、「神の見えざる手」に感謝するだけだった。
「自分でできる奴は自分で頑張れ」というのが、彼女の基本スタンスなのだから。
そして、運命の日。
世界各地の、指定された「オアシス」の中心部に、突如として、巨大な、そして未来的なデザインの「ステーション」が出現した。
それは、白く輝く未知の素材で作られ、まるで大地から直接生えてきたかのような、有機的でありながらも圧倒的な存在感を放っている。
人々が呆然と見上げる中、どこからともなく、しかし全ての人の心に直接響くような、ルナ・ドミニオンの声が告げた。
「――これより、『アークライン(方舟の道)』…各オアシスを繋ぐ、超高速物質転送ネットワークの基盤を開通します。ステーションの運営、車両の管理、そしてさらなる技術開発は、皆さんの自由です。有効に活用し、新しい世界を築いてください。ああ、それと」
彼女の声に、ほんの少しだけ、いつもの「にひひっ」という響きが混じった。
「各オアシスの復興に必要な資材…例えば、鉄筋とか、コンクリートとか、まあ、そういう基本的なものね。当面の間は、私の方で『必要だと判断した分だけ』供給しますから、小野寺さんを通じてリストアップしておいてください。ただし、無駄遣いや不正は許しませんよ? 自助努力を怠るようなら、供給は即ストップしますから、そのつもりで。頑張れば、きっと色々な文化が花開く、素敵なオアシスができるはずです。…たぶんね」
その声と共に、各地のステーションが淡い光を放ち始め、そのホームには、流線型の美しいリニアモーターカーのような車両が、音もなく滑り込んできた。
それは、まさに世界の歯車が、新たな秩序へと向かって、大きく、そして力強く動き出した瞬間だった。
人々は、まだ瓦礫の残る、あるいは何もない荒野に立ちながらも、その未来的なステーションと、そこから伸びるであろう未知の道筋に、確かな希望の灯を見出した。
だが、ルナ・ドミニオンの計画は、まだ始まったばかりだ。
コロニーの安定化、そして、あの広大な「空白地」への、「ファンタジーゾーン」の設置。
やるべきことは、まだ山積みだ。
そして、その全てが、この新米神様の、壮大な「お遊び」なのか、それとも真摯な「救済」なのか――それは、まだ誰にも分からない。
ただ、確かなことは、地球の運命が、今、この瞬間に、大きく変わろうとしているということだけだった。