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ひとりぼっちの最終防衛線(ラストライン)  作者: 輝夜
第四章 ルナ・サクヤの揺りかご

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【SideStory】ふたりの朔と始まりの唄


月詠朔つきよみさくが「ルナ・サクヤ」として世界に顕現してから、暫くの時が流れた。

彼女の活動は、より穏やかで、しかし絶対的なものへと昇華しはじめていた。

ルナ・サクヤはすべてを見守っている」――その認識は、世界中の人々の心に深く、そして確固たるものとして定着した。

嘘や欺瞞、悪意ある企みは、もはや意味をなさなくなった。なぜなら、「神」は全てを見通し、必ず公正な「機会」を与えるからだ。

人々は、他人を疑う必要がなくなり、互いに足を引っ張り合うこともなくなった。互いを傷つけるための無駄な武器の開発や、他者を貶めるような競争も、自然と意味をなさなくなっていった。

世界は、かつてないほどの調和と、静かな活気に満ち溢れていた。

ルナ・サクヤ自身もまた、かつてのような過剰なエネルギーを放出することなく、ただ静かに、しかし確実な存在感をもって、この星の全てを包み込むように、穏やかな眼差しで見守っていた。気合を入れて「正してあげる」相手が、激減したせいかもしれない。


そんな、ある穏やかな春の日。

小野寺拓海おのでらたくみは、首相官邸の自室で、窓の外に広がる平和な東京の街並みを眺めていた。

彼もまた、歳を重ね、今では政府の最重要ポストの一つである「対ルナ・サクヤ特命全権大使」という、いささか大げさな肩書きを持つようになっていた。

だが、彼とさくとの関係は、以前と変わらず、どこかくだけた、しかし深い信頼で結ばれたものだった。


その時、ふと、彼の執務室の空気が、ほんの少しだけ揺らいだような気がした。

そして、目の前の空間から、そっと、一人の少女が姿を現した。

それは、数年前、初めて公園の東屋で会った時のような、フードを目深に被り、大きなサングラスをかけた、小柄な少女の姿だった。

だが、その雰囲気も、背の高さも、明らかに「ルナ・サクヤ」とは異なっていた。

どこかおずおずとしていて、それでいて、好奇心に満ちた瞳が、サングラスの奥でキラキラと輝いているのが分かる。


「……小野寺拓海おのでらたくみさん…ですね?」

その声は、確かにさくのものだったが、幼く、そしてほんの少しだけ、不安げな響きを帯びていた。


「……さくさん…? いや、あなたは…?」

小野寺は、驚きと困惑を隠せない。目の前の少女は、確かに月詠朔つくよみさくの面影を持っている。だが、あの全知全能の「ルナ・サクヤ」とは、明らかに違っている。


少女は、フードを少しだけ持ち上げ、はにかむように微笑んだ。

「えっと…はじめまして、かな? 私は…さく。月詠つきよみさく。…たぶん、あなたが知ってる『私』とは、ちょっと違う『私』…なんだと思う」

その言葉は、少し辿々しかったが、嘘偽りのない響きを持っていた。


ルナ・サクヤ」としての月詠朔つきよみさくは、決断したのだ。

この平和になった世界で、かつて自分が渇望しながらも手にできなかった「人としての幸せ」を、別の形で求めることを。

全知全能の力で世界を救い、絶対的な存在となった彼女。しかし、その力の代償として、彼女は「月詠朔つきよみさく」という一個人の、ささやかな日常や、人との温かい繋がりを、どこかで諦めてしまっていた。

人間不信と孤独の中で引きこもり、誰も信じられずに過ごしたあの日々。誰かと心を通わせたり、他愛ないことで笑い合ったり、そんな当たり前の充足感を知る前に、彼女は「人」であることを超えてしまった。その心残りは、神となった今も、彼女の魂の片隅で、小さな棘のように疼き続けていたのだ。

だからこそ、彼女は、自らの意識と力の一部を切り離し、過去のトラウマを持たず、未来への希望に満ち溢れた、全く新しい「月詠つきよみさく」を創造した。

それは、神の気まぐれでも、遊びでもない。

かつての自分が体験できなかった「可能性」を、もう一人の自分に託し、それを見守ることで、彼女自身の魂もまた、救済されることを願った、切実な祈りだったのかもしれない。


この子「さく」は、小野寺の前に一歩踏み出し、その小さな手をそっと差し出した。その瞳には、期待と、不安が揺れている。

「……突然のことと思います。でも…私のこと、これから、お願いしても…良いでしょうか。小野寺…さん?」

その声は、まだか細く、しかし、小野寺の心を真っ直ぐに射抜くような、響きを持っていた。それは、どこか甘えるような、そして、これから始まる新しい関係への、小さな勇気を振り絞ったような、そんな問いかけだった。


その言葉と、差し出された小さな手に、小野寺は、一瞬、言葉を失った。

そして、目の前の少女の、少し潤んだ、しかし強い意志を宿した瞳を見つめ返すうちに、全てを悟った。

(そうだ…彼女は、ずっとひとりぼっちだった。強大な力と引き換えに、普通の幸せを諦めていたのかもしれない。でも、本当は…誰かと繋がりたいという切実な願いを持っていたんだ…)

彼の胸に、これまで「ルナ・サクヤ」が見せてきた、様々な表情が蘇る。孤児院の子供たちに向ける優しい眼差し、ケーキを前にした時の無邪気な笑顔、そして、国を救うためにたった一人で戦いに赴いた時の、悲壮なまでの覚悟。

それら全てが、今、この小さな少女の、か弱くも純粋な姿となって、彼の目の前に差し出されているように感じられた。

(…さくさん…あなたは、こんな形で、自分の叶えたかった願いを…そして、そのあなたの未来を、私に託そうというのですか…)

(…これは、何という責任の重さだろうか。)

理解したと共に、熱いものが込み上げてくる。

彼自身、あの気まぐれで、しかしどこか危うげなさくさんの、その奥底にある純粋さに触れるたび、まるで自分の娘を見るような、そんな温かく、そして愛おしい感情を抱き始めていたのだ。

彼の目から、涙が溢れ出した。それは、悲しみの涙ではない。新しい始まりを期待する、涙だった。


「……はい。もちろんです。こちらこそ、よろしくお願いします。さくさん」

小野寺は、これ以上ないほど優しい、精一杯の笑顔で、目の前の小さな少女の手を、しっかりと握り返した。

その小さな手は、確かに温かく、そして、これから二人で歩んでいく新しい日常への、確かな希望と、揺るぎない絆を感じさせた。


高次元の彼方では、「ルナ・サクヤ」は、どこか誇らしげな、そしてほんの少しだけ寂しそうな、複雑な眼差しで見守っていた。

彼女の「ひとりぼっち」は、終わったのかもしれない。いや、あるいは、新しい形で、続いていくのかもしれない。

だが、確かなことは一つだけ。

この星には、今、二人の「月詠朔つきよみさく」が、ルナ・サクヤと小野寺おのでらさくという形で存在し、そして、それぞれの場所で、それぞれの幸せを、そして新しい「繋がり」を、見つけ出そうとしているということだ。


それは、絶望に覆われた星に灯った、小さな、しかし何よりも明るい希望の光。

そして、その光は、これからもずっと、この世界を優しく照らし続けていくのだろう。


ひとりぼっちの最終防衛線ラストラインは、今、新たな始まりの唄を、静かに、そして力強く奏で始めた。

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