第二話:神の創造、オアシスの誕生
ルナ・サクヤの決断は、迅速かつ圧倒的だった。
彼女は、地球全土を瞬時にスキャンし、地質、気候、そして残存するエネルギー資源などを総合的に分析。人類が新たな文明を築くのに最も適した場所を、各大陸に数カ所ずつ選定した。
「――聖域・プロトコル、フェーズ2へ移行。指定座標における、環境再構築及び、初期インフラの錬成を開始しなさい」
その「神託」と共に、世界各地の指定した「オアシス」候補地で、人知を超えた現象が起こり始めた。
瓦礫の山で途方に暮れていた家族の目の前で、汚染された大地が、天から降り注ぐ黄金色の光の粒子によって浄化され、肥沃な土壌へと生まれ変わる。
枯れた川には、清らかな水が再び流れ始め、何もない荒野には、巨大な湖が出現した。
そして、その大地から、まるで芽吹くかのように、白く輝く素材でできた、幾何学的なデザインの建造物群が、ゆっくりと、しかし確実に隆起し始めたのだ。
それは、最低限の生活を保証するための集合住宅であり、浄水施設であり、そして、来るべき復興のためのエネルギー供給施設でもあった。
一夜にして、荒れ果てた大地に、生きていくための、最低限の生活の礎が築かれていく。その光景は、畏怖と、そして再生への希望を、生き残った人々の心に深く刻みつけた。
もちろん、全ての人が、この強制的な「移住」を素直に受け入れたわけではない。
小野寺を通じて伝えられたルナの「神託」に対し、各国の指導者たちからは、当然のように反発の声が上がった。
かつての大国の代表たちが集う緊急のビデオ会議は、怒号と非難の応酬で紛糾していた。
「故郷を捨てろと言うのか! 我が国の数千年の歴史を、文化を、無視する気か!」
「主権の侵害だ! 我々は神の奴隷ではない!」
小野寺は、彼らの主張も理解できた。だが、モニターの向こう側にいる彼らには、人々の絶望は届いていなかった。
そんな指導者たちの空虚な議論と、地上の民衆の深い絶望を、ルナ・サクヤは「神域」から静かに見つめていた。
そして、彼女は一つの決断を下した。
彼女は、指導者たちに語りかけるのをやめた。その代わりに、彼女の声は、世界中の、生き残った全ての人々の心に、直接、優しく語りかけた。
「――聞こえますか。この星に生きる、人々へ」
その声は、老若男女、あらゆる人々の心に、それぞれの母国語で、そして最も安らぎを感じる音色で届いた。
テレビも、ラジオも、インターネットも機能しないこの世界で、その声は、まさに天からの啓示だった。
人々は、瓦礫の中で、あるいはシェルターの暗闇で、一斉に顔を上げ、その声に耳を澄ませた。
「あなたたちは、長い間、恐怖と絶望の中で戦い続けてきました。多くを失い、傷つき、未来への希望を見失いかけていることも、流した涙も、祈りも、私に届きました」
その声には、深い慈愛と、そして人々の痛みを共有するかのような、温かい共感が込められていた。
「私は、もう一度立ち上がるための『場所』を用意しました。安全な水と、豊かな大地、そして、最低限の暮らしを営むための家がある場所です。そこには、もう怪異の脅威はありません」
彼女の声と共に、人々の脳裏に、一夜にして創造された「オアシス」の、希望に満ちた光景が、鮮明なイメージとなって浮かび上がる。
「しかし、私は、あなたたちに強制はしません。故郷を愛する気持ち、仲間と築いてきた絆。それらが、どれほど尊いものか、私にも分かります。だから、選ぶのは、あなたたち自身です」
彼女の声は、そこで一度、優しく途切れた。
「ただ。もし、再び未来を信じ、子供たちのために、そして何よりも自分自身のために、新しい一歩を踏み出したいと願うのなら…。
その時は、どうか、顔を上げてください。
あなたたちのすぐそばに、希望へと続く道標が、必ずありますから」
その言葉が終わると同時に、世界中の人々の足元が、淡く、しかし温かい光を放ち始めた。
その光は、それぞれの場所から、最も近い「オアシス」へと続く、一本の「光の道」となって、地平線の彼方まで伸びていた。
それは、強制ではない。ただの「道しるべ」。
歩き出すか、留まるか。その選択は、完全に人々の自由意志に委ねられていた。
人々は、その光の道を、ただ呆然と見つめていた。
涙が、自然と頬を伝う。
それは、悲しみの涙ではない。
長い間忘れかけていた、温かい「希望」に触れた、感動の涙だった。
「…行こう」
誰かが、ぽつりと呟いた。
その声は、すぐに、さざ波のように広がっていった。
「ああ、行こう。この道の先に、未来があるのなら」
「子供たちのためにも…もう一度」
互いに顔を見合わせ、頷き合うと、なけなしの荷物を手に、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、その「光の道」を歩み始めた。
その姿は、もはや絶望に打ちひがれた難民ではない。
自らの意志で、未来を選び取ろうとする、力強い開拓者たちの姿だった。
そして、その光景を、安全な地下シェルターのモニター越しに見ていた指導者たちは、言葉を失った。
民衆が、自分たちの指示を待たずして、動き出した。
彼らは、自分たちが、民衆の心を動かすだけの力も、信頼も失っていたことを、痛感させられた。
「…我々も、行くしかないか。彼らと共に」
一人の指導者が、力なく呟いた。
それは、彼らが、時代の変化を受け入れた、瞬間だったのかもしれない。
ルナ・サクヤは、神域で、人々が光の道を歩み始める様子を、静かに見守っていた。
その瞳には、優しい光が宿っていた。
彼女が望んだのは、支配ではない。人々が、自らの意志で、再び希望を抱き、立ち上がること。
そのための、ほんの少しの「後押し」。
それが、彼女なりの、この星に生きる人々への、最大限の敬意と、そして愛情の示し方だった。




