第一話:神の憂鬱と、待ったなしの決断
「サイレント・ジェネシス」と呼ばれる、月詠朔――ルナ・サクヤによる惑星規模の防衛現象から、数週間が経過していた。地球から怪異の脅威は一掃されたが、その後に残されたのは、静かで、そして絶望的なほどの「死」の気配だった。
神域と化した、かつての六畳間。今は、彼女の心象風景を映し出す広大な空間となっているその場所で、ルナ・サクヤはメインコンソールに映し出される地球の惨状を、厳しい表情で見つめていた。
彼女の眼は、地上のあらゆる悲劇を、余すところなく捉えている。
インフラは寸断され、都市機能は完全に麻痺。世界人口は、度重なる襲撃によって、かつての8分の1にまで激減していた。生き残った人々も、食料と水の枯渇、医薬品の不足、そして何よりも、未来への希望を失い、ただ瓦礫の中で呆然と日々を過ごしているだけだった。一次的に大盤振る舞いの支援をしたものの、それだけではこれから先、子供たちの泣き声は力を失い、老人たちは静かに空を見上げ、このままでは、人類は怪異によってではなく、飢餓や疫病、そして絶望によって、緩やかに自滅していくだろう。
(……守ったはずなのに。これじゃあ、何も守れていないのと同じじゃない…)
ルナの胸に、これまで感じたことのない種類の無力感と、そして焦燥感が込み上げてくる。
彼女の視線が、ホログラムの一点――日本に建設された孤児院「ひだまりの家」――に注がれる。幸い、そこは彼女の重点的な保護下にあり、子供たちは無事だった。だが、彼らがこれから生きていくこの世界が、こんなにも荒廃したままでいいはずがない。
あの子供たちの笑顔を、本当の意味で守るためには、この星そのものを、もう一度「生きられる場所」へと再生させなければならない。
脳裏に、かつて自分が全てを失った、あの燃え盛る孤児院の光景がフラッシュバックする。助けを求めても、誰も来なかった夜。あの絶望を、二度と繰り返させてはならない。
(……待ってはいられない。人間たちの自助努力に任せていたら、手遅れになるわ)
彼女は決断した。
これまでの「見守る神」というスタンスを捨て、より直接的に、そして強権的に、この星の再生に介入することを。
ただ、守ると決めたものを、こんな形で失いたくないという、切実な想いからだった。
「シロ。小野寺拓海に回線を開いて。今すぐ」
彼女の声には、有無を言わせぬ響きがあった。傍らを浮遊する白金の球体「シロ(システム)」が、静かに光を明滅させる。
数分後、疲労困憊の表情を浮かべた小野寺の姿が、ホログラム通信に映し出された。その背景の執務室は、山のような書類と、空のエナジードリンクの缶で埋め尽くされている。
「 この度は、一体…」
「小野寺さん、単刀直入に言うわ。私は、これより地球の再構築を始める。これは、相談でも提案でもなく、決定事項よ」
ルナは、彼の言葉を遮り、静かに、しかし絶対的な意志を込めて告げた。
「このままでは、人類は滅びる。だから、私が道を示す。生き残った全ての人々を、私が指定する『オアシス』へと強制的に集住させ、新たな生活基盤を構築する。異論は認めない。あなたには、日本政府、そして世界各国の指導者たちに、その旨を伝え、混乱を最小限に抑えるための調整役を担ってもらいたいの。」
その「神託」は、あまりにも一方的だった。だが、小野寺は、その声の奥にある、人類の未来を憂う深い苦悩と、そして何よりも、この星を見捨てないという、揺るぎない覚悟を感じ取っていた。
絶望的な状況の中で、唯一光を指し示してくれた存在。その言葉に、彼は不思議なほどの安堵を覚えていた。
「……私に、できる限りのことを」
小野寺の、そして人類の、新たな試練が、今まさに始まろうとしていた。




