第七話:恵みの後の浅ましさと小さな鉄槌
月詠朔による「神の御業」は、確かに地球に未曾有の恵みをもたらした。
一夜にして実った穀物、清浄な水、そして何よりも、人々の心に灯った希望の光。
多くの人々は、その奇跡に心からの感謝を捧げ、手を取り合って復興への道を歩み始めていた。
だが、悲しいかな、人間の性というものは、そう簡単には変わらないらしい。
「奇跡の街」〇〇市南々東エリアとその周辺、そして、朔の「気まぐれ」によって重点的に恵みがもたらされたいくつかの地域では、新たな問題が持ち上がり始めていた。
それは、突如として現れた膨大な食料や資源を巡る、醜い利権争いと、独占を企む者たちの暗躍だった。
「この地区の小麦は、我々『新生〇〇互助会』が管理する! 配給は会員優先だ!」
「この水源は、我が『清流騎士団』が守護している! 水を利用したくば、相応の『協力金』を支払ってもらおう!」
かつて怪異と戦っていたはずの能力者団体の一部や、あるいはこの混乱に乗じて成り上がろうとする新興勢力が、神の恵みを我田引水し、弱者から不当な利益を搾り取ろうとし始めたのだ。
彼らは、自分たちの武力を背景に、人々を脅し、従わせようとする。
その浅ましい姿は、まさに「火事場泥棒」と呼ぶに相応しかった。
【月詠朔:神域(旧六畳間)】
「……はぁ。せっかく綺麗にしたお庭(地球)に、また雑草が生えてきたわねぇ。しかも、たちが悪いことに、その雑草、自分たちが何してるか分かってないみたいだし」
朔は、地球全体の情報をリアルタイムで監視しながら、忌々しげに呟いた。
彼女がもたらした恵みは、全ての人々が等しく享受し、そして自力で立ち直るための「種」となるはずだった。それを、一部の強欲な人間たちが独り占めし、あまつさえ他の人々を苦しめている。
その事実は、彼女の「効率重視」の美学に反するだけでなく、単純に、ムカついた。
(……まあ、神様も、たまにはお庭の手入れくらいしないとね。ちょっとだけ、雑草取りでもしますか)
朔の口元に、いつもとは少し違う、もっと冷ややかで、しかしどこか楽しげな笑みが浮かんだ。
彼女は、その膨大な「神様パワー」の、ほんの僅かな一端を、特定の「雑草」たちへと向けて、そっと解き放った。
それは、決して人命を奪うようなものではない。だが、彼らが二度と悪事を働けなくなるには、十分すぎるほどの「お仕置き」だった。
――その数時間後。世界各地で、奇妙な「天罰」が下った。
「新生〇〇互助会」の会長が、大勢の市民の前で「この小麦は俺様のものだ!」と叫んだ瞬間、彼の頭上から、ピンポイントで大量の鳥のフンが降り注いだ。それも、一度や二度ではない。彼が何かを喋ろうとするたびに、まるで意志を持っているかのように、正確無比に。最終的に、彼は言葉を発する気力すら失い、泣きながら逃げ出したという。
「清流騎士団」が不法占拠していた水源では、彼らが汲み上げた水だけが、なぜか全て泥水に変わるという現象が発生。どんな浄水器を使っても元に戻らず、結局、彼らは飢えと渇きに耐えかねて、その場を放棄せざるを得なかった。
他にも、不正に蓄財された食料が、一夜にして全てカビだらけになったり、悪徳商人の金庫が、なぜかコンクリートで固められて開かなくなったり、といった「不可解な厄災」が、利権を貪っていた者たちをピンポイントで襲った。
そのどれもが、どこかユーモラスで、しかし確実に、彼らの悪事を不可能にするものだった。
人々は、それを「神の見えざる手による裁きだ」と囁き合い、そして、不埒な行いをしていた者たちは、恐怖に震え上がった。
【地上:内閣府災害対策本部】
「……これが、例の『神罰リスト』です。現在までに、少なくとも数十件の同様の事例が報告されています」
小野寺拓海は、危機管理監をはじめとする政府高官たちの前で、集められた情報を淡々と報告していた。
「……ルナ・サクヤの、仕業…だろうな」
危機管理監が、重々しく呟いた。
「はい。その可能性が極めて高いと思われます。いずれの事例も、人命に関わるようなものではありませんが、悪質な利権独占や搾取を行っていた個人や団体を、的確に、そして効果的に無力化しています。まるで…『これ以上、無駄にするな』という、警告のようにも受け取れます」
小野寺は、月詠朔が以前送ってきたメールの文面――「私の『聖域』に、無粋な真似をするのは、あまりお勧めしませんよ?」――を思い出していた。
彼女は、本気だったのだ。そして、その「お仕置き」は、国家権力など及びもつかない、まさに神の領域の介入だった。
「…我々も、手をこまねいているわけにはいかんな」
危機管理監は、厳しい表情で言った。
「ルナ・サクヤが、直接的な『神罰』を下す前に、我々自身が、この国の秩序と公平性を回復させなければならない。これ以上、失望させるわけにはいかない。また、頂いた物を無駄にするわけにはいかない。小野寺君、君を中心に、公正な資源分配システムと、不正を監視・摘発する特別チームを直ちに編成しろ。そして、国民に対し、この恵みを正しく分かち合い、共に復興を目指すよう、強く呼びかけるのだ。…ルナ・サクヤは、おそらく、我々のそういう『努力』も見ているはずだ」
その言葉には、もはや以前のような強権的な響きはなく、むしろ、見えざる神の「ご機嫌」を伺うかのような、切実さすら感じられた。
小野寺は、力強く頷いた。
「はい!必ずや、国民全体の利益となるよう、全力を尽くします!」
彼の心には、月詠朔の「お仕置き」に対する恐怖よりも、むしろ、彼女が間接的に示してくれた「道しるべ」に対する、不思議な共感と感謝の念が湧き上がっていた。
彼女は、決して人間を見捨ててはいない。ただ、すこし不器用で、そしてあまりにも力が強いだけなのだ。
こうして、日本政府は、新米神様のささやかな(しかし効果絶大な)鉄槌と、そして一人の誠実な官僚の奮闘によって、ようやく「神の恵み」を正しく活用するための道を歩み始めた。
それは、多くの困難を伴うだろうが、しかし、確かに希望に満ちた道のりでもあった。
そして、その全てを、六畳間の「神域」から静かに見守る月詠朔は、モニターに映し出される、小野寺たちの懸命な姿を見て、ほんの少しだけ、満足げに微笑んだ。
(……まあ、今回はこれくらいで許してあげるか。ちゃんとやれば、褒めてあげなくもないけどね。にひひっ)
新米神様のご機嫌は、まだしばらくは、この星の未来を左右しそうだった。




