第一話:終末の兆候と三つの胎動
【地上:内閣府災害対策本部】
「――第二次大戦以降、最大の人類の危機と認識すべきです!」
会議室に、一人の研究者の切迫した声が響き渡った。大型モニターには、地球全土を覆い尽くさんばかりの、不気味な暗紫色のエネルギー反応が表示されている。
それは、数日前から世界各地で観測され始め、そして今、まさに臨界点に達しようとしていた。
「『亜』…我々がそう呼称する侵食因子は、これまでの散発的な攻撃とは比較にならない、惑星規模の総攻撃を開始する兆候を見せています。もはや、猶予はありません…!」
小野寺拓海は、その報告を、固唾を飲んで聞き入っていた。
数時間前、朔から、最後の連絡があった。「行ってくるかな…」と。
彼女が、今まさに、この人類の存亡を賭けた戦いに、たった一人で挑もうとしている。その事実が、彼の胸を締め付けた。
モニターのエネルギー反応が、一際強く明滅を始めた。
世界の終わりが、あるいは、新たな世界の始まりが、今、まさに幕を開けようとしていた。
【月詠朔:高次元への跳躍直前】
六畳間の「神域」。
月詠朔は、静かに目を閉じ、意識を集中させていた。
彼女の周囲には、もはや物理的な機器はほとんど存在しない。彼女の意志そのものが、この部屋と、そして地球全体を覆う防衛ネットワーク「聖域・プロトコル」と直結していた。
脳裏には、先ほど「システム」から提供された、「亜」の地球接続ポイント――異次元に存在する巨大なエネルギーの渦――の座標と、そこに至るための高次元航行ルートが、鮮明に映し出されている。
(……これが、最後の戦いになるかもしれない)
彼女は、決して死を恐れてはいなかった。不老不死の肉体を得た今、物理的な「死」という概念は、もはや彼女にとって希薄なものとなっていた。
だが、「存在の消滅」という可能性は、確かにあった。高次元での戦いは、それほどまでに過酷で、予測不可能なものだ。
それでも、彼女の心に迷いはなかった。
なぜなら、彼女には、どうしても守りたいと思うものを、思い出してしまったからだ。
かつて、彼女には「居場所」があった。
両親の愛に満たされているとは言い難かった幼少期、近所にあった小さな児童養護施設だけが、彼女の心の拠り所だった。そこで出会った、同じように孤独を抱えた子供たち。分け隔てなく接してくれた、優しい先生たち。一緒に笑い、一緒に泣き、そして、ほんの少しだけ「家族」という温もりを感じさせてくれた、かけがえのない場所。
だが、そのささやかな幸せは、ある夜、何者かによる放火で孤児院が紅蓮の炎に包まれ、焼け落ちることで、終わりを迎えた。 目の前で、大切な「家族」と「居場所」が、理不尽な暴力によって奪い去られる光景。それは、幼い彼女の心に、決して消えることのない傷跡を残した。
そして、大した間を置かずに両親は空の上で消え、信頼していたはずの家政婦に裏切られ…彼女の世界からは、信じられるもの全てが、次々と消えていった。
そして今、この崩壊しかけた世界で、「侵略者」の手によって、多くの子供たちが親を失い、孤児となっていた。
その事実を知るたびに、朔の胸は締め付けられるような痛みに襲われた。彼らを救いたいと渇望しながらも、何もできない自分の無力さに、ずっと苛立ちを覚えていた。
だが、日本政府との「契約」を通じて、彼女は、ささやかながらも、その願いを形にすることができたのだ。
「ひだまりの家」――彼女の(間接的な)働きかけで生まれた、新しい孤児院。そこに集う子供たちの、ほんの少しだけれど、確かに希望の光を取り戻した笑顔。
その笑顔を見た時、どうしようもなく、昔の孤児院の「家族」の顔が思い出され、胸が切なく締め付けられた。そして同時に、燃えるような決意が、彼女の魂の奥底から湧き上がってきたのだ。
――もう、絶対に、壊させない。この子たちの笑顔も、そして、この星のかけがえのない日常も。私が、全て守り抜く。
絶対に負けない。負けられない。せっかく戻ってきたみんなの希望を、壊させやなんかさせないんだから。
(そういえば・・小野寺さんには…ちゃんと、ケーキのお礼を、言えてたかな…)
ふと、そんな思考がよぎったが、彼女はすぐにそれを振り払った。
彼女は、小さく息を吸い込み、そして、全ての意識を、高次元へと向けて解き放った。
「――転移開始」
その意志と共に、彼女の存在は、この物理次元から、静かに、しかし確実な光の粒子となって、消滅した。
【侵食因子"亜":地球エネルギー吸収ユニット群】
『……異常…感知…』
『……目標エネルギー流…不安定化…』
『……高密度エネルギー体…接近…』
(以下、変更なし)
【高次元知性体"システム":観測ステーション】
『…対象個体:TSUKIYOMI SAKU、高次元空間への転移を確認』
『…目標:侵食因子「亜」地球接続ハブへの直接攻撃を開始』
『…予測成功確率:38.7%…予測生存確率:12.4%…(継続的に変動)』
(以下、変更なし)
こうして、三者三様の思惑と覚悟が交錯する中、地球の運命を賭けた、前代未聞の「天空のハルマゲドン」の幕が、静かに、そして確実に、上がろうとしていた。




