第六話:星を喰らう者への宣戦布告
「サイレント・ジェネシス」によってもたらされた、地球規模の、しかしどこか脆さを伴った静寂。
月詠朔は、その静寂の中で、自らの「神域」と化した六畳間から、依然として高次元に存在する「侵食因子(コードネーム:亜)」の地球接続ポイント――あの巨大なエネルギーの渦――を、冷徹なまでに正確な感覚で捉え続けていた。
地球上の怪異を一掃したところで、この「根」を断ち切らない限り、侵食は再び始まり、戦いは永遠に終わらない。それは、彼女にとって自明の理だった。
(……いつまでも、モグラ叩きを続けるわけにはいかない。根本から、叩き潰すか、あるいは…利用し尽くすか)
朔の脳裏には、すでに具体的な「逆侵攻」のプランが、いくつかのパターンで構築されつつあった。
それは、もはや地球を防衛するという受動的なものではなく、高次元の敵性存在に対し、こちらから積極的に打って出るという、前代未聞の作戦だった。
だが、それを実行するには、いくつかの「準備」と、そして「覚悟」が必要だった。
まず、彼女は小野寺拓海に、極めて簡潔なメールを送った。
『件名:重要連絡。今後の地球防衛に関する最終計画について。
小野寺様。
近いうちに、当方は「侵食因子(コードネーム:亜)」の地球への干渉を、恒久的に停止させるための作戦を実行に移します。
作戦の成否は、現時点では不明です。最悪の場合、当方の存在そのものが消滅する可能性も否定できません。
つきましては、作戦実行前に、貴殿と一度、直接お会いし、いくつかの重要事項について最終的な確認と、そして…まあ、少しだけ「お願い」をしたいと考えています。
場所と日時は、前回同様、貴殿にお任せします。ただし、条件も前回と同じです。
ご多忙中とは存じますが、可及的速やかなご返信をお願いいたします。
名無しの守り人』
メールを送信し終えた朔は、ふぅ、と小さく息をついた。
小野寺に会うのは、決して感傷的な理由からではない。
もし自分が失敗した場合、あるいは成功したとしても、その後の地球の「管理」を、ある程度信頼できる人間に託しておく必要がある。そして、そのための最低限の「情報共有」と「権限移譲」のようなものを、彼にしておくべきだと判断したからだ。
もちろん、美味しいケーキのおねだりも、忘れてはいないが。
次に、彼女は意識を「システム」へと向けた。
「システム」は、朔のこの大胆な決意を、おそらくはすでに感知しているだろう。
そして、彼らがそれを「承認」するのか、それとも「静観」するのか、あるいは「介入」してくるのか。
それは、朔にとっても未知数だった。
『……「システム」。聞こえているんでしょ? 私、これから「亜」の本体(あるいは、少なくとも地球への接続ハブ)を直接叩きに行くつもりだけど。何か言いたいことはある? あるいは、何か「手伝ってくれること」とか、ないわけ?』
朔の問いかけは、直接的な言葉ではなく、純粋な「意志」として、高次元へと送られた。
しばらくの沈黙の後、脳内に、あの荘厳な「感覚」が流れ込んできた。
『…対象個体:TSUKIYOMI SAKUによる、侵食因子(コードネーム:亜)への直接干渉計画、認識。
当該計画は、極めて高いリスクを伴うが、成功した場合、対象領域の恒久的安定に大きく貢献する可能性を内包する。
当「システム」は、対象個体の自主的な判断と行動を最大限尊重する。
ただし、以下の追加リソース及び情報の提供を、最終支援として行う。
1.高次元空間航行及び対抗干渉用特殊装備の設計データ(カスタマイズ及び生成は対象個体に一任)
2.侵食因子「亜」の既知の弱点及び行動パターンに関する限定的情報
3.対象個体の存在情報バックアップ、及び、万が一の際の緊急離脱プロトコルの起動権限(ただし、成功率は保証しない)
効率的な成果を期待する』
(……やっぱり、食えない連中ね。でも、まあ、これだけあれば十分すぎるくらいか)
「システム」からの返答は、相変わらず感情の欠片も感じさせないものだったが、その内容は、朔にとって望外の「支援」だった。
特に「存在情報バックアップ」と「緊急離脱プロトコル」は、彼女の生存確率を飛躍的に高めるものだろう。
「システム」もまた、この「特異点」である朔を失うことは、彼らの計画にとって大きな損失だと判断しているのかもしれない。
これで、外部的な準備は整った。
あとは、朔自身の「覚悟」だけだ。
地球を守る。それは、もはや彼女にとって、ただの「面倒事」ではなくなっていた。
あの孤児院の子供たちの笑顔。小野寺の誠実な眼差し。そして、この星で懸命に生きようとする、名も知らぬ全ての人々。
それらを、自分の手で守り抜く。
その決意は、彼女の中で、静かに、しかし確固たるものとして形作られていた。
(……さて、と。小野寺さんとの「最後のお茶会」の前に、ちょっとだけ、新しい「オモチャ」の設計でも始めますか。今度の敵は、今までとはワケが違うみたいだしね)
朔の口元に、いつもの不敵な笑みが浮かんだ。
だが、その瞳の奥には、これまでにはなかった、何か神々しいほどの静謐さと、そして揺るぎない決意の光が宿っていた。
ひとりぼっちの神様は、今、その最後の戦いに向けて、静かに、そして力強く、その翼を広げようとしていた。




