表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひとりぼっちの最終防衛線(ラストライン)  作者: 輝夜
幕間 忠誠と秘密とケーキの箱
47/83

ひだまりの素顔

「……はぁ。どうした事でしょうか...どうも、集中できません」


孤児院を「視察」した翌日。月詠朔つきよみさくは、自室の「聖域」で、普段の冷静さを欠いていた。指先がキーボードの上を彷徨うが、いつものような思考の奔流は湧かない。モニターに映る設計図も、彼女の興味を惹きつけない。心の奥底で、遠い場所で響く子供たちの笑い声が、微かに、しかし確かに木霊しているかのようだった。

(別に、あの子たちがどうなろうと、私には関係ないはず。契約は成立したし、あとは政府に任せておけばいい。でも……)

自分に言い聞かせても、胸の奥で、もう一度あの笑顔を見たいと願う衝動が、無視できないほどに膨れ上がっていた。それは、理性では抑えきれない、温もりの渇望だったのかもしれない。


結局、さくは、自分に「追加の抜き打ち視察よ。ちゃんと運営されているか、確認する必要があるわ」と、もっともらしい理由を付けて、再び漆黒の隠密スーツを身に纏った。もちろん、昨日と同じくフードを目深にかぶり、大きなサングラスで顔を覆い、誰にも気づかれずにマンションを出る。


ひだまりの家は、昼間の日差しを浴びて、昨日よりも一層、活気に満ちていた。庭には、保育士たちに引率された大勢の子供たちが、賑やかに遊んでいる。笑い声が、街の喧騒にも負けないほど、澄んだ空気中に響き渡る。

さくは、昨日と同じ木の陰から、その様子を観察した。

砂場で泥だらけになって笑い転げる子供たち。ブランコを漕ぐ小さな足。鬼ごっこで駆け回る幼い影。彼らは、まるでこの世に悲劇など存在しないかのように、全身で「今」を楽しんでいる。


(……そうだった。私もあんな感じだった...。あの時のあの子は、元気にしてるのかな...)


さくの脳裏に、かつて自分が過ごした孤児院の、穏やかで温かい日常が、まるで走馬灯のように蘇る。

笑い声。誰かの手の温もり。些細なことで喧嘩して、すぐに仲直りした、いとけない日々。それは、彼女のこれまでの人生の中で、もっとも「子供らしい幸せの時間」の記憶だった。


その時、一人の小さな男の子が、勢い余ってさくの隠れていた木の陰の近くまで転がり込んできた。男の子は、さくの存在に気づくと、キョトンとした表情で、彼女の姿をとらえていた。

「……おねえちゃん、だあれ?何してるの?」

無邪気な瞳がさくを見つめて、そして走り寄ってきた。

さくは、思わず身を引こうとしたが、次の瞬間、男の子が足元の石につまずき、小さな体が前のめりに倒れ込んだ。

「わあっ!」

地面に打ちつけられる寸前、朔の体が、ほとんど無意識のうちに動いた。反射的に手を伸ばし、小さな体を支えようと抱き留める。だが、男の子の勢いと、その小さな体重が思いのほか重く、バランスを崩した朔も、そのまま柔らかい芝生の上に、男の子を抱きかかえるようにして倒れ込んだ。


ドサリ、と低い音が響いた。その衝撃で、朔の頭部を覆っていたフードが大きくずり落ち、顔を隠していたサングラスも、カチャン、と音を立てて芝生に転がった。

その瞬間、彼女の素顔が、白日の下に晒された。

まだあどけなさを残す、しかし整った顔立ち。そして、まるで宇宙の星々を映したかのような、深く輝く瞳。

男の子は、さくの素顔を見ると、目をぱちくりと瞬かせ、そして、にこっと、屈託のない笑顔を見せた。

「わあ……おねえちゃん……お人形さんみたい!」

そして、その小さな手が、さくの頬に、触れようと伸びてきた。


さくの全身が微かに強張った。幼い子の、その手が顔に迫る。それは、長らく他者との接触を拒絶し、心を固く閉ざしてきた朔にとって、遠い過去の楽しい記憶の中にだけあるものだった。本能が警鐘を鳴らし、足が後ずさろうとする。だが、その足はまるで地面に根を張ったかのように、微動だにできなかった。

そして、気が付けば彼女の手は、その子の柔らかい髪をそっと撫でていた。指先に伝わる、温かく、柔らかい感触。

「……こけないように、気をつけなさい。次は、もっと気をつけてくださいね」

さくは、戸惑いながらも、どこか不器用に、しかし優しい声でそう告げた。


その頃と前後して、孤児院の入り口に、見慣れた人影が現れた。

小野寺拓海だった。予定しては居なかったのだが、孤児院を訪れる子供たちの安全確認のために、今日もボランティアとして来てみたのだ。

中に入ろうとしたその時、彼は、さくの姿に気づき、ハッと息を飲んだ。


そこにいたのは、フードとサングラスを外し、その素顔を晒した「名無しの守り人」――さくさんだ。そして、彼女の傍らには、無邪気に笑いかける小さな男の子がいる。


その、あどけなさを残しながらも、整った顔立ちと、子供と触れ合うさくの、一瞬見せた柔らかな表情に、小野寺は、言葉を失っていた。


(……さくさん。やはり......。話し合いの時の、あの超越した気配とは異なり、まるでごく普通の……いや、これが、彼女本来の姿なのだろう。)

(……彼女の、素顔を見てしまった。これは、果たして許されるかどうか……。)

小野寺は、まだあどけなさを残したこの少女が、多くの事の全てを一人で背負っているのだという、事実に胸を締め付けられた。


さくに向かって、ゆっくりと歩み寄った。その足取りは、まるで聖域へ踏み入るかのように慎重だったが、彼の瞳には、この秘密を胸の中にしまい込み、彼女の重荷を少しでも分かち合いたいという、静かな決意が宿っていた。


さくは、近づいてくる小野寺の存在に気がつくと、はっとしたように、慌ててサングラスを拾い上げた。顔を隠そうと手が伸びたが、その途中で、ぴたりと動きを止めた。諦めたように、微かに肩を落とす。

「あ、小野寺さん。ま、また会いましたね。これは、その……偶然この近くまで、ですね...そうっ!通り...かかったので...」

声のトーンは、いつもの冷静なものに戻ったが、顔を逸らしたまま、その瞳は微かに泳いでおり、動揺が隠しきれていない。


「小野寺さんだ! おねえちゃんと、おともだちなの?」

男の子が、無邪気に小野寺に尋ねる。

「あ、ああ、そうだね。お、お友達、だよ」

小野寺は、咄嗟にそう答えた。


さくさん。少々、お話できませんか?」

小野寺は、周囲の目を気にしながら、彼女に会談を申し出た。彼の声には、深い理解と、そして、このまだ幼なさの残る守護者の秘密を守り抜こうという、静かな決意が込められていた。


さくは、一瞬迷ったが、やがて小さく頷いた。

(……ん~、いっか。もうどうしようもない。見られたものは、仕方ない。それに、この人なら、変なことにはならないでしょう)

そう判断し、さくは静かに答えた。

「……ええ。いいでしょう。では、何処か良いところはありますか?今日は、ちょっと気分を変えて、温かいコーヒーでもご馳走になりたい気分です。もちろん、例のケーキ付きですよ」


さくの、いつもの「おねだり」に、小野寺は、苦笑しながらも、安堵したように頷いた。

「……はい。かしこまりました。最高のケーキをご用意いたします。もちろん、コーヒーも」

小野寺は、男の子に別れを告げると、孤児院の裏口へと回り、さくに先導するように促した。

二人の間には、言葉にはできない、「秘密」と「信頼」が、確かに芽生え始めていた。


さくは、子供たちに気づかれないよう、遊具の陰に、昨日置いたキャンディの袋の隣に、さらに大きな袋をそっと置いた。中には、最高級のチョコレートがぎっしり詰まっている。

(……今日の「素顔見られちゃった代」と、明日の「笑顔代」ね。……ふふっ)

彼女の口元に、誰にも見られない、しかし確かに温かい、笑みが浮かんでいた。

それは、彼女の孤独な戦いの道に、かけがえのない「ひだまり」が、差し込んだ瞬間だった。

そして、その「ひだまり」は、彼女の心を、少しずつ、確実に解き放っていっている。


本日は、この後

17:00

1話公開予定です。

〜かぐや〜


「この作品はフィクションであり、実在の人物・団体・団体・事件などとは一切関係ありません。また、特定の思想・信条を推奨するものでもありません。」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ