密会と混乱、そして甘い契約 (前編)
内閣府地下、災害対策本部の一室。小野寺拓海は、「名無しの守り人(コードネーム:サクヤ)」からの短いメールに、緊張と期待を滲ませていた。『話くらいは聞きましょう。日時と場所を指定してください。ただし、必ず貴殿お一人でお越しください』。それは、国の未来を左右しかねない、直接接触の機会だった。
会議は紛糾した。「危険すぎる!」「罠だ!」という声が飛び交う中、小野寺は「私が責任を持って臨みます。ここで誠意を見せなければ、二度と機会はないかもしれません」と、半ば悲壮な覚悟で上層部を説得した。表向きは、彼の単独での会合が了承され、場所は人通りの少ない公園の東屋、日時は明日の午後三時と決定された。
しかし、小野寺が退出した後の会議室では、危機管理監が密かに指示を出していた。「小野寺君には極秘で、万全の監視体制を敷け。サクヤの情報を収集しろ。ただし、絶対に気づかれるな」。敵を騙すにはまず味方から――小野寺の動揺を避けるための、冷静な判断だった。
翌日、午後三時きっかり。小野寺は、政府の真意など露知らず、一人、東屋のベンチでサクヤの出現を待っていた。彼の知らないところで、数百メートル四方には、諜報員、スナイパー、そして能力者たちが息を潜めていた。対策本部のモニターには、複数の角度から小野寺の姿が映し出され、幹部たちは固唾を飲んでその瞬間を待つ。彼らは、自分たちの監視体制が完璧だと信じていた。
その頃、月詠朔は自室で「お出かけ」の準備を終えていた。パーカーにサングラス、そしてパーカーの下には改良型スーツと秘密兵器。政府の監視など、もちろんお見通しだ。(まあ、ちょっとした余興にはなるかな)。彼女は軽く指を鳴らし、その意識と身体は、小野寺の目の前に「転移」した。もちろん、転移の数秒前には、東屋とその周辺は「次元遮断フィールド(改良型)」を展開済みで、外部からのあらゆる観測はシャットアウトされている。
「……あなたが、小野寺拓海さん?」
静かな、しかし芯のある声。フードとサングラスで顔の大部分は隠されているが、小柄で華奢な姿と可愛らしい声は、およそ「神」のイメージとはかけ離れていた。
「あ…!は、はい! 私が小野寺です!あなたが…『名無しの守り人』様…で、よろしいのでしょうか?」
慌てて立ち上がり、深々と頭を下げる小野寺。
「…呼び方はどうでもいいわ。まあ、そんな感じで。で、話って何? 手短にお願いしたいんだけど」
朔は、彼の狼狽ぶりを内心楽しみながら、本題を促した。
一方、対策本部では、まさにその瞬間、モニターから小野寺の姿が、ふっ、と消えた。
「...............は?」
間の抜けた声が漏れ、会議室は水を打ったような静寂に包まれる。次の瞬間、危機管理監の怒声が響き渡った。「ど、どうした!? 各監視班、応答しろ!」
「目標ロスト!」「原因不明!」「東屋周辺に高密度エネルギーのような、歪みを感じる、と特殊能力者からの情報!空間が『切り取られた』かのようにかんじると!直接報告を!!」「......なんだこの力は...こんな事が...可能なのか?!」
報告は混乱を極め、対策本部はパニックに陥った。小野寺に連絡を取ろうにも、それ自体が監視を白状する行為になる。彼らは、自分たちの仕掛けた策に、自分たちが嵌っていた。
その頃、当の小野寺は、朔と共に、数キロ離れた雰囲気の良い喫茶店の個室にいた。「ぽん!」という効果音(もちろん小野寺の脳内だけだ)と共に、景色が一変したのだ。
「……え? あ……ここは……?」
言葉を失う小野寺に、朔は「まあ、細かいことは気にしない気にしない。さ、早く注文しましょ」と、悪戯っぽく笑いかける。
結局、その日の「会談」は、国家の危機に関する真剣な議論と、朔による一方的な甘いもののおねだりが混在するものとなった。小野寺は、目の前の存在の掴みどころのなさに戸惑いながらも、必死に彼女の言葉に耳を傾ける。朔は、美味しいケーキとパフェを堪能しつつ、小野寺の提案の中から、自分のメリットになる部分を的確に見抜き、そして自分の要求を巧みに通していく。
(うん、今日の『相談料』は、なかなか美味しかったな。小野寺さん、意外と話が通じるし、これからも色々『お願い』できそう。にひひっ)
約束の三十分後。二人は再び東屋に戻っていた。小野寺の手には、なぜか可愛らしいケーキの箱が握られている。
「それじゃ、今日のところはこれくらいで。本契約の条件については、また後日メールするから。ちゃんと『誠意』のある回答、期待してるよ?」
そう言い残し、朔はふと真顔になった。「……あ、そうだ。最後に一つだけ、大事なこと。今日、私と会って得られた、性別や外観など私自身の情報について、それがどんな些細なことであっても、外部に漏らさないこと。もし、その約束が破られたと私が判断した場合…今後のやり取りは、一切ありません。そうなったら、この国がどうなっても、私は関知しない。…分かった?」
その静かだが有無を言わせぬ言葉に、小野寺は「…はい。必ず、お約束いたします。この小野寺拓海、命に代えても」と、深々と頭を下げた。
「…なら、いいけど」
朔は、ふっといつもの調子に戻ると、「ぽん!」という感じで、再び彼の目の前から姿を消した。
対策本部では、小野寺の再出現と、その手に握られたケーキの箱に、さらなる困惑が広がっていた。
「…小野寺君を、至急こちらへ呼び戻せ!そして、何があったのか、詳細に報告させるんだ…!…それと、そのケーキの箱の件もだ!」
危機管理監の指示が飛ぶ。だが、彼らがどれだけ問い詰めても、小野寺から得られる情報は限られているだろう。なぜなら、彼自身もまた、体験した出来事の半分も理解できていないのだから。そして、まさか「ケーキを奢らされました」とは、口が裂けても言えない。
振り回される政府と、そのエージェントたち。彼らの苦悩は、まだ始まったばかりだった。




