星々の計算、あるいは揺りかごの監視
――深淵。
光も、音も、時間すらも意味をなさない、絶対的な虚無。
そこに、それは在った。
個としての形を持たず、意志としての輪郭も曖昧な、しかし、途方もない知性と力とを内包する「何か」。
その「何か」の前には、青白く輝く、精巧な球体スフィアが浮かんでいた。
地球。生命の星。
今、その表面には、無数の赤い染みが広がり、そして、いくつかの場所では、微弱ながらも抵抗の光が点滅している。特に、その中のひときわ強く、安定した輝きを放つ一点が、「何か」の注意を惹いているようだった。
「何か」の周囲を、名状しがたい幾何学模様の光の粒子が、静かに、しかし複雑な軌跡を描きながら漂っている。
それらは、時に集まり、時に離れ、まるで意思を持つかのように、球体の表面を撫で、その内部を走査し、そして、得られた情報を「何か」へと伝達していく。
『…観測対象領域セクター・ガイア…継続的ストレス負荷…確認…』
『…外因性侵食因子(コードネーム:ラビット、ファングキャット等)…活動パターン…変動周期…予測誤差修正…』
『…対象領域内進化促進個体(コードネーム:TSUKIYOMI SAKU)…成長曲線…極めて特異…』
光の粒子が、囁くように、あるいはただ事実を羅列するように、情報を紡ぎ出す。
その声は、人間の耳には決して届かない、高次元の振動。
『…初期評価C+…第二次評価SSS…第三次評価SSS+…ワールドランキング…No.1到達…』
『…リソース供給に対する反応効率…理論値上限に近接…自己進化能力…依然として指数関数的増大の可能性を示唆…』
『…精神的安定性…現時点では許容範囲内…ただし、環境変化への適応に伴う予測不能な変質の可能性…留意…』
「何か」は、その報告を、ただ静かに受け止めている。
感情も、意思も、そこからは読み取れない。
ただ、無数の光の粒子が、より一層複雑なパターンを描き始め、球体の未来予測シミュレーションを高速で実行していく。
そのシミュレーションの中では、赤い染みがさらに広がり、抵抗の光が揺らぎ、そして、あのひときわ強い一点の輝きが、時に不安定に明滅しながらも、なお存在感を増していく様子が映し出されていた。
『…外因性侵食因子…次期進化パターンの予測…及び、出現規模の増大…確度上昇…』
『…これに伴い、対象領域内進化促進個体への負荷増大は必至…』
『…現行サポートプロトコルの継続、及び、状況に応じた追加リソースの供給準備…承認…』
『…特に、識別コード:TSUKIYOMI SAKU…その生存性と継続的活動の確保は、本計画における最優先事項と再定義…』
光の粒子たちが、新たな計算結果と対応策を「何か」に提示する。
球体の表面に、これまでとは異なる、より複雑で、より濃密な赤い染みが広がる予測。
それは、次なる、より過酷な「淘汰圧」の到来を意味していた。
深淵の中で、「何か」は、ただ静かに、その全てを観測し続けている。
その視線の先に、果たして何を見据えているのか。
それは、地球の生命にも、そして、六畳間で次の「オモチャ」の設計に夢中になっている少女にも、まだ知る由もないことだった。
星々は、ただ静かに計算を続け、そして、揺りかごを見守るように、あるいは冷徹な実験者のように、その一点の輝きに注目し続けている。
終わらない試練の、次なる波が、静かに、しかし確実に、近づきつつあった。
「この作品はフィクションであり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。また、特定の思想・信条を推奨するものでもありません。」




