第十八話:世界の瘡蓋と希望の灯
第三次大襲撃――「ファングキャット・パンデミック」とも後に呼ばれることになるその災厄は、世界各地に前回を遥かに凌駕する、まさに致命的な爪痕を残した。
出現エリアが広範囲に分散したこと、そして新たに出現した「ファングキャット」の俊敏性と凶暴性は、既存の防衛体制をいとも容易く打ち破り、多くの都市機能を完全に麻痺させた。
数日が経過し、ようやく被害の全貌が明らかになり始めると、その数字は人々を再び絶望の淵へと突き落とした。
ある国では、主要都市の半数以上が壊滅的な打撃を受け、政府機能が停止。事実上の無政府状態に陥っているという。
またある地域では、インフラが寸断され、食料や医薬品の供給が完全に途絶。飢餓と疫病が蔓延し、地獄絵図と化しているという報道もあった。
死者・行方不明者の数は、もはや正確に把握することすら困難なレベルに達し、世界人口の大幅な減少は避けられないという悲観的な予測が、専門家たちの口から語られ始めた。
そして、親を失い、家を失い、未来を奪われた孤児たちの数は、想像を絶する規模に膨れ上がっていた。彼らの悲痛な姿は、ニュース映像を通じて世界中に配信され、人々の胸を締め付けた。
そんな絶望的な状況の中で、しかし、いくつかの「例外」が存在することも、徐々に明らかになっていった。
まず、第二次大襲撃後に「奇跡の街」と呼ばれた、月詠朔の住む〇〇市南々東エリア。
今回の第三次襲撃においても、このエリアの被害は、他の地域と比較して「あり得ないほど軽微」だったのだ。
ファングキャットとラビット・ホーンの出現数は、他の激戦区と遜色なかったにも関わらず、民間人の死傷者数はほぼゼロ。建物の損壊も最小限に抑えられ、まるでそこだけが嵐の目の中にいたかのような、異常なまでの安全が保たれていた。
この事実は、もはや単なる偶然や幸運では説明がつかない。
「スカイフォール・スナイパー」――その正体不明の守護者の存在を、多くの人々が確信するようになっていた。
そして、このエリアは、今や世界で最も安全な場所の一つとして、絶望の中にいる人々の最後の希望の灯となりつつあった。
さらに、世界に目を向けると、〇〇市南々東エリアほどではないにしろ、比較的被害が少なく、早期に秩序を回復しつつある都市が、いくつか存在することが分かってきた。
それらの都市には、いくつかの共通点が見られた。
一つは、「システム」によるランキングで上位に位置する、強力な能力者が活動している拠点であること。
もう一つは、第二次大襲撃以降に台頭してきた、組織力と実力を兼ね備えた能力者団体が、その防衛の中核を担っていることだ。
例えば、北米大陸のある都市では、ワールドランキング一桁台と噂される超能力者が、たった一人で一個師団に匹敵する防衛ラインを構築し、街を守り抜いたという。
ヨーロッパの古都では、騎士団のような厳格な規律を持つ能力者集団が、市民と一体となって怪異の侵入を阻止し、その結束力の高さを示した。
アジアの経済都市では、ハイテク装備で武装した企業傘下の能力者チームが、効率的な掃討作戦を展開し、被害を最小限に食い止めた。
これらの「比較的安全な都市」の情報は、ネットを通じて瞬く間に世界中に拡散された。
そして、人々は気づき始めた。
もはや、国家という単位で安全を確保することは困難であり、生き残るためには、これらの「希望の灯」――すなわち、強力な能力者や組織によって守られた、点在する安全地帯――を目指すしかないのだ、と。
こうして、新たな「コロニー(植民地)」とも呼ぶべき、生存を賭けた人々の大移動が、静かに、しかし確実に始まろうとしていた。
朔は、自室のモニターで、そうした世界の状況を冷静に眺めていた。
自分が守ったエリアが「奇跡の街」として祭り上げられ、世界中から注目を集めていること。
そして、自分以外にも、世界には途方もない力を持つ能力者が存在し、彼らがそれぞれの場所で「希望の灯」となっていること。
それらの事実は、彼女に特に大きな感情の起伏をもたらすことはなかった。
(……ふーん。やっぱり、私以外にも強いヤツはいるんだ。まあ、当然か。7位だし)
彼女の関心は、むしろ、次の「システム」からの評価と、それによって得られるであろう新たな「リソース」や「カスタマイズ」の可能性に向けられていた。
世界の惨状も、人々の絶望も、彼女にとっては、自分の「ゲーム」の背景で流れている、ただのイベントムービーのようなものなのかもしれない。
ただ、一つだけ、ほんの少しだけ気になったのは、モニターに映し出された、親を失い、路上でうずくまる小さな子供たちの姿だった。
その瞳に宿る、深い絶望と孤独の色。
それは、かつての自分自身の姿と、ほんの少しだけ重なって見えたような気がした。
(……面倒な感傷は、よそう)
朔は、すぐにその思考を打ち消し、ブラウザを閉じた。
感傷に浸っている暇があるなら、次の襲撃に備えて、もっと効率的な「掃除」の方法を考える方が建設的だ。
六畳間の静寂の中で、彼女は再び、孤独な「錬金術」に没頭し始める。
世界の瘡蓋が深くなる一方で、彼女の力は、ますます研ぎ澄まされていくのだった。
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