第十六話:聖域防衛(六畳間要塞化計画)
窓の外から聞こえてくる、酔っ払いの怒鳴り声と、それを諌める誰かの声、そして割れる瓶の音。
その耳障りな騒音で、月詠朔の我慢は、ついに限界を超えた。
「……いい加減に、しろっ!!」
普段の彼女からは想像もつかないような、低い、しかし怒りに満ちた声が、六畳間に響いた。
ノートパソコンを乱暴に閉じ、朔は作業スペースに向かう。その瞳には、明確な殺意――いや、この場合は「排除の意志」とでも言うべきか――が宿っていた。
ターゲットは、外部からのあらゆる「ノイズ」。そして、その排除方法は、物理的な「遮断」。
(私の部屋は、私の聖域だ。誰にも邪魔はさせない。絶対にだ)
この数週間、蓄積してきたストレスと苛立ちが、今、彼女の中で新たな「創造」へのエネルギーへと転化されようとしていた。
幸い、「システム」から供給されたリソースはまだ潤沢にあり、装備のカスタマイズで培った技術と知識もある。そして何より、彼女には「ワールドランキング7位」の頭脳と、それを実現するための異常なまでの集中力があった。
まず、取り組んだのは「音」の完全遮断。
ヘッドホンではもう限界だ。部屋そのものを、外部の音から隔離する必要がある。
朔は、供給されたリソースの中から、特殊な吸音材と、微細な振動を逆位相の振動で打ち消すアクティブノイズキャンセリングの原理を応用できる素材を選び出した。
それらを使い、部屋の壁、天井、床、そして窓に、薄い、しかし極めて高性能な遮音・制振レイヤーを何重にも施工していく。
その作業は、もはや日曜大工のレベルを遥かに超えていた。精密な計算に基づき、素材をミリ単位で加工し、寸分の狂いもなく組み上げていく。まるで、超高性能なオーディオルームでも作り上げているかのようだ。
次に、「視覚的」及び「物理的」な遮断。
カーテンだけでは心許ない。不審者の侵入はもちろん、外部からの覗き見などもってのほかだ。
窓には、内側からワンタッチで起動できる、極薄の強化プロテクターを設置。これは、通常のガラスよりも遥かに高い強度を持ち、銃弾すら弾き返すほどの性能を持つ(もちろん、そんな物騒なものが飛んでくるとは思ってないが、念のためだ)。さらに、プロテクターは瞬時にスモーク状になり、外部からの視線を完全にシャットアウトすることも可能だ。
ドアも同様に改造。内側から複数のロック機構を追加し、さらに表面には、わずかな衝撃や振動も感知するセンサーを埋め込んだ。
そして、極めつけは、部屋の周囲に展開する「空間断絶フィールド(仮)」の構築だった。
これは、朔が以前から温めていたアイデアで、「システム」から供給された未知のエネルギー素子と、彼女独自の理論を組み合わせて実現しようという、極めて野心的な試みだ。
フィールド発生装置は、部屋の四隅に設置した小型のデバイス。それらが連動し、部屋の周囲にごく薄い、しかし強力なエネルギー障壁を形成する。この障壁は、物理的な侵入を防ぐだけでなく、特定の周波数の電磁波や、さらには「ラビット」が発する微弱な異次元エネルギーのようなものまで遮断することを目的としていた。
まさに、六畳間を、この世界から切り離された「異空間」にするような試みだった。
(ふ、ふひひ……これで、完璧だ……! 私の城は、誰にも汚させない……!)
数日間に及ぶ徹底的な「魔改造」の結果、月詠朔の703号室は、もはや単なるマンションの一室ではなくなっていた。
それは、外部からのあらゆる干渉を拒絶する、鉄壁の要塞。
そして、その内部は、絶対的な静寂と安全が保証された、彼女だけの聖域。
試しに、窓の外の喧騒に耳を澄ましてみる。
……何も聞こえない。
あれほど耳障りだった騒音は、嘘のように消え去っていた。まるで、自分が深海にでもいるかのような、完全な静寂。
朔は、満足げに息を吐いた。これでようやく、心置きなく自分の「作業」に集中できる。
物流の遅延は相変わらずだったが、それは彼女の予測の範囲内であり、数週間分の食料と生活必需品はすでに備蓄済みだ。
治安の悪化に関しても、最近では警察や自衛隊のパトロールが強化され、能力者による自警団も組織化されてきたためか、以前のような無法地帯ではなくなりつつあった。
先日も、深夜の買い出しの際に、路地裏で数人のチンピラに絡まれそうになったが、強化されたスーツのステルス機能で気配を消し、難なくその場をやり過ごすことができた。直後にパトカーのサイレンが聞こえてきたので、おそらく彼らはすぐに御用になったことだろう。
朔にとって、街の治安がどうなろうと、自分の身に火の粉が降りかからなければ、それで良かった。
(さて、と……邪魔者もいなくなったことだし、そろそろ本気で「次」の準備を始めるとしますか)
絶対的な静寂を取り戻した六畳間で、朔は再びアタッシュケースを開いた。
その顔には、先ほどの怒りの表情はなく、ただひたすらに冷静で、そしてどこか楽しげな、いつもの「錬金術師」の顔が戻っていた。
彼女の「ゲーム」は、まだ始まったばかりだ。そして、そのための最高の「環境」は、今まさに彼女自身の手によって整えられたのだから。




