宇宙一のパート練習
ひだまり中学校から、王立中央高等学院へと進学し、吹奏楽部に入部した雫。
初めて手にする「オーボエ」という楽器の、あまりの難しさに、悪戦苦闘の日々を送っていた。
彼女が所属することになった「ダブルリード・パート」は、学院全体でも、特に個性的で、そして実力者揃いの、小さな、しかし重要なセクションだった。
パートのメンバーは、雫を含めて、全部で5人。
三年生のパートリーダー、月島静香先輩。
その名の通り、物静かで、儚げな美しさを持つが、一度、オーボエを手にすれば、その音色は、聴く者の魂を震わせるほどの、情熱と、表現力を宿す、学院No.1の天才奏者。ただし、少しだけ、浮世離れしている。
二年生の、双子の先輩、木幡風太くんと、雷太くん。
風太くんは、ファゴット担当。穏やかで、優しく、いつもニコニコと、後輩たちの面倒を見てくれる、パートの「癒やし」担当。
一方、雷太くんは、同じくファゴット担当だが、兄とは正反対。口は悪いが、根は優しく、そして誰よりも練習熱心な、ツンデレ努力家タイプ。
そして、雫と同学年で、同じくオーボエを始めた、もう一人の一年生。
明るく、元気で、少しだけお調子者。誰とでもすぐに打ち解ける、パートのムードメーカー、日向葵ちゃん。
この、個性豊かな5人が集う、音楽室の片隅の、小さな練習室が、雫の、新しい「居場所」となった。
「はい、雫ちゃん、葵ちゃん。まずは、ロングトーンからね。お腹の底から、ずーっと、まっすぐな息を、楽器に吹き込むイメージで」
静香先輩の、透き通るような声が、部屋に響く。
「「はい!」」
雫と葵は、緊張しながら、オーボエを構える。
ポーーーーーーーーー…。
静香先輩の吹く音は、まるで絹のように、滑らかで、美しい。
ブエーーーーーーーーッ!!!
しかし、雫と葵が出す音は、まだ、アヒルの鳴き声のように、不安定で、情けない。
「…だめだ…。全然、先輩みたいに、綺麗な音が出ないよ…」
雫は、しょんぼりと、肩を落とした。
「…ったく、当たり前だろ」
後ろから、少しだけ、呆れたような、でも、どこか優しい声がした。雷太くんだ。
「オーボエってのはな、そんな、一日二日で、まともな音が出るような、甘い楽器じゃねえんだよ。…ほら、天野。お前の、リードの削り方、少し、薄すぎる。これじゃあ、息が安定しねえ。貸してみろ」
彼は、ぶっきらぼうにそう言うと、雫のリードを、手慣れた様子で、専用のナイフで、微調整してくれた。
「…これで、少しはマシになるはずだ。…べ、別に、お前のためじゃねえからな! パート全体の音が、汚くなるのが、気に食わねえだけだ!」
「あ、ありがとう、木幡先輩…」
雫は、その、不器用な優しさに、少しだけ、顔を赤らめた。
その、あまりにも絵になりすぎる、青春の一ページを、もちろん、今日もまた、三人の「神様保護者」が、見逃すはずもなかった。
彼らは、完璧な認識阻害を施し、「音楽室の壁に、いつの間にか増えている、見たこともない、謎の作曲家(ゼノン、アリア、レイ)の、肖像画の中」に、魂を宿らせ、固唾をのんで、その様子を見守っていた。
【オペレーション・センター:音楽室の壁(肖-像画の中)】
「…むぅぅぅ…。あの、雷太とかいう、ツンデレの小僧め…! 我が娘に、馴れ馴れしく、触れおって…! しかも、なんだ、その態度は! 許せん! 今すぐ、彼の、ファゴットのリードだけを、宇宙で最も硬い物質『オリハルコン』に、置換してやる…!」
ゼノンパパが、ベートーヴェンの、苦虫を噛み潰したような肖像画の中から、静かな、しかし、凄まじい嫉妬の炎を、燃やしている。
「まあまあ、善さん。微笑ましいではございませんか。ああして、切磋琢磨し合える仲間がいること、雫にとっては、何物にも代えがたい、宝物ですわ」
モーツァルトの、優雅な肖像画の中から、アリアおば様が、うっとりと、その光景を見つめている。
「そうよ、そうよ! ゼノンは、分かってないわねぇ!」
バッハの、なぜか少しだけ、エレキギターをかき鳴らしてそうな肖像画の中から、レイおば様が、楽しげに言った。
「ああいう、ちょっと意地悪だけど、本当は優しい先輩っていうのが、一番、女の子の心を、掴むのよ! これは、朝日くん、うかうかしてられないわねぇ! 面白くなってきたじゃない!」
神々の、恋の三角関係(?)への、期待と、不安と、嫉妬が、静かな音楽室で、渦巻く。
練習が終わり、帰り道。
雫は、葵ちゃんと、そして、同じく吹奏楽部に入部した、朝日くん(彼は、パーカッションパートだ)と、三人で、並んで歩いていた。
「いやー、それにしても、静香先輩の音、本当にすごいよね!」
「うん…。私も、いつか、あんな風に、吹けるようになるのかな…」
「なれるさ、雫なら。…俺、いつでも、練習付き合うよ。お前の、一番近くで、リズムを刻んでやるから」
朝日くんが、少しだけ、ぶっきらぼうに、でも、その瞳は真っ直ぐに、雫を見つめて言った。
その、不器用な、しかし、誰よりも力強い「応援」の言葉。
そして、その後ろから、自転車で追い抜いていった、雷太くんが、ちらり、と、こちらを見て、ふん、と鼻を鳴らした、その横顔。
雫の、新しい部活動生活は、たくさんの、素敵な仲間たちと、そして、少しだけ、複雑な恋の予感に、彩られながら、最高の形で、その「序曲」を、奏で始めたのだった。