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ひとりぼっちの最終防衛線(ラストライン)  作者: 輝夜
その後のエピソード
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宇宙一の、初めての部活動


王立中央高等学院の、活気あふれる放課後。

新入生たちを歓迎する、部活動の勧誘ポスターが、校舎の至る所に、所狭しと貼り出されている。

その中で、雫の足を、ぴたりと止めさせたのは、一枚の、美しいポスターだった。

夕焼けのコンサートホールで、スポットライトを浴びながら、楽しそうに楽器を演奏する、吹奏楽部の先輩たちの写真。その下には、力強い筆文字で「君の音を、世界に響かせろ!」と書かれている。


(…音楽…)

雫は、絵を描くことは好きだった。でも、たくさんの音が、一つになって、人々の心を揺さぶる「音楽」というものにも、ずっと、漠然とした憧れを抱いていた。

一人で完結する「絵」とは違う、仲間と共に、何かを創り上げる、ということへの、小さな、しかし確かな興味。


「雫! 私、決めた! 冒険部に入って、ケンジさんの孫弟子になる!」

隣で、親友の夏川海が、拳を握りしめている。

「…すごいね、海ちゃん。…私、まだ、決められなくて…」

「いいじゃん、色々見てみようよ! あ、あそこの吹奏楽部、今、ミニコンサートやってるみたいだよ!」

海ちゃんに腕を引かれるまま、雫は、音楽室へと、足を踏み入れた。


そこに広がっていたのは、圧倒的な、音の洪水だった。

トランペットの、華やかなファンファーレ。クラリネットの、温かく、優しい音色。そして、パーカッションが刻む、胸を高鳴らせるリズム。

初心者も経験者も関係なく、先輩たちが、後輩たちに、楽しそうに、楽器の持ち方や、音の出し方を教えている。

その、あまりにも楽しそうで、キラキラとした光景に、雫の心は、完全に、奪われてしまった。


【音楽室:初めての、音】


「新入生だね! 何か、興味のある楽器はあるかな?」

優しそうな、フルートパートの先輩が、にこやかに話しかけてきた。

雫は、ずらりと並んだ楽器の中で、ひときわ、複雑で、そして美しいフォルムを持つ、一つの楽器に、目を惹きつけられた。

「…あの、銀色の、たくさんキーがついてる楽器は、なんですか?」

「ああ、これは『オーボエ』だよ。世界で一番、音を出すのが難しい楽器、なんて言われてるけどね。…でも、その音色は、世界で一番、美しいんだ」

先輩は、そう言うと、オーボエを手に取り、ほんの一節だけ、吹いてみせた。


その、少しだけ物悲しく、しかし、どこまでも、どこまでも、人の心の奥深くに、染み渡るような、美しい音色。

雫は、その音を聞いた瞬間、心臓を、ぎゅっと、掴まれたような感覚に襲われた。

(…この音…)

(私も、吹いてみたい…!)


こうして、雫は、自らの「憧れ」という、純粋な気持ちに従って、吹奏楽部への入部を、そして、最も難しいとされる楽器「オーボエ」への挑戦を、決意したのだ。


もちろん、その、娘の、人生における、重大な「選択」の瞬間を、あの三人の「神様保護者」が、見逃すはずもなかった。

彼らは、今日もまた、完璧な認識阻害を施し、「音楽室の、壁に飾られた、ベートーヴェンと、モーツァルトと、バッハの、肖像画の中」に、魂を宿らせ、固唾をのんで、その様子を見守っていた。


【オペレーション・センター:音楽室の壁(肖像画の中)】


「…ふむ。『吹奏楽』か。異なる周波数の音波を、調和させ、一つの芸術へと昇華させる…。実に、知的で、そして高度な文化的活動だ。…我が娘が、その中でも、最も複雑な構造を持つ『オーボエ』を選ぶとは。…さすが、私の娘だ。…よし。私が、こっそりと、彼女の脳内に、この宇宙に存在する、全ての『ダブルリード楽器』の、完璧な演奏データを…」

ベートーヴェンの、厳格な肖像画の中から、ゼノンパパが、またしても、過保護な「神業」を発動させようとした、まさにその時。


「――待ちなさい、善さん」

モーツァルトの、優雅な肖像画の中から、アリアおば様の、静かだが、有無を言わせぬ声がした。

「雫は、今、自分の力で、美しい音を、見つけようとしています。あなたが、ここで答えを与えてしまっては、あの子の『試行錯誤する喜び』を、奪うことになりますわ」


「そうよ、そうよ! アリアちゃんの言う通り!」

バッハの、なぜか少しだけ、ロックな雰囲気の肖像画の中から、レイおば様が、呆れたように言った。

「音楽っていうのはね、下手くそなところから、始まるから、面白いんじゃない! 最初は、カエルの鳴き声みたいな音しか出なくても、仲間と、一緒に練習して、少しずつ、音が重なっていく。その過程こそが、最高の『青春』なのよ!」


三人の神々は、娘の「成長」を、ただ、静かに、そして、心からの祈りを込めて、見守ることを、決意した。


練習の日々が、始まった。

雫は、来る日も、来る日も、オーボエの、小さな「リード」と、格闘した。

最初は、本当に、カエルのような、あるいは、アヒルのような、情けない音しか出ない。

指は、もつれ、楽譜は、読めない。

何度も、心が折れそうになる。


でも、そんな時、いつも、隣で、同じように、悪戦苦闘している仲間がいた。

トランペットの、海ちゃん。クラリネットの、翔くん。そして、パーカッションで、皆のリズムを支える、朝日くん。

「大丈夫か、雫?」

「この部分、一緒に、練習しないか?」

励まし合い、教え合い、そして、時々、悔し涙を流しながらも、彼らは、少しずつ、少しずつ、自分たちの「音」を、見つけていった。


そして、数ヶ月後。

初めての、合奏練習の日。

顧問の先生の、指揮棒が、振られる。

雫が、震える唇で、オーボエに、そっと、息を吹き込んだ。


――ポォーーーーー…。


まだ、少しだけ、か細い。

でも、それは、紛れもなく、あの時、彼女が憧れた、どこまでも、どこまでも、優しくて、美しい「オーボエ」の音色だった。

そして、その音に、仲間たちの音が、一つ、また一つと、重なっていく。

不器用で、未熟で、しかし、たくさんの「想い」が込められた、彼らだけの「ハーモニー」。


その、あまりにも尊い音楽に、肖像画の中の、三人の神々は、それぞれの想いを胸に、ただ、静かに、涙を流しているのだった。

雫の、普通の、しかし、たくさんの汗と、涙と、そして、かけがえのない仲間との出会いに満ちた、部活動生活は、今、最高の形で、その最初の「音」を、奏で始めたのである。


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