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ひとりぼっちの最終防衛線(ラストライン)  作者: 輝夜
第一章 孤独な戦域
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第十四話:奇跡の街の変貌


「奇跡の街」――朔が守った〇〇市南々東エリアは、いつしかそう呼ばれるようになり、その名は瞬く間に日本中に広まっていった。

第二次大襲撃におけるそのエリアの「異常なまでの被害の少なさ」は、統計データという動かぬ証拠と共に、絶望に沈む人々に強烈な希望を与えたのだ。

そして、その希望は、具体的な人々の動きとなって現れ始めた。


まず、政府の動きは早かった。

支持率回復の絶好の機会と捉えたのか、あるいは純粋に国民の安全を優先したのか(朔は前者だと疑っていたが)、政府は〇〇市南々東エリアを「特別安全指定区域」とし、大規模な避難民の受け入れと、防御施設の建設を急ピッチで進め始めた。


『〇〇市南々東エリア、公的避難施設を増設。学校、体育館、駅、市役所などを改修し、数万人規模の受け入れ態勢を整備』

『同エリア、対ラビット用防御壁及び鉄格子の設置工事開始。景観よりも安全を最優先』


ニュースでは連日、作業員たちが重機を使い、不格好ながらも頑丈そうなバリケードや隔壁門を設置していく様子が映し出されている。まるで、中世の城塞都市を築いているかのようだ。

当然、この政府の対応は、多くの国民から喝采をもって迎えられた。「ようやく政府が本気になった」「これで少しは安心して眠れる」といった声がネット上にも溢れ、一時的にではあるが、政府の支持率は目に見えて上昇した。

もちろん、一部からは「他の地域を見捨てるのか」「次の襲撃で真っ先に狙われるぞ」といった批判もあったが、藁にもすがりたい人々にとって、「奇跡の街」は唯一無二の希望の地だった。


そして、その希望に吸い寄せられるように、人々が〇〇市南々東エリアへと押し寄せ始めた。

最初は、近隣の被災地の住民が中心だったが、噂が広まるにつれ、遠方からも、子供連れの家族や、財産を失った人々が、なけなしの荷物を手に、あるいは高級車に家財道具を詰め込んでやってくる。

エリア内の不動産価格は異常なまでに高騰し、それでも物件を求める人々は後を絶たない。もはや、一種のゴールドラッシュならぬ「セーフティラッシュ」の様相を呈していた。


裕福な層は、さらに先を見越した動きを始めていた。

彼らは、公的な避難施設など当てにせず、自らの邸宅や、あるいは新たに購入したマンションの一室に、最新鋭の素材と技術を謳うプライベートシェルターを設置し始めたのだ。

「対ラビット装甲」「独立型空気清浄システム」「長期籠城用備蓄完備」――そんな謳い文句のシェルタービジネスが、にわかに活況を呈している。もちろん、その価格は庶民には到底手の届かないものだったが。


人が集まれば、当然、新たな商売も生まれる。

エリア内では、食料品や日用品を扱う露店が軒を連ね、中には「能力者御用達」を謳う怪しげな武具屋や、「ラビット除けのお守り」を売る者まで現れた。

また、情報も商品となった。

「最新のラビット出現予測」「安全な避難経路マップ」「有力能力者団体の動向」――そうした情報を提供する情報屋や、あるいはそれをネタに高額なコンサルティングを行う者まで出てくる始末だ。

まさに、混乱の中から新たな経済圏が生まれつつあった。


さくは、そうした「奇跡の街」の変貌ぶりを、自室のモニター越しに、どこか他人事のように眺めていた。

自分のマンションの周辺も、以前とは比べ物にならないほど人通りが増え、騒がしくなっている。ネットスーパーの配達も、以前より時間がかかるようになった。

それは、彼女にとって、決して歓迎すべき状況ではなかった。


(……本当に、物好きな連中だ)


安全な場所など、この世界のどこにもありはしないのに。

「奇跡」などという不確かなものに群がり、勝手に期待し、勝手に騒ぎ立てる。

人間のそういう部分が、朔には理解できなかったし、理解したいとも思わなかった。


だが、それでも。


モニターに映し出される、避難所で安堵の表情を浮かべる子供たちの顔や、再会を喜ぶ家族の姿を見ると、胸の奥がほんの少しだけ、チクリと痛むような気がした。

それは、決して不快な痛みではなかった。

そして、とあるニュースサイトの、災害孤児に関する特集記事に目を滑らせた時、彼女の視線が、ほんの少しだけ長く留まった。


そこには、避難所の片隅で、数人の孤児たちが、身を寄せ合って眠っている姿が写し出されていた。汚れた服、痩せた頬、そして、その幼い顔に浮かぶ、深い疲労と、どこか諦観にも似た表情。


その写真を見た瞬間、朔の心の奥底に、凍てついた湖の氷が、薄くひび割れるような、微かな痛みが走った。

それは、同情でも、憐憫でもない。もっと根源的な、彼女自身にもよく分からない、そして、深く封じ込めていたはずの、心の傷の疼きだった。


朔の幼少期は、両親に構われることの少ない、孤独なものだった。

だが、彼女には、唯一、心の拠り所と呼べる場所があった。近所にあった、小さな児童養護施設だ。

そこは、彼女にとっての、もう一つの「家」だった。

施設には、自分と同じように、親の愛情に飢え、社会から見放された子供たちがたくさんいた。

彼らは、血の繋がりはないけれど、まるで本当の兄弟のように、一緒に笑い、一緒に泣き、時に些細なことで喧嘩もし、そして、互いの孤独を埋め合うように身を寄せ合った。

優しい先生たちは、分け隔てなく接してくれ、そこで朔は、初めて「家族」という温もりと、他者との「繋がり」を知ったのだ。

そのささやかな幸せは、彼女の心の奥深くに、温かい灯火のように灯り続けていた。


しかし、その灯火は、ある夜、何者かによる放火で孤児院が紅蓮の炎に包まれ、焼け落ちることで、無残にも終わりを迎えた。目の前で、大切な「家族」と「居場所」が、理不尽な暴力によって奪い去られる光景。それは、幼い彼女の心に、決して消えることのない、深い傷跡と、そして人間への絶望を刻みつけた。


その後、両親が事故で他界し、遺産を巡って信頼していた家政婦にも裏切られた。

彼女の世界からは、信じられるもの全てが、次々と消えていったのだ。


「……別に、私には関係ない」


朔は、そう呟き、その疼きを振り払うように、すぐに目を逸らし、ブラウザのタブを閉じた。

だが、画面を閉じた後も、写真の中の子供たちの姿と、あの炎に包まれた孤児院の光景は、彼女の脳裏に焼き付いて離れなかった。


「奇跡の街」の喧騒も、彼女にとっては、やはり遠い世界の出来事でしかない。

今はただ、次の「お告げ」に備え、六畳間の工房で、さらなる装備の最適化を進めるだけだ。

彼女の知らないところで、世界は大きく変わろうとしていたが、月詠朔の日常は、まだ変わらず、六畳間で完結していた。はずだった。


「この作品はフィクションであり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。また、特定の思想・信条を推奨するものでもありません。」

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