第十二話:六畳間の錬金術師(あるいはゲーマー)
世界の喧騒とは裏腹に、月詠朔の住むマンション703号室は、相変わらず静寂に包まれていた。
いや、正確には、以前よりもさらに静かになったかもしれない。
彼女は今、自室の隅に新設した作業スペースで、何やら熱心に「作業」に没頭しているからだ。
その手元にあるのは、分解されたライフルと、黒いスーツ。そして、いくつかの用途不明な小さな金属パーツや、ゼリー状の物質が満たされたカプセル。これらは全て、先日「システム」から『追加リソース』として供給されたものだ。
第二次大襲撃での「ワールドランキング7位」という評価は、伊達ではなかったらしい。提供されたリソースの質も量も、前回とは比較にならないほど豊富だった。そして何より、装備のカスタマイズ範囲が格段に広がっていた。
(ふふ…これは、面白い…)
朔の口元には、普段の彼女からは想像もつかないような、楽しげな笑みが浮かんでいた。
それは、マッドサイエンティストが新たな発明に没頭する時のようでもあり、あるいは、難解なパズルゲームの攻略法を見つけ出したゲーマーのようでもあった。
モニターには、複雑な設計図のようなものや、物質の分子構造らしきものが映し出され、彼女は時折それらを参照しながら、黙々と作業を進めている。
今回のカスタマイズのテーマは、彼女の戦闘における絶対的な優先順位に基づいていた。
第一に、誰にも見つからないこと。第二に、常に有利な位置を確保し、危険からは即座に離脱できること。そして第三に、発見した敵を一方的に、かつ効率的に殲滅できること。
まず、最優先事項である「隠密性」。
彼女は、供給されたリソースの中から、特殊な金属繊維と、衝撃吸収性に優れた高分子ゲルを選び出し、ライフルの銃身内部と機関部に丹念に組み込んでいく。
(ライフルの発射音…あれはさすがに大きすぎる。もっと静かに、それでいて威力は維持、いや、むしろ向上させたい)
イメージは、高性能なサイレンサーと、リコイル(反動)を極限まで抑えるダンパーシステム。「システム」は、朔の明確なイメージと、適切な素材の選択に呼応するように、微かな光を発しながらパーツの形状を最適化していく。
スーツの改良も、この隠密性向上が主目的だ。
テーマは「完全なるステルス」。気配を消すだけでなく、光学的にも、熱源的にも、可能な限り探知されにくくする。黒曜石のような光沢を放つ特殊な塗料をスーツの表面にコーティングし、さらに内部には微細な冷却ユニットと、周囲の環境に合わせて体温を擬態させるためのセンサーを組み込む。
(これで、赤外線スコープや熱源探知からも逃れられるはず…それに、この素材なら、ラビットの妙に鋭い嗅覚も誤魔化せるかもしれない)
そして、「見つからない」ためには、敵を先に発見し、広範囲の状況を把握することが不可欠だ。
朔は、スーツのフードと一体化したゴーグルのセンサー機能を大幅に強化した。通常の可視光だけでなく、赤外線、紫外線、さらには微弱な電磁波や音波まで感知し、それらを統合して三次元的な戦場マップをリアルタイムで脳内に投影する。索敵範囲も、以前の数倍にまで拡大された。
(これなら、遠距離からでもラビットの群れの位置や動き、さらには伏兵の可能性まで事前に察知できる。先手必勝、いや、先手不見、が理想だ)
次に、第二の優先事項である「機動力と生存性」。
有利な狙撃ポイントへの迅速な移動、そして万が一の際の確実な離脱。これらは、彼女の戦術の生命線だ。
スーツの脚部には、人工筋肉アクチュエーターと小型の慣性制御ユニットを内蔵。これにより、驚異的な跳躍力と、無音に近い高速移動が可能になる。壁を駆け上がり、ビルからビルへと飛び移ることも、もはや夢物語ではない。着地時の衝撃も、特殊なソール素材が吸収し、音をほとんど立てない。
(これで、どんな場所にも素早く潜入し、最高のポジションを確保できる。そして、ヤバくなったら誰よりも速く逃げる。これ重要)
最後に、第三の優先事項である「殲滅力」。
静音化されたライフルは、威力も向上させる必要があった。エネルギーパックの出力を調整し、弾速と貫通力を強化。さらに、数種類の異なる効果を持つ特殊カートリッジも用意した。広範囲を瞬間的に制圧するための炸裂弾、装甲の厚い敵(まだ見ぬ強敵だが)を想定した徹甲弾、そして、敵の動きを一時的に鈍らせるための閃光弾や音響弾などだ。
(基本はヘッドショットだけど、数が多い時や、厄介な能力を持つ敵が出てきた時のために、選択肢は多い方がいい。楽に、効率よく、ね)
これらの作業は、まさに「錬金術」のようだった。
朔の明確な「こうしたい」という意志と、提供された「素材」、そして「システム」という触媒が組み合わさることで、常識ではありえないような高性能な装備が生み出されていく。
それは、彼女にとって、退屈な日常の中で唯一、知的好奇心を満たしてくれる「遊び」でもあった。
(うん、こんなものかな…試運転は、次の「機会」までお預けだけど、理論上は完璧なはず)
数時間に及ぶ作業を終え、朔は生まれ変わった装備一式を満足げに眺めた。
ライフルは静かで強力に。スーツは闇に溶け込み、驚異的な機動力を与える。そして、ゴーグルは千里眼のように戦場を見通す。
まさに、彼女の理想とする「見えない狩人」のための完璧なツールセットだった。
「ふふふ…これで、もっと楽に、もっと効率よく…そして、誰にも邪魔されずに『大掃除』ができる」
朔は、アタッシュケースに改良された装備を丁寧にしまいながら、どこか楽しそうに呟いた。
彼女にとって、戦いは依然として「面倒くさい」ものであり、「ノイズ」でしかない。
だが、その面倒事を、いかにスマートに、いかに自分の思い通りにクリアしていくか。その「攻略法」を編み出し、実行することには、一種の倒錯した喜びを感じ始めているのかもしれない。
政府の目論見も、能力者たちの思惑も、世界の混乱も、今の彼女にとっては、攻略対象のゲームにおける「背景設定」や「障害物」程度の認識でしかない。
重要なのは、自分の「キャラクター」を最強にし、どんな「クエスト」が来ても、余裕でクリアできるように準備しておくこと。
月詠朔の六畳間は、今や世界で最も進んだ兵器開発ラボであり、そして彼女自身が、その唯一にして最高のエンジニア兼テスターなのだった。
「……早く来ないかなぁ、次の『お客様』は。この新しいオモチャで、どんな風に遊んであげようか……ふひ、ひひひ……!」 誰もいない部屋に、彼女の少しだけ歪んだ笑い声が、静かに響いた。