幕間Ⅰ:星霜のアルバム ~10年後の、それぞれの道~
宇宙が新生の光に包まれてから、地球の時間で、10年という歳月が流れた。
それは、神にとっては瞬きにも等しい時間。しかし、再生を始めた世界に生きる人々にとっては、新しい日常を築き、未来への種を蒔くには、十分すぎるほどの、希望に満ちた時間だった。
ルナ・サクヤは、神域のテラスで、メインコンソールに映し出される、懐かしい顔ぶれの「今」を、どこか誇らしげに、そしてほんの少しだけ、寂しげに見守っていた。
【地球:オアシス・トーキョー、大学のキャンパス】
春。満開の桜が、新たな門出を祝福するかのように、風に舞っている。
少し大人びた、しかし着慣れないスーツに身を包んだアサヒくんが、大学の入学式の看板の前で、そわそわと誰かを待っていた。その表情は、期待と、少しの緊張で硬い。
「アサヒくん、お待たせ!」
声のした方へ振り返ると、そこには、真新しい春色のワンピースに身を包んだ、月詠さくが、はにかみながら立っていた。高校時代よりも、少しだけ、髪が伸びている。
「さくちゃん…。その服、すごく、似合ってる」
「…ありがと。アサヒくんこそ、スーツ姿、なんか、変な感じ」
「ひどいな」
二人は、顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。
もう、あの頃のような、ぎこちないすれ違いはない。互いへの、絶対的な信頼と、穏やかな愛情が、二人の間に、温かい空気となって流れている。
アサヒくんは、父の背中を追い、星々の間に起こる様々な問題を解決するための「銀河交渉官」を目指し、国際関係学部に。
さくは、子供の頃からの夢だった、人々の心を温める物語を紡ぐ「絵本作家」になるため、文学部へと、それぞれ進学した。
道は違えど、目指す先は同じ。この、平和になった世界を、もっと優しくて、温かい場所にするために。
二人は、自然に、そっと手をつなぐと、桜吹雪の舞うキャンパスを、未来へと向かって、歩き始めた。
その光景を、ルナは、目を細めて見つめていた。
「ふふん。まあ、あのアサヒくんの入学論文、私が夢の中で、ちょっとだけ『未来の銀河情勢に関する参考資料』を見せてあげたから、当然の結果だけどね。でも、さくのワンピース、もっと可愛いデザインがあったのに…。私のセンスの方が、絶対上だわ」
神様の、ささやかな「お節介」と「ぼやき」が、神域に響く。
【ファンタジーゾーン:ギルド訓練所】
「だああああっ! だから、腰が引けてると言っておろうが、このひよっこどもが!」
訓練所の土埃の中で、もはや教官としての風格すら漂わせるケンジが、新人冒険者たちに、愛のこもった怒声を浴びせていた。
その隣では、かつて宇宙を支配した男、ドン・ヴォルガが、泥だらけの革鎧を身に着け、「ドンさん」と呼ばれながら、新人たちに混じって、必死に木剣を振るっている。
「くっ…! この、スライムめ! なぜ、ワシの剣を、こうも簡単にかわすのだ!」
彼の剣筋は、まだ、神であった頃の傲慢さを引きずっているのか、大振りで、隙だらけだ。ひょいひょいと攻撃をかわすスライム(訓練用)に、彼は本気で翻弄されている。
「ドンさん! 違うって! 相手の動きを、もっとよく見て!」
パーティーを組んでいる、まだ十代の若いヒーラーの女の子に、真剣な顔で叱咤されている。
「ぬぅぅ…! 小娘に、指図されるとは…!」
ドン・ヴォルガは、顔を真っ赤にして悔しがるが、その瞳には、かつての部下たちが見たら腰を抜かすであろう、ひたむきな「努力」の光が宿っていた。
彼は、神としての全てを失ったこの場所で、もう一度、自らの「力」とは何かを、ゼロから学び直しているのだ。その姿は、滑稽で、しかし、どこか気高かった。
【ギャラクシー・ギルドニア銀河:新生の神殿】
慈愛の御子アリアは、銀河の新しい統治者として、その柔らかな手腕を発揮していた。
彼女の玉座の周りには、もはやドン・ヴォルガ時代のような、恐怖で支配された臣下はいない。エルダやゼピュロス、ガイア、ソラリスといった、心から彼女を信頼し、支える仲間たちが、活発に意見を交わしながら、銀河の未来を築いている。
「アリア様。辺境の星系で、またドン・ヴォルガ様の残党が、小さな反乱を起こしたようですが…」
「まあ、ゼピュロス。そんなに、いきり立たないでくださいな」
アリアは、優しく微笑んだ。
「その者たちにも、きっと、何か理由があるのでしょう。まずは、わたくしが、直接話を聞いてまいります。力でねじ伏せるのは、最後の、最後の手段ですわ」
その言葉に、血気にはやるゼピュロスも、エルダにそっと腕を引かれ、渋々ながらも頷く。
アリアは、ルナから教わった「対話」と「慈愛」の力で、ドン・ヴォルガが遺した、憎しみの連鎖を、一つ、また一つと、丁寧に解きほぐしている。その姿は、若く、か弱く見えるが、その芯には、誰よりも強い、神としての覚悟が宿っていた。
【ドラゴニア・クロニクル:『風見鶏の亭』】
「――でね! そのエンシェント・ゴーレムの、弱点のコアが、おでこの、こーんなにちっちゃい宝石だったのよ! そこを、私が『怜ちゃんシュート!』で、見事、一撃で撃ち抜いてやったってわけ! すごいでしょ!」
酒場は、レイお姉さんの、相変わらずの武勇伝(少し、いや、かなり盛られている)で、大いに盛り上がっていた。
彼女が宿る、フィリアの新しい愛剣「もふもふブレード(フィリア命名)」は、今や大陸中にその名を知られる、伝説の「おしゃべりな聖剣」となっていた。
リズとミラも、すっかり良い歳になったが、その冒険への情熱は、少しも衰えていない。
「はいはい、レイさんの手柄は分かったから。それより、この『竜の涙』の酒、もう一杯もらおうかしら」
「レイ、あまりフィリアをそそのかさないでくださいね。あの子、あなたの言うこと、何でも信じてしまうのですから」
三人の間には、10年という歳月が育んだ、家族以上の、温かい絆が流れている。
レイは、仲間たちと笑い合いながらも、ふと、酒場の窓から見える、夜空を見上げた。
天の川銀河は、この世界からは、小さな光の帯としてしか見えない。
(見てる、朔ちゃん? 私たち、今日も、すっごく楽しい冒険してるんだからね。…あんたも、そっちで、ちゃんと笑ってる?)
その、声にならない想いは、時空を超え、確かに、妹の元へと届いていた。
【ルナ・サクヤの神域:テラスカフェ】
ルナ・サクヤは、神域のテラスで、その全ての光景を、一人、静かに見つめていた。
いや、一人ではなかった。
彼女が座る、ふかふかのソファの隣には、いつものように、ゼノンが、優雅に紅茶を傾けている。そして、彼女の足元には、白金の球体であるシロ(システム)が、静かに、しかし確かな存在感を放って浮遊していた。
三人は、まるで家族がリビングでテレビを見るように、メインコンソールに映し出される「家族」たちの日常を、共に眺めていたのだ。
「……ふふん。見てなさい、ゼノン、シロ。あのアサヒくんのスーツ姿、私が夢の中で、こっそりファッション誌を見せてあげた成果よ。私のプロデュース能力、完璧じゃない?」
ルナは、得意げに胸を張り、隣のゼノンに同意を求める。
「ほう。それは見事な手腕だ。だが、さく君のあのワンピースは、私が彼女の深層心理から『最も似合う色』を読み取り、流行色として地球に流布させておいた成果でもあるのだがね」
ゼノンが、悪戯っぽく笑いながら、しれっと自分の功績をアピールする。
「なっ…! あなた、いつの間にそんなセコい真似を!」
「セコい、とは心外だな。これも、君の愛しい物語を、より輝かせるための、ささやかな『演出』だよ」
二人の、神々しい(そして少しだけ子供じみた)言い争いを、シロが、冷静な分析で遮った。
『お二人とも。ドン・ヴォルガの訓練データですが、彼のスライムに対する回避率は、依然として12.3%と、極めて低い数値で推移しています。このままでは、彼がファンタジーゾーンの次のエリアに進めるのは、計算上、約287年後となりますが』
「ぷっ…! あははは! 287年ですって!? あの筋肉ダルマ、本当に才能ないのね!」
ルナは、お腹を抱えて笑い転げた。
胸に広がるのは、温かい、そしてどこまでも心地よい感情。
みんな、自分の道を、力強く歩んでいる。
嬉しい。誇らしい。
そして、その喜びと誇らしさを、すぐ隣で分かち合える存在がいる。
もう、一人で見つめる、寂しいアルバムじゃない。
「…ねえ、ゼノン。シロ」
ルナは、笑いながらも、ふと、真剣な顔で、二人に語りかけた。
「ありがとう。あなたたちがいてくれて、よかった」
その、あまりにも素直な言葉に、ゼノンは、一瞬だけ、その影の奥の瞳を見開き、そして、これ以上ないほど優しい笑みを浮かべた。
シロもまた、その白金の球体を、肯定を示すように、優しく、そして強く、明滅させた。
神様の、永遠にも思える時間。
それは、もう、決して孤独なものではなかった。