第三話:意外な願いと、それぞれの夜明け
ルナ・サクヤが、神としての最後の仕事として、奉行所の座から立ち上がり、この茶番じみた裁判に幕を下ろそうとした、その時だった。
「――お待ちください、月の女神よ」
これまで、ただ悔しさに唇を噛むだけだったドン・ヴォルガが、初めて、自らの意志で、か細く、しかし確かな声で、口を開いた。
ルナは、少しだけ驚いたように振り返る。
「何よ、まだ何かあるの?」
ドン・ヴォルガは、ゆっくりと、震える膝で立ち上がった。神力を失い、その巨躯は以前よりもしぼんで見える。だが、その瞳には、虚無ではなく、何かを必死に探すかのような、迷子の子供のような光が宿っていた。
「…我らは…我らは、これから、どうすればいいのだ…?」
それは、宇宙大総帥としての問いではない。全てを失い、進むべき道を見失った、ただの一人の男としての、魂からの問いかけだった。
ギデオンも、ディープ・エコーも、固唾をのんで、ルナの答えを待っている。
ルナは、その問いかけに、しばらくの間、黙って彼を見つめていた。
そして、ふぅ、と小さく息をつくと、まるで子供に言い聞かせるように、静かに、しかしきっぱりと告げた。
「……そんなの、自分で考えなさいよ」
「え…」
ドン・ヴォルガが、呆然と彼女を見返す。
「私は、あなたたちに、三つの『道』を用意してあげるわ」
ルナは、人差し指を一本、立てた。
「一つ目は、このまま、この監獄惑星で、静かに余生を過ごす道。畑を耕し、宇宙植物の世話をしながら、自らの罪と向き合い、穏やかに消えていく。それも、一つの生き方でしょう」
彼女は、二本目の指を立てる。
「二つ目は、銀河の秩序のために働く道。あなたたちが、本当に、心の底から過ちを悔い改めるというのなら、システム(シロ)の監督下で、銀河警察のような組織の、一兵卒として働くことを許可してあげる。宇宙に潜む、本当の『悪』――かつてのあなたたちのような存在――を、自らの手で狩り、罪を償いなさい」
そして、彼女は、三本目の指を立てた。その瞳には、どこか、自分自身の未来を重ねるかのような、複雑な光が宿っている。
「そして、三つ目は、全てを捨てて、ゼロからやり直す道。あなたたちの魂から、神としての記憶も、力も、罪も、全てを私が消し去ってあげる。そして、まっさらな赤子として、新しい人生を始めるの。…この天の川銀河か、ギャラクシー・ギルドニアか、あるいは、あのドラゴニア・クロニクルか。どの世界で生まれ直したいかは、選ばせてあげるわ」
三つの選択肢。
罰ではなく、彼ら自身に委ねられた、未来への道。
ドン・ヴォルガたちは、その、あまりにも予想外で、そしてあまりにも「慈悲深い」選択肢に、言葉を失った。
「…選びなさい。あなたたちが、これから、どう生きたいのかを。どう、その人生という物語を、終わらせたいのかを。…それが、私があなたたちに与える、最初で、最後の『判決』よ」
ルナは、そう言うと、今度こそ、彼らに背を向けた。
もう、彼女が言うべきことは、何もない。
長い、長い沈黙が、荒涼とした大地を支配した。
やがて、最初に口を開いたのは、若頭のギデオンだった。彼は、ゆっくりと立ち上がると、ルナの背中に向かって、深く、深く、頭を下げた。
「…私は、第二の道を選ばせていただきたい。我が知略、そして我が身の全てを、ドン・ヴォルガ様と共に犯した罪を償うために、そして、貴女様が創る、新しい銀河の秩序のために、捧げたいと思う」
彼の声には、もはや迷いはなかった。
次に、ディープ・エコーが、震えながらも、立ち上がった。
「わ、わたくしめは…! わたくしめは、第三の道を…! もう、神として生きるのは、こりごりでございます…! どうか、どうか、名もなき、ただの人間として、やり直す機会を…!」
彼の、必死の懇願。
そして、最後に、ドン・ヴォルガが、天を仰いだ。
その瞳には、様々な感情が渦巻いていた。怒り、悔しさ、そして、ほんの少しの安堵。
彼は、やがて、ふっと、何かを振り切ったように笑った。
「……面白い。面白いではないか、月の女神よ」
彼は、ルナに向き直ると、神としての威厳ではなく、一人の男としての、晴れやかな顔で言った。
「…ならば、我も、第三の道を選ばせてもらおう。だが、ただの赤子としてではない。記憶を持ったまま、レベル1の冒険者として、貴様の創った、あの『ファンタジーゾーン』へ、この身一つで挑ませていただきたい! 神としての全てを失ったこの俺が、もう一度、自らの腕だけで、どこまで成り上がれるのか…試してみたくなったわ!」
その、あまりにも彼らしい「願い」に、ルナは、思わず、といった様子で、ぷっ、と吹き出した。
そして、すぐに、心の底から楽しそうに、にひひっ、と笑った。
「……いいじゃない! 面白いわ、ドン・ヴォルガ! あなた、少しは見所があるじゃない! いいわ、許可してあげる! ただし、本当に、レベル1の、ゴブリンにすら苦戦する、ただのおっさんからのスタートだけど、それでもいいのならね!」
それは、勝者と敗者の間ではなく、新しいゲームの始まりを前にした、二人の「プレイヤー」の間に交わされた、奇妙な約束だった。
こうして、かつて宇宙を揺るがした神々は、それぞれが、それぞれの「夜明け」へと、その一歩を踏み出した。
ルナ・サクヤは、神としての、最後の「お仕事」を、最高の形で終えた。
あとは、自らの未来へと、進むだけ。
彼女は、隣で静かに微笑むゼノンの手を、そっと、しかし力強く握ると、最後の「お茶会」の準備のために、光の中へと、その姿を消した。