第二話:最後の"お白洲"
光のゲートを抜けた先は、荒涼とした、赤茶けた大地が広がる監獄惑星だった。
重々しい灰色の空の下、かつて宇宙を支配した神々が、神力を失った、ただの人間として、その姿を晒している。彼らは、ルナとゼノンの降臨を察知し、作業の手を止め、あるいは居住区のシェルターから顔を出し、畏怖と、そして諦観が入り混じった複雑な表情で、遠巻きにこちらを見つめていた。
ルナ・サクヤは、その視線を意にも介さず、惑星の広大な平原の中心で、ぱちん、と指を鳴らした。
次の瞬間、彼女の目の前の空間に、光の粒子が凝縮され、一つの奇妙な光景が姿を現す。
そこには、漆黒の木製らしき「奉行所の座」が鎮座し、その前には同じく木製の「お白洲」とでも呼ぶべき砂利の広場が広がっていた。広場の左右には、何本もの「のぼり」が立ち、風もないのに、はためいている。そののぼりには、意味不明な宇宙文字で「公平」「正義」「おやつは三時」といった文字が踊っているように見えた。
ドン・ヴォルガ、ギデオン、そしてディープ・エコー。
かつての「力ある者たちの連合」の首魁たちが、システム(シロ)によって、お白洲の中央へと、有無を言わさず転移させられた。
彼らは、もはや神としての威厳など微塵もなく、ただ、これから下されるであろう「判決」を、静かに待っている。その瞳には、かつてのような傲慢さや狡猾さは消え、数ヶ月に及ぶ「再教育」の日々が刻み込んだ、深い疲労と、どこか虚無的な光だけが宿っていた。
ルナは、その三人の姿を一瞥すると、どこか儀式めいた、静かな足取りで、奉行所の座へと歩み寄り、そこに深く腰を下ろした。彼女の手には、いつの間にか、黒塗りの「奉行扇子」が握られている。
そして、その巨大な奉行所の座の、すぐ隣の影の部分に、ゼノンが、その巨躯を少しだけ窮屈そうにしながらも、絶対的な存在感を放ち、静かに控えている。彼の存在は、この茶番めいた「お白洲」に、宇宙の法則そのものが裁きを下すかのような、荘厳で、抗いがたい重みを与えていた。
「――これより、旧『力ある者たちの連合』の首魁に対する、最終的な処遇を決定する。皆の者、面を上げよ」
ルナの声は、静寂を切り裂くように、しかし凪いだ湖面のように、平坦で、一切の感情を乗せていなかった。扇子を叩く音すら、無駄だと判断したかのようだ。
ドン・ヴォルガたちが、おそるおそる、顔を上げる。
「ドン・ヴォルガ」
ルナは、その大きな体躯を、値踏みするように、ゆっくりと見据えた。
「貴様には、この天の川銀河への無許可侵入、並びに、我が『歓迎プロトコル』への不当な抵抗、そして何よりも、私の大事な地球を踏み荒らそうとした、数々の罪がある。今更、何か言い分はあるかしら?」
「…………」
ドン・ヴォルガは、何も答えなかった。ただ、砂利を固く握りしめ、悔しさに、その体を微かに震わせるだけだった。神としての力を失った今、彼に残されたのは、打ち砕かれたプライドだけ。
「そう。異論なし、と受け取るわ」
ルナは、扇子を静かに閉じると、判決を言い渡した。
「あなたたち個人の処遇について、私がとやかく言うつもりはもうないわ。あなたたちが、この先、何を思い、どう生きるか。それは、あなたたち自身が決めること。私には、もはや関係のない物語だから」
その、突き放すような、しかし同時に「自由」を与えるかのような言葉に、ドン・ヴォルガたちは、困惑の表情を浮かべた。
「ただし」
ルナは、その美しい顔を、ほんのわずかに傾けた。サングラスの奥の瞳が、絶対零度の光を放つ。彼女の周囲の空気が、ピシリ、と音を立てて凍てついたかのような、錯覚。
「私が創り、私が認めた、この宇宙の『新しい秩序』。それを乱すことは、絶対に許さない。あなたたちが、誰かを不当に支配し、搾取し、理不尽な力で、誰かの物語を奪おうなどと、万が一にも考えたなら――」
彼女は、そこで一度、言葉を切り、ゆっくりとドン・ヴォルガたち一人一人の顔を見渡した。
「――今度は、有無を言わさず、この監獄惑星で、一生、開拓作業に従事してもらうことになるわ。この星が、緑豊かな楽園になるまで、永遠にね」
その言葉は、脅しではない。ただ、淡々と述べられた、変更不可能な「未来の事実」。
その、あまりにも具体的で、そして逃れようのない「罰」のビジョンに、ドン・ヴォルガたちの背筋を、冷たい汗が伝った。
ルナは、満足げに、しかしその表情は崩さずに、最後に、隣に控えるゼノンへと、視線だけで問いかけた。
「――それでいいかしら、ゼノン?」
それは、この裁きが、自分一人だけのものではなく、この場にいるもう一人の超越者との、共同の意志であることを、ドン・ヴォルガたちに、そして宇宙に、明確に示すための、最後の仕上げだった。
ゼノンは、その問いかけに、影の奥で、深く、そして静かに、頷いた。
それだけで、十分だった。
ルナは、静かに奉行所の座から立ち上がった。
彼女が下したのは、個人の罪を裁く「判決」ではない。
新しい世界の、絶対的な「法則」の宣言だった。
彼女は、もはや彼らを「敵」としてすら見ていない。ただ、自らが創った世界の、秩序を乱す可能性のある「不安定要素」として、最後の警告を与えたに過ぎない。
その背中は、どこか吹っ切れたように、そして、自らの最後の役割を終えた安堵感と共に、静かに、その場を去ろうとしていた。