第十話:群雄の胎動、それぞれの正義
未曾有の大災害から数週間。
日本各地では、雨後の筍のように能力者団体がその姿を現し、それぞれの「正義」を掲げて活動を開始していた。
政府による強権的な能力者管理方針は、彼らの活動を加速させると同時に、新たな火種を生み出しつつあった。
1.武闘派集団「武皇」本部・道場
道場に響き渡る、鋭い気合と竹刀の打ち合う音。
「武皇」のリーダーであり、「剣聖」の異名を持つ男、鬼塚龍臣おにづかたつおみは、道場の隅で腕を組み、門下生たちの稽古を厳しく見つめていた。
彼の額には、先のラビット・ホーンとの戦闘で負った生々しい傷跡が残っている。
「隊長、例の政府からの通達ですが…やはり、全面的に協力するのは…」
側近の一人が、苦々しい表情で進言する。
「分かっている。奴らは我々を便利な駒としか見ておらん。だがな、今はまだ牙を隠す時だ」
鬼塚は低い声で答えた。
「我々には、まだ力が足りん。装備も、人員も、そして…『癒やしの手』もな。政府に頼らずとも組織を維持し、拡大するためには、まず足元を固める必要がある」
「武皇」は、旧来の武道団体を母体とし、規律と実力主義を重んじる集団だ。第二次大襲撃では、自衛隊と連携して多大な戦果を挙げ、その名を轟かせた。
しかし、その裏では、政府からの過度な干渉と、慢性的な物資不足、特に負傷者を治療できるヒーラーの不足に喘いでいた。
「生命の光教団」のような新興宗教が、巧みにヒーラーを囲い込んでいるという噂も耳にする。彼らにとって、ヒーラーは団体の生命線であり、勢力拡大のための重要な「資源」だった。
「何としても、我々独自に優秀なヒーラーを確保しろ。多少強引な手段も厭わん。それと…最近、一部の地域で『ラビットが空から消える』などという奇妙な噂があるそうだな。眉唾物だが、もし何らかの未知の力や技術が関わっているなら、無視はできん。何か情報があれば報告しろ。だが、深入りはするな。我々の優先事項は、あくまで組織の強化と勢力圏の安定だ」
鬼塚の瞳の奥には、政府への不信と、自らの力で秩序を築き上げんとする野心が、静かに燃えていた。彼にとって、正体不明の噂よりも、目の前の現実的な問題解決の方が重要だった。
2.新興宗教団体「生命の光教団」聖堂
薄暗い聖堂に、厳かなパイプオルガンの音色が響き渡る。
祭壇の前では、純白のローブを纏った教祖“マリア”こと、神崎聖奈かんざきせな(自称20歳、実年齢不詳)が、恍惚とした表情で両手を広げ、集まった信者たちに語りかけていた。
彼女の背後には、同じく白いローブを着た数人の男女――「奇跡の癒やし手」と呼ばれる回復能力者たちが控えている。
「子羊たちよ、恐れることはありません。この終末の試練は、神が我々に与えたもうた、新たなる世界への扉なのです」
マリアの鈴を振るような声が、信者たちの心に染み渡っていく。
「我らが『生命の光教団』こそが、この穢れた世界を浄化し、真の楽園を築くのです!さあ、神の御名のもとに、救済の光を!」
「「「マリア様!マリア様!」」」
信者たちの熱狂的な歓声が、聖堂を揺るがした。
「生命の光教団」は、この混乱に乗じて急速に勢力を拡大した新興宗教だ。
彼らは、各地で炊き出しや避難所の運営といった慈善活動を行う一方で、その過程で発見した回復能力者を「神の使い」として巧みに取り込み、教団の権威付けと信者獲得に利用していた。ヒーラーたちは、マリアのカリスマ性と、教団からの手厚い保護(という名の囲い込み)によって、半ば洗脳されたように彼女に服従している。教団にとって、ヒーラーはまさに「金の卵を産む鶏」だった。
「…ふふ、これでまた多くの迷える魂が救われるわ。そして、我々の楽園も、より豊かになる」
信者たちが去った後、マリアは側近の男に妖艶な笑みを向けた。
「政府の連中も、我々の『奉仕活動』には文句を言えまい。むしろ、感謝しているはずよ。我々がいなければ、もっと多くの民が死んでいたのだから。…最近、どこかの街で、怪異が奇跡のように消え去ったという噂があるそうだけれど、それもきっと、我々の祈りが届いた証拠なのでしょうね。ふふふ」
マリアの瞳には、聖女の仮面の奥に隠された、底知れぬ野望と自己陶酔が宿っていた。彼女は、自分たちの教団こそが世界の中心であり、全ての良い出来事は自分たちの影響だと信じて疑わなかった。
3.ネットカフェの一室・「ワイルドハント」の溜まり場
薄暗いネットカフェの個室ブース。カップ麺の容器やエナジードリンクの空き缶が散乱する中、数人の若者たちが、ヘッドセットを装着して何やら騒がしくチャットをしていた。
彼らは、ネット上で結成された能力者チーム「ワイルドハント」の主要メンバーだ。
「おい!今日の『兎狩り』、マジでヤバかったって!俺の火炎放射(ただの身体能力強化による連続パンチだが、本人はそう呼んでいる)で、ラビットども丸焦げよ!これでまた美味いモン食えるぜ!」
リーダー格の男、"レックス"と名乗る青年が、興奮気味に自慢話をする。
「レックスさん、マジぱねぇっす!でも、最近、なんか政府の狗どもがウロチョロしててウザいんすよねー。俺たちのシマ荒らしやがって」
「ああ?関係ねえよ、そんなもん。俺たちは俺たちのやりたいようにやるだけだ。強い奴が奪い、弱い奴は食い物にされる、それがこの世界の新しいルールだろ?ラビットだろうが、他のヘボい能力者だろうが、俺たちの邪魔する奴はぶっ潰すだけだ」
「ワイルドハント」は、力こそ正義を地で行く、半ば無法者集団のようなチームだ。
彼らは、政府の管理や既存の秩序を嫌い、独自のルールで都市部の残存ラビットを「狩り」、その戦利品(怪異の素材や、時には他の生存者から奪った金品)で日々の糧を得ている。
その活動は、一部の無力な市民からは恐怖の対象であり、警察からも危険視されている。
「そういや、なんか『空からラビットが降ってくる前に消える』みてえな、変な噂聞いたぜ。どうせデマだろ?そんな魔法みてえな話あるかよ。俺たちの拳が一番確実だっての」
「ああ、そんなオカルト話より、次の獲物だ。もっとデカいヤマを当てて、一攫千金狙うぞ!」
レックスは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
彼らにとって、世界の危機は、自分たちの欲望を満たすための狩り場でしかなかった。正体不明の噂話など、彼らの関心の外だった。
政府の思惑、宗教団体の野望、そして無法者たちの欲望。
それぞれの「正義」と「利益」が、この崩壊しかけた世界で、複雑に絡み合い、新たな火花を散らし始めていた。
そして、そのどれもが、まだその存在の本当の恐ろしさや価値に気づいていない、あるいは全く関心すら持っていない「静かなる規格外」――月詠朔の存在が、いずれこの盤面を大きく揺るがすことになることを、まだ誰も知らなかった。