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ひとりぼっちの最終防衛線(ラストライン)  作者: 輝夜
第十二章 深淵の神の追憶
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第四話:神様、お仕事やめるってよ


ゼノンとの間に、新しい、そして確かな「絆」が生まれてから、ルナ・サクヤの日常は、ほんの少しだけ、しかし確実に、その色合いを変えていた。

神域のテラスカフェでのお茶会は、もはや日課となっていた。ゼノンは、律儀に、毎日違う「星々の銘菓」を持参し、ルナは、それを頬張りながら、地球の「推し活」の進捗を、嬉々として彼に報告する。

「聞いてよ、ゼノン! 今日、さくがね、アサヒくんに手作りのクッキーを渡したのよ! もう、見てるこっちが恥ずかしくなるくらい、顔を真っ赤にしちゃって! まあ、そのクッキーのレシピを、こっそり彼女の夢の中でお告げしておいたのは、この私なんだけどね! にひひっ」

「ほう。それは、実に微笑ましい物語だ。君のそのささやかな『演出』も、見事なものだったのだろうな」

ゼノンは、彼女の、子供のような自慢話を、ただ、穏やかな笑みを浮かべて聞いている。その瞳は、もはや影に覆われておらず、深い慈愛の光に満ちていた。


その、あまりにも穏やかで、幸福な時間。

それは、ルナが神になって以来、初めて経験する「安らぎ」だった。

誰かに、自分の全てを預けられる安心感。弱さを見せても、受け止めてくれる存在がいるという、温かさ。

その温もりに触れるたび、彼女の心の奥底にあった、固く凍てついていた何かが、ゆっくりと溶けていくのを感じていた。


そんなある日。

システム(シロ)から、いつものように、宇宙規模の「問題」が報告された。

『報告します、ルナ・サクヤ。恒星系デルタ-4で、ブラックホールの卵が不安定な活動を開始。放置すれば、近隣の文明が飲み込まれる可能性が92%です。また、GG銀河の辺境で、ドン・ヴォルガの残党が、小規模な反乱を画策しているとの情報も…』

以前の彼女なら「まったく、面倒ね!」と言いつつも、即座に並列思考で対応策を練り始めていたはずだ。


しかし、今の彼女は、その報告を聞いても、ただ「ふーん」と気のない返事をするだけだった。

そして、隣で優雅に紅茶を飲んでいるゼノンを、じっと見つめると、ぽつりと、こう呟いた。


「……なんか、もう、いいかなって」


「……ん?」

ゼノンが、不思議そうに彼女を見返す。


「だから、もう、いいのよ。こういうの」

ルナは、少しだけ拗ねたように、唇を尖らせた。

「だって、考えてみてよ。私が頑張って問題を解決しても、また次の問題が起きるじゃない。ブラックホールの卵だの、反乱だの…キリがないわ。イタチごっこよ。非効率的だわ」

彼女は、立ち上がると、テラスの縁に立ち、広大な神域の空を見上げた。


「私ね、神様になって、色々なことができるようになったわ。星を創ったり、宇宙を掃除したり。でも、それは、私が本当に『やりたかったこと』ではないの…」

その声は、静かで、そしてどこか、遠い過去を懐かしむような響きを帯びていた。

「私が神様になったのは、ただ、何とかできそうだと私が思えて、そして、誰もそれをやってくれそうになかったから。…『やりたい』じゃなくて、『やらないといけない』って、ずっと思って、ここまで来ちゃったの」


彼女は、くるりと振り返り、ゼノンを真っ直ぐに見つめた。その瞳には、涙はなく、ただ、全てを受け入れたかのような、澄み切った光が宿っている。

「私、本当はね。普通の、愛してくれるお父さんとお母さんがいて、普通に、たわいもない話ができる友達がいて。普通に、恋をしたり、将来のことで悩んだり。…そんな風に、生きていきたかったんだって、今なら、分かるの」


その、あまりにも純粋で、切実な告白に、ゼノンは、ただ、言葉もなく、彼女を見つめ返すことしかできなかった。


「だからね、ゼノン」

ルナは、一歩、彼へと近づいた。そして、ほんの少しだけ照れながらも、しかし、これ以上ないほど真剣な顔で、言った。


「私、神様、やめようと思うの」

「そしてね、お願いがあるの。…私の『お父さん』になって、私のお世話と、私のいなくなった、この宇宙のあれこれを、あなたに、任せてもいいかなぁ?」


それは、神が神に告げるには、あまりにも突飛で、そしてあまりにも人間的な「わがまま」。


「私が望むなら、がんばってくれるのでしょ? この前の約束、言質は取ったわよ? にひひっ」

彼女は、悪戯っぽく笑った。それは、ゼノンが困惑しているのを、楽しんでいるかのようでもあり、同時に、彼の答えを、少しだけ不安げに待っているようでもあった。


「私は、卑怯だと思う。それは分かってる。でも、一度、私の成長を、ゼロから、見守ってくれたらなぁ…とか」

「今の私は、アンバランスなの。よく分かってる。このままだと、あなたにも、みんなにも、迷惑かけてばかりだわ。ああ、いや、そういうことじゃなくて。…私が、そうしたいって、思ったの。私には、全然、色々、足りないんだって」

「それに、知識と、技術と、できることはたくさん増えたけれど、なにか、本当に私の欲しいものとは、違うの」


彼女は、そこで一度、言葉を切り、そして、ゼノンの瞳を、潤んだ、しかし強い意志を宿した瞳で、じっと見つめた。

「そうね。ゼノンが、私に与えてくれようとしているもの。それはたぶん、私がずっと欲しかったものの一部。だから、ありがとね。ゼノン。感謝してる。…多分…あ、愛していると、言えなくもないわね。きっと。…私が、こんな気持ちになるなんて、思わなかったわ」


「ごめんなさい、甘えさせて欲しい」

彼女は、最後に、ふっと、これ以上ないほど優しい笑みを浮かべた。

「この地球、私が創り変えたのも、そこで生きたいと思えるような世界に。きっと、私は、ここで生きてみたかったんだ。うん」


それは、彼女の魂の、全てを賭けた、最後の、そして最高の「神託」だった。

ひとりぼっちだった神様は、今、自らの手で、その孤独な物語に、幕を下ろそうとしていた。

そして、その先に待つ、新しい「普通の人生」という名の、未知なる冒険へと、その一歩を踏み出すために。

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