追加エピローグ:『星屑のミルフィーユと、初めての"お願い"』
【深淵の観測所:ゼノンの玉座の隣のソファ】
ルナ・サクヤは、ゼノンにからかわれ、顔を真っ赤にしながらも、結局、彼が差し出した「星屑のミルフィーユ」の誘惑には勝てなかった。
「べ、別に、あなたのケーキが食べたいわけじゃないんだからね! ただ、このまま帰るのも癪だから、味見くらいはしてあげるだけよ!」
そんな、誰が聞いてもバレバレなツンデレな言い訳をしながら、彼女はソファの端にちょこんと腰掛け、出されたミルフィーユを、おそるおそる一口、口に運んだ。
その瞬間、彼女の星々を宿した瞳が、これ以上ないほどに、大きく、そしてキラキラと輝いた。
(な…なに、これ…! 美味しすぎる…! サンクチュアリ・ゼロの概念素材から錬成した私のケーキが、霞んで見えるくらいに…! くっ…! 悔しいけど、認めざるを得ないわ…!)
彼女の、あまりにも素直で、分かりやすい反応に、ゼノンは、影の奥で、満足げな笑みを深めた。
しばらくの間、二人の間には、気まずい、しかしどこか穏やかな沈黙と、ミルフィーユを咀嚼する、さくさく、という小さな音だけが流れていた。
やがて、ケーキを綺麗に平らげたルナは、ふぅ、と満足げなため息をつくと、意を決したように、ゼノンに向き直った。その顔の赤みは、まだ完全には引いていない。
「……ねえ、ゼノン」
「なんだい、月の女神よ」
「…その…一つだけ、お願いがあるんだけど…」
彼女が、誰かに、それも自分よりも上位の存在かもしれない相手に「お願い」をするなど、神になって以来、初めてのことだった。
ゼノンは、少しだけ驚いたように、しかし興味深そうに、彼女の次の言葉を待った。
ルナは、俯き、もじもじと指先を弄びながら、か細い声で言った。
「……あのさ…その…今日みたいに、私が、その…取り乱したりして、危なっかしかったり…その…こんな事したいなってお願いしたら…」
彼女は、一度言葉を切り、そして、潤んだ瞳で、ゼノンを上目遣いに見つめた。
「……また、今日みたいに…助けてくれる…?」
それは、彼女の、なけなしの勇気を振り絞った、精一杯の「お願い」。
全知全能の神でありながら、その内面は、まだ、誰かの支えを必要としている、孤独で、不器用な少女。
その、あまりにも健気で、愛らしい「弱さ」の告白に、ゼノンは、何十億年という時の中で、初めて、自分の心の奥底が、どうしようもなく揺さぶられるのを感じた。
彼は、玉座から静かに立ち上がると、彼女の前に跪き、その小さな手を取った。
そして、その手の甲に、まるで最も尊い宝物に触れるかのように、そっと、自らの唇を寄せた。
「――喜んで、我が護るべき月の女神よ」
その声は、どこまでも優しく、そして、揺るぎない誓いの響きを帯びていた。
「君が望むなら、私は、いつでも、どこへでも駆けつけよう。君のその輝きを、君が愛する全てを、この私の永遠を賭けて、護ると、ここで誓おう」
それは、宇宙の深淵で交わされた、たった二人だけの、絶対的な「契約」。
そして、ひとりぼっちだった神様が、初めて、誰かに自分の「弱さ」を預け、そして、その温もりを受け入れた、記念すべき瞬間だった。
ルナは、その言葉と、手の甲に残る感触に、もう、何も言い返すことができなかった。
ただ、顔を真っ赤にして、再び、ぽすん、とソファに顔をうずめることしか。
その小さな背中が、ほんの少しだけ震えているのを、ゼノンは、心の底から愛おしそうに、見つめていた。