表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひとりぼっちの最終防衛線(ラストライン)  作者: 輝夜
【第十一章】天下一冒険者大会と、祭りのあと
141/197

第四話:君を護る、ただそれだけのために


「な…なんだ、ここは…!?」

アサヒくんは、目の前に広がる、あまりにもおぞましい光景に、息をのんだ。空は、まるで割れたガラスのように、無数の亀裂が走り、そこから紫色の不吉な光が漏れ出している。大地は、腐った泥のようにぬかるみ、生命の気配はどこにもない。先ほどまでの、歓声に満ちたアリーナとは、何もかもが違いすぎていた。


「アサヒ…先輩…こわい…」

隣で、さくが、震える声で呟いた。その小さな手は、アサヒくんの制服の裾を、固く、固く握りしめている。

アサヒくんは、彼女の恐怖を感じ取り、そして、自らの心の中にある恐怖を、ぐっと押し殺した。

(しっかりしろ、俺! 俺が怖がってどうする! さくちゃんを、俺が守らなければ…!)


その時、二人の目の前、空間の歪みの中心から、ぬるり、と「それ」は姿を現した。

物理的な形を持たない、ただの、揺らめく影。だが、その影から放たれる、絶対的な「無」の圧力は、二人の魂を直接、そして根源から凍てつかせるかのようだった。

異次元の捕食生命体――「次元喰い」。

それは、この宇宙のいかなる生物とも異なる、法則の外にある存在。


次元喰いは、その不定形の体を揺らめかせると、ゆっくりと、しかし確実に、二人の方へと向き直った。いや、正確には、さくの方へと。

その純粋で、そして強大な魂の光は、次元喰いにとって、極上の「ご馳走」に見えたのだろう。


「さくちゃん、逃げるんだ!」

アサヒくんは、本能的な恐怖に駆られ、絶叫した。さくの手を掴み、この悪夢のような場所から、一刻も早く離れようとする。

だが、さくの足は、まるで大地に根が生えたかのように、動かない。蛇に睨まれた蛙のように、その場に縫い付けられ、ただ、迫りくる「無」の恐怖に、震えることしかできなかった。


アサヒくんの脳裏に、数々の考えが、高速で駆け巡る。

逃げる? どこへ? この空間に出口はあるのか?

戦う? 何で? 自分の持っている、この何の力もない拳で?

助けを呼ぶ? 誰に? ここに、自分たちの声が届くのか?

絶望。

圧倒的な、絶望。


だが、その絶望的な思考の果てに。

彼の心の中に、揺るぎない、そして燃えるような想いが、浮かび上がった。

もしここで逃げ出して、自分だけが助かったとして、さくちゃんに何かがあったら、俺は絶対に後悔する。一生、自分を許せないだろう。

それだけは、絶対に嫌だ。

彼は、さくの手を、そっと離した。

そして、くるりと振り返ると、彼女の前に、立ちはだかった。

その背中は、まだ、大人と呼ぶにはあまりにも頼りない。だが、その背中には、愛おしい者を守り抜くという、鋼の意志が宿っていた。

彼は、足元に転がっていた、ただの石ころを一つ、拾い上げた。それが、今の彼が持つ、唯一の「武器」。


「来るな…!」

アサヒくんは、震える声を、必死で奮い立たせ、叫んだ。

「お前が、何者かは知らない…! でも…!」

彼は、石ころを握る手に、血が滲むほど、力を込めた。

「――さくちゃんには…指一本、触れさせるかぁっ!!!!」


それは、あまりにも無謀で、あまりにも無力な、しかし、何よりも気高い、魂からの咆哮。

次元喰いは、そんな彼の存在など、まるで道端の小石ほどにも意に介さず、その見えない、存在を喰らう触手を、ゆっくりと、彼へと伸ばした。


「アサヒくんっ!!!!」

さくの、悲痛な絶叫が、歪んだ空間に響き渡った。


アサヒくんの体が、見えない力に打ち据えられ、くの字に折れ曲がる。

ごふっ、と、彼の口から、赤い血の塊が、鮮やかに宙を舞った。

そして、彼の体は、まるで糸の切れた操り人形のように、力なく、地面へと崩れ落ちていった。

意識が、急速に、遠のいていく。


「い…い!い!いぃぃいいやああぁぁああ!!」

さくは、目の前で起きた光景を、認めたくなかった。信じたくなかった。

血の気の引いた、真っ白な顔で、動かなくなったアサヒくんに駆け寄る。

その冷たくなっていく手を、震える両手で握りしめる。

「いやだ…! いやだっ! 死なないで、アサヒくん! 」

涙が、ぽろぽろと、彼の蒼白な頬に、こぼれ落ちる。

大切な人を、自分のせいで、失ってしまうかもしれない。

その、耐え難いほどの恐怖と絶望。

彼女の脳裏に、かつて炎の中で失った、あの孤児院の「家族」の顔が、フラッシュバックする。

あの時も、自分は、何もできなかった。ただ、見ていることしか。

もう、二度と、あんな思いはしたくない。

もう、誰も、失いたくない。


「ぐぅうぅ…」

彼女の喉から、嗚咽が漏れる。

そして、その嗚咽は、やがて、魂そのものが張り裂けるような、絶叫へと変わった。

「た・・たすけてっ!たすけぇてっ!!!!」

その声は、誰かに向けたものではない。自分自身に向けた、必死の祈り。

そして、心の奥底で、彼女は叫んでいた。

(お、おねえさま(わたし)っ!)


その慟哭は、時空を超え、次元を超え、遥か彼方の「神域」にいる、もう一人の自分の、存在の核を、直接、そして強烈に、揺さぶった。

祭りの前の、甘酸っぱい時間は、今、絶望の悲鳴と共に、終わりを告げようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ