第三話:神々の遊びと、次元の裂け目
祭りの日は、来た。
オアシス・トーキョーの中心、白亜のコロッセオ「ルナ・グランアリーナ」は、開会式が始まる数時間前から、人々の途方もない熱気で、まるで呼吸しているかのように揺れていた。アークラインは世界中からの観客を運び続け、アリーナ周辺の広場は、身動きが取れないほどの人で埋め尽くされている。誰もが、これから始まる神の祭典に、期待で胸を膨らませていた。
「すごい人だね、さくちゃん」
学生ボランティアとして、会場の入口で観客の案内をしていたさくの隣で、同じくボランティアのクラスメイトが、興奮した様子で声をかけた。
「……うん」
さくは、上の空で相槌を打つ。彼女の視線は、人混みの中を彷徨い、無意識に、一つの影を探していた。アサヒくん。彼は、アリーナ内部の警備担当のはずだ。会えないだろうか。でも、会って、何を話せばいいのだろう。
その時、アリーナの上空に、巨大な影が舞った。
「「「うおおおおおおおおっ!!」」」
地鳴りのような歓声が、空気を震わせる。
ルナ・サクヤがファンタジーゾーンから「お借りしてきた」という、まだ幼体で人懐っこいワイバーンたちが、色とりどりの煙を引きながら、祝賀飛行を繰り広げているのだ。その背中には、可愛らしい衣装を着た妖精(もちろん、ルナが創り出したものだ)たちが乗り、空からキラキラと輝く光の粒子を振りまいている。
その神々しくも、ファンタジックな光景に、人々は熱狂し、空に向かって手を振った。
「――これより、『第一回・天下一冒険者大会』の、開幕を、宣言いたします!」
アリーナの中央に設置された特設ステージに、マイクを握った小野寺拓海の、顔を真っ赤にした、そして少しだけ震える声が響き渡った。
その数時間前、彼は、ルナから直々に「開会宣言は、あなたがやりなさい。地球の代表として、威厳をもってね」という、あまりにも無茶な「神託」を受けていたのだ。
『む、無理です、ルナ様! 私のような一介の公務員が、そのような大役…!』
『あら、私からの『お願い』が、聞けないっていうのかしら?』
『うっ……。しかし、なぜ私なのでしょうか…?』
『ふふん。だって、あなたがステージの上でカミカミになってるところを、高みの見物するのが、一番面白いじゃない。それに、ひかりさんも、あなたの晴れ舞台、きっと喜ぶわよ?』
そんな、悪魔の囁き(と、ひかりの名前を出されるという弱み)に、彼は逆らうことができなかったのである。
今、ステージの袖では、秘書官の陽気ひかりが「小野寺さーん! かっこいいー! 頑張ってー!」と、目をハートにしながら(小野寺本人には見えていない)全力で声援を送っている。小野寺は、その声援に後押しされ(そして半ばヤケクソになりながら)、なんとか大役を果たした。ステージから降りてきた彼は「も――――やらんぞっ!」と、顔を真っ赤にして呟き、その姿を見たひかりは「やーん、小野寺さん、かわいい!」と、さらに胸をときめかせるのだった。
小野寺の(ある意味で感動的な)開会宣言を合図に、サンクチュアリ・ゼロのエネルギーを凝縮した、七色の超ド派手な花火が、次々と打ち上げられ、祭りの始まりを華々しく彩った。
大会は、熱狂のうちに進行していった。
模擬戦では、ケンジ率いる「ハウリング・ブレイズ」が、その圧倒的なパワーと、意外なほどの連携の良さで、格上のモンスター(もちろん、ルナが調整した、安全なホログラムだ)を次々と撃破し、会場を大いに沸かせた。
「ケンジー! かっこいー!」
「あの筋肉、やべえ!」
かつては無法者と恐れられた男が、今や、子供たちの英雄となっていた。
そして、大会が最も盛り上がりを見せた、その日の午後。
ついに、メインイベントとして用意された「特別緊急クエスト」の時間がやってきた。
アリーナの巨大なスクリーンに、参加する冒険者たちの中から、ランダムでペアが選出される、というルーレットが映し出される。
【神域】
「……よし、シロ。準備はいいわね?」
「はい、ルナ・サクヤ。対象ペア選出アルゴリズムへの、限定的因果律干渉プロトコル、スタンバイ完了です」
「ゼノン、あなたもよ! ちゃんと『運命の糸』、調整してよね!」
『ふふ、お任せあれ、月の女神よ。最高の舞台を用意しよう』
神域と深淵で、二柱の神が、壮大な「やらせ」の最終確認を行っていた。
ルーレットが、けたたましい音と共に回転し始める。スクリーンに、次々と冒険者たちの顔写真が映し出されては、消えていく。
会場の誰もが、固唾をのんでその行方を見守る。さくもまた、心臓が口から飛び出しそうなほど、ドキドキしながら、スクリーンを見つめていた。
(まさか、そんな、偶然なんて…)
そして、ルーレットが、ゆっくりと速度を落とし……ついに、止まった。
そこに映し出されていたのは――月詠さくと、アサヒくんの、二人の顔写真だった。
「「「おおおおおおおおおおおおっ!!!!」」」
会場が、この日一番の、割れんばかりの歓声と、温かい祝福の拍手に包まれた。
「さくちゃん、頑張れー!」
「アサヒ先輩、ヒューヒュー!」
クラスメイトたちの、容赦ないからかいの声が飛ぶ。
さくの顔は、熟したリンゴのように、真っ赤に染まっていた。アサヒくんもまた、信じられないといった表情でスクリーンを見つめ、そして、照れくさそうに頭を掻きながら、さくの元へと歩み寄ってきた。
「……さくちゃん。その…まさか、俺たちになるとはな。よろしく、お願いします」
「…は、はい。こちらこそ…!」
ぎこちない挨拶を交わし、二人は、ステージの中央に出現した、虹色に輝く転移ゲートへと、恥ずかしそうに、しかしどこか嬉しそうに、足を踏み入れた。その小さな背中を、会場中の温かい視線が見送っていた。
だが、二人がゲートをくぐり、その光が消えた、まさにその瞬間。
ゲートが、一瞬だけ、不吉な暗紫色に、バチッ、と歪んだのを、誰も気づかなかった。いや、ただ一人を除いては。
【神域】
「……ん?」
ルナ・サクヤは、眉をひそめた。
「シロ、今、ゲートのエネルギーパターンに、ほんの僅かな『ノイズ』が混じらなかった?」
『…いいえ、ルナ・サクヤ。観測データ上は、全て正常です。貴殿の、気のせいでは?』
シロの、あまりにも平静な返答。
「……そう? なら、いいんだけど…」
ルナは、一瞬抱いた違和感を振り払った。きっと、さくたちの恋の行方に、自分が緊張しすぎているだけだろう、と。
だが、その「ノイズ」こそが、これから始まる、神々の遊びを超えた、本当の悪夢の始まりを告げる、小さな、しかし確かな予兆だったのだ。
二人が転移した先は、ルナとゼノンが用意した、安全で、ちょっとだけスリリングなクエストダンジョンではなかった。
そこは、かつてディープ・エコーがこじ開けた「ディメンション・ワームホール」の、修復しきれなかった微細な「傷跡」。その傷跡が、大会の膨大なエネルギーに引かれ、一瞬だけ開いてしまった、異次元との「裂け目」。
空はひび割れ、大地は腐臭を放ち、この宇宙の物理法則が、悲鳴を上げているかのような、混沌の空間。
そして、その歪んだ空間の中心から、一体の「それ」が、ぬるり、と姿を現した。
物理的な形を持たない、不定形の影。ただ、そこにいるだけで、周囲の空間から「存在」という概念そのものを、貪欲に喰らい尽くしていく、異次元の捕食生命体――「次元喰い」。
それは、ルナの聖域プロトコルも、ゼノンの因果律操作も、全てを無効化する、この宇宙の理の外にある、絶対的な「無」の化身。
神々の、壮大で、しかし無邪気な「お遊び」は、今、最悪の形で、現実の脅威と交錯しようとしていた。