其の十二:神々の痴話喧嘩(?)は、ダンジョン崩壊の味がした
【ドラゴニア・クロニクル:名もなきゴブリンの巣穴(だった場所)】
「――ねえ、リズ。この依頼、本当に『ゴブリンの斥候部隊の殲滅』だったわよね?」
魔法使いのミラが、目の前で起きている、あまりにも非現実的な光景に、こめかみを押さえながら呟いた。
彼女たちの目の前では、ついさっきまでただの薄暗い洞窟だったはずの場所が、地鳴りと共にその姿を急速に変貌させていた。
壁は、まるで生きているかのように脈動しながら隆起し、古代の神殿を思わせるような、荘厳なレリーフが浮かび上がる。天井からは、鍾乳石の代わりに、巨大な水晶が無数に生え始め、洞窟全体を、不気味なほど青白い光で照らし出している。
(目が点…どころの騒ぎじゃないわよ、これ…! なにこの超展開!? ダンジョンが、リアルタイムで大型アップデートされてるんですけど!?)
その全ての元凶が、遥か彼方の深宇宙にいる、不器用な「あしながおじさん(神)」のせいだとは、夢にも思わない私――霧島怜は、フィリアの頭の上で、ただただ呆然とするしかなかった。
「きゃっ!?」
フィリアが、足元の地面が突然隆起したことで、バランスを崩して尻餅をつく。
その瞬間、洞窟の奥から、制御を失った魔力の奔流が、濁流となって彼女たちへと襲いかかってきた!
(――やばい! フィリアちゃん!!!)
私が、再び無茶な実体化を決意した、まさにその時だった。
フィリアたちの目の前の空間が、まるで黒いインクが滲むように歪み、そこから、一人の少女が、音もなく舞い降りた。
深いフードと大きなサングラスで顔は隠れているが、その全身から放たれる、神々しくも、どこか馴染みのある(と、私だけが感じている)オーラ。
そして何より、その姿は、私が窮地に陥った時に、どこからともなく現れて、私にこのダークグレーのコートとサングラスを授けてくれた、あの「声」の主の姿と、寸分違わなかった。
(あ、あの時の『声』の人!? なんで、ここに!?)
彼女――ルナ・サクヤは、両手を広げ、襲い来るエネルギーの濁流を、その小さな体で、真正面から受け止めた。
「ぐっ…! うぅぅぅ…!」
彼女の、苦悶に満ちた、しかしどこか悪態をついているような声が、微かに聞こえてくる。
「な、何よ、この無駄に高純度で、馬鹿みたいに濃密なエネルギーは! あのジジイ、ジョウロで水をやるつもりが、消防車の放水ホースを全開にしたようなもんじゃないの!」
(ジジイ…? 誰のこと…?)
私たちがポカーンとしている間に、彼女はなんとかそのエネルギーを収束させ、その場にへたり込んでしまった。
そして、次の瞬間。
今度は、その彼女の背後に、時空が裂けるような音と共に、漆黒のローブを纏った、巨大な人影――ゼノンが現れた。
その存在感は、先ほどのエネルギーの奔流以上に、私たちの魂を直接震わせるような、圧倒的なものだった。
「ルナ・サクヤ! すまない! 私としたことが…! 大丈夫か!?」
巨大な人影が、少女の身を案じて、アワアワとし始める。
「……もーっ!!」
へたり込んでいた少女が、潤んだ瞳で、巨大な人影を上目遣いに睨みつけた。
「あなたねぇ! 一体、何してくれてるのよーーーーっ!!!!」
そこから始まったのは、私たちの理解を完全に超えた、「神々の痴話喧嘩(?)」としか言いようのない光景だった。
少女は、ぷんぷんと怒りながら、巨大な人影の周りを飛び回り、何やら説教をしている。
巨大な人影は、その巨体をシュンと小さくさせて、ただただ、しょんぼりと、その説教を聞いている。
途中、巨大な人影が、何かエネルギー制御の練習のようなものを始めて、また暴走させかけ、それを少女が「もうっ!見てられないわね!」と、再び受け止める、というコントのような一幕もあった。
そして、少女が完全にキレたように見えた、その時だった。
「もういいわ! ちょっと来なさい!」
彼女は、巨大な人影の巨大な手を、その小さな手でグイッと掴んだ。
そして、次の瞬間、二人の姿は、まるで最初からそこにいなかったかのように、光の粒子となって、跡形もなく消え去ってしまったのだ。
「「「…………」」」
フィリア、リズ、ミラ、そして私。
私たちは、ただただ、口をあんぐりと開けて、その光景を見つめるしかなかった。
(な…なんだったんだ、今の…? 私たち、絶体絶命のピンチだったはずじゃ…? なんで、目の前で、人知を超えた感じの人たちが、助けてくれた…のかしら? でも、なんか、すごく甘酸っぱい雰囲気の、痴話喧嘩をしていたような…?)
後に残されたのは、半壊しながらも、なぜか神秘的な輝きを放つ「元・ゴブリンの巣穴」と、そして、頭の上に、無数の「?」を浮かべた、私たち『月影の爪』のメンバーだけだった。
「……ねえ、ミラ。私、今、何かすごく、見てはいけないものを見てしまったような気がするんだけど…」
リズが、恐る恐る呟いた。
「ええ…。私もよ。あれは、きっと、この世界の理の外にある、触れてはならない『聖域』だったのよ…」
ミラもまた、賢者のような顔で、深いため息をついた。
フィリアだけは、一人、ぽつりと呟いた。
「……あの、黒いコートのお姉さん……やっぱり、レイ…さん、なのかな…? なんだか、すごく、大変そうだったな……」
その、フィリアの純粋な問いかけ。
もちろん、彼女には私の姿は見えていない。ただ、彼女が助けられた時に感じた、あの優しい気配の主を、直感的に「レイさん」と呼んだだけなのだろう。
だが、その頭の上で、私は全力で首を横に振っていた。
(ち、違う! 断じて違うわよ、フィリアちゃん! 今のは私じゃない! 私、あんなに可愛らしく怒ったりできないし、あんなイケオジと手を繋いだりとか、絶対に無理だから! あれは、もっとこう、すごい人で…私とは全然関係ない人だから! 信じて! お願いだから!)
私の、声にならない必死の否定は、もちろんフィリアには届かない。
彼女は、ただ、助けてくれた謎のお姉さんのことを、少し心配そうに、そしてどこか親しみを込めて、思い浮かべているだけだった。
こうして、私たちの「ゴブリン退治」依頼は、なぜか、宇宙規模の痴話喧聞を目撃し、そして伝説級のダンジョンを発見するという、とんでもない結末を迎えたのだった。
ギルドに、一体どう報告すればいいのか、私たちは、本気で頭を抱えることになった。
そして私は、この先、フィリアの中で「レイさん=あの黒コートのお姉さん」という誤解が定着してしまわないか、本気で頭を抱えることになった。