其の十一:寂しがり屋の小さな勇者と、夜明け前の特等席
「「「え……?」」」
フィリア、リズ、ミラは、呆然と、謎の女性が消えた空間を見つめるしかなかった。
フィリアは、無意識に自分の頭のあたりに手をやり、きょろきょろと周囲を見回す。何かを探しているような、それでいて何か物足りなさを感じているような、不思議な表情を浮かべている。
(……今の……いつもそばに感じていた、温かくてホッとする感じ。一緒だった……?)
三人が街の門にたどり着くと、門番たちが彼らの持ち帰った素材の気配に気づき、騒ぎ始めた。『月影の爪』が単独で(と、皆は思っている)超危険個体を討伐したというニュースは瞬く間に街中に広まり、彼女たちは英雄として称賛された。
祝勝ムードに包まれたギルドの酒場。リズとミラは上機嫌で酒を酌み交わしている。
しかし、フィリアだけは、喧騒の中でも時折、ふと自分の頭の上を見上げたり、周囲を気にしたりする仕草を繰り返していた。ジョッキを片手に持ちながらも、その大きな瞳はどこか遠くを見ている。
(やっぱり……いない……。まだ戻ってこない……)
胸の奥にぽっかりと穴が空いたような、そんな寂しさを感じていた。
宴もたけなわとなり、三人はようやく宿屋に戻ってきた。
清潔魔法で汗を流し、フィリアはいつものように自分のベッドに潜り込む。
けれど、今夜はいつもと何かが違った。目を閉じても、なかなか寝付けない。
無意識に、自分の隣の空間に手を伸ばしてみる。そこには、シーツの冷たさがあるだけだ。
(……レイ……さん……?)
昼間の謎の助っ人の姿と、その人が心の中で呟いていたかもしれない名前を思い出す。
そして、いつも自分のそばにいたはずの、あの優しい気配。それが、今はどこにも感じられない。
フィリアは、ぎゅっと毛布を握りしめた。なんだか、とても心細い。一人ぼっちのような気がして、涙がこぼれそうになるのを必死で堪えた。
(大丈夫だったのかな……戻ってこないのかな……)
◇
一方、フィリアたちと別れた私、霧島怜は――。
(うぅ……やっぱり、あの姿になるのは、すごく消耗するんだなぁ……。身体が霧みたいに薄れていく感じ……)
私は、以前見つけたあの美しい湖のほとりに、力なく漂っていた。
実体化して力を振るった代償は大きく、あれほどまでに湖のエネルギーを吸収したというのに、そのほとんどを使い果たしてしまったようだ。
今はただ、この清浄なエネルギーに満ちた場所で、ゆっくりと自分の存在力を回復させるしかない。
【天の川銀河:ルナ・サクヤの神域】
「……もう! お姉さんったら、無茶しすぎなのよ! ただでさえ不安定な魂なのに、あんなに派手に力を使ったら、また消えそうになっちゃうじゃない!」
ルナは、神域のメインコンソールに映し出される、湖畔でか細く揺らめく怜の魂の光を見て、ハラハラしながら叫んでいた。その手には、いつの間にか錬成された巨大なクッションが、ぎゅっと握りしめられている。
「シロ! なんとかならないの!? このままじゃ、お姉さんのエネルギー回復、すごく時間がかかるわよ!」
『ルナ・サクヤ。対象の魂は、現在、自己修復プロセスにあります。外部からの過度なエネルギー干渉は、逆に魂の構造を不安定にする危険性が…』
「そんなことは分かってるわよ! でも、見ててじれったいの! …そうだわ!」
ルナの瞳が、キラリと輝いた。
「シロ、あの湖の、マナ濃度を、ほんの少しだけ、お姉さんに気づかれないように、局所的に上昇させなさい。湖の底にあるマナの源流から、ごく微量のルナティック・フォースをリークさせるのよ。そうすれば、自然な形で、お姉さんの回復をブーストできるはずだわ! これは、推しへの、ささやかな『課金』よ!」
『……了解しました。ささやかな『課金』プロトコル、実行します』
シロの、感情のないはずの声に、ほんの少しだけ、呆れの色が混じった気がした。
【ドラゴニア・クロニクル:森の湖畔】
(……あれ? なんだか、湖のエネルギーが、いつもより温かくて、美味しい…気がする…)
私は、不思議に思いながらも、その心地よいエネルギーに身を委ねた。
おかげで、思ったよりも早く、存在力が回復していくのを感じる。まだ万全ではないけれど、フィリアちゃんのそばに戻るくらいなら、もう大丈夫そうだ。
(よし……フィリアちゃんのところへ……)
意識を集中し、宿屋のフィリアの部屋を強くイメージする。
瞬間移動で、フィリアの部屋の、ベッドのすぐそばに私は現れた。
部屋の中は真っ暗で、フィリアはすーすーと小さな寝息を立てて眠っている。でも、その寝顔はどこか不安げで、眉間に僅かな皺が寄っているのが、ぼんやりとした気配の中でも感じ取れた。
(ごめんね、フィリアちゃん……寂しい思い、させちゃったね)
そっと、フィリアの寝顔に近づく。
いつものように、彼女の頭の上に戻ろうかと思ったけれど……。
(えーいっ! フィリアちゃんが寂しくないように、だからっ!)
心の中で言い訳にもならない言い訳をしながら、私はえいやっ!と、フィリアの温かい腕の中に、するりと潜り込んだ。
彼女の体温、規則正しい寝息、そして安心しきって緩む身体の気配が、すぐそばで感じられる。
それは、とてつもなく心地よくて、そして、なんだかすごく……満たされる感覚だった。
フィリアは、無意識に私(のいる空間)をぎゅっと抱きしめるように身じろぎした。
そして、ふぅ……と、先ほどよりもずっと穏やかで、安心しきったような寝息に変わったのがわかった。
眉間の皺も、いつの間にか消えている。
(……よかった)
その寝顔を見て、私も心の底から安堵する。
フィリアの温もりに包まれながら、私は再び穏やかな眠りへと誘われていった。
アライグマの少女の寂しかった夜は、こうして、夜明け前にそっと終わりを告げたのだった。
そして、私にとっても、ここはやっぱり最高の特等席なんだと、改めて思うのだった。
【天の川銀河:ルナ・サクヤの神域】
「……ふぅ。まあ、これで一安心、かしらね」
怜とフィリアが、二人で幸せそうに(?)眠っている映像を眺めながら、ルナは、ようやく安堵のため息をついた。
「お姉さんも、フィリアちゃんも、可愛いんだから…。もう、見てるこっちの心臓が持たないわよ…」
彼女は、巨大なクッションに顔をうずめ、なんだか満足げに、そして少しだけ疲れたように、呟くのだった。
神様の「推し活」は、まだまだ始まったばかりである。