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ひとりぼっちの最終防衛線(ラストライン)  作者: 輝夜
第九章 神の箱庭、星々の対話
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【Side Story】特命全権大使の、とある休日


~さくの憂鬱と、新しいひだまりの予感~


【小野寺家・リビング】


「亜」との戦いが終わり、ルナ・サクヤが世界の調停者となってから数年。地球は、驚くほどの平穏を取り戻していた。

かつて「対ルナ・サクヤ特命全権大使」として激務に追われていた小野寺拓海も、今ではその役職を後進に譲り、設立された「地球再生監視機構」の理事として、比較的穏やかな日々を送っていた。

そして何より、彼の私生活には、数年前には想像もできなかった、大きな変化が訪れていた。

彼は、月詠さく――かつてルナ・サクヤが自らの「人間性」を取り戻すために創造した、もう一人の自分――の、法的な保護者、つまり「父親」となっていたのだ。


その日の午後、リビングのソファで新聞を読んでいた小野寺の元に、中学校の制服に身を包んださくが、少しだけ不機嫌そうな顔で帰ってきた。

「……ただいま」

「お、おかえり、さく。学校、お疲れ様。今日は早かったんだね」

小野寺は、慌てて新聞を置き、父親らしい笑顔を向けようとするが、その表情はどこかぎこちない。まだ、この「父親」という役割に、完全には慣れていない自分がいた。


「別に。普通よ」

さくは、ぶっきらぼうにそう言うと、スクールバッグを床に放り出し、どさりと小野寺の隣のソファに座り込んだ。そして、深いため息をつく。

「…はぁ。なんで、学校なんて行かなきゃいけないのかしら。面倒くさい。非効率的だわ」

その口調は、どこか、遥か彼方の「神様」を彷彿とさせたが、その表情には、神々しさではなく、思春期の少女特有の、複雑な感情が渦巻いていた。


「ははは…まあ、そう言うなよ。友達と会ったり、勉強したりするのも、大切なことじゃないか」

「友達なんて、別にいらない」さくは、そっぽを向いた。だが、その脳裏には、クラスメイトの、あのしっかり者で優しいアサヒくんの笑顔が、一瞬だけ、チカっと点滅した。

(…べ、別に、アサヒくんに会うのが楽しみとか、そういうわけじゃ、ないんだから…! ただ、最近、やけに目が合うし、この前なんか、図書室で同じ本に手を伸ばしちゃって、指が触れて…う、うわああああ、思い出すだけで顔が熱くなるじゃない…!)

彼女の頬が、ほんのりと赤く染まる。その微細な変化に、小野寺は気づかない。


「それに、勉強なら、家で一人でやった方がよっぽど効率的よ。拓海さんだって、そう思うでしょ?」

さくは、自分の動揺を隠すように、じっと小野寺の顔を見つめた。その瞳には、反抗期特有の、少しだけ挑戦的な光が宿っている。

小野寺は、困ったように頭を掻いた。

さくの成績が、もはや人間業ではないレベルであることは、彼もよく知っている。


小野寺が、必死に父親らしいことを言おうとした、その時だった。


ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。


「おや? 誰だろう。お客さんの予定はなかったはずだが…」

小野寺が不思議そうに立ち上がると、さくは「私、出ないから」と、再びそっぽを向いてしまった。


小野寺が玄関のドアを開けると、そこに立っていたのは、一人の美しい女性だった。

長く艶やかな黒髪に、優しく知的な光を宿した瞳。そして、その手には、近所の評判のケーキ屋の箱が握られている。

彼女は、天野陽菜あまのひな。かつて「オアシス・トーキョー」の再建計画で、その革新的な才能を発揮し、今では「地球再生監視機構」で、小野寺の最も信頼する部下であり、そして…プライベートでも、良きパートナーとなりつつある女性だった。


「こんにちは、小野寺さん。突然ごめんなさい。近くまで来たものだから、つい…差し入れのケーキ、さくちゃんも一緒にどうかなって」

陽菜は、はにかむように微笑んだ。

「あ、陽菜さん! い、いや、わざわざすみません! どうぞ、上がってください!」

小野こしらデラの顔が、ぱっと明るくなる。その変わり身の速さに、リビングで聞き耳を立てていたさくの眉間に、ぴくりと皺が寄った。


陽菜がリビングに入ってくると、部屋の空気が、ふわりと華やいだ。

「さくちゃん、こんにちは。学校、お疲れ様」

「……どうも」

さくは、陽菜に一瞥をくれると、再びそっぽを向いてしまった。その態度には、明らかな敵意と、そしてほんの少しの嫉妬が滲んでいる。


(…なによ、この人。拓海さんの部下だって言ってたけど、最近、やけに家に来るじゃない。しかも、いつもいつも、美味しいケーキとか持ってきて…私を餌付けするつもりかしら。それに、拓海さんも、この人が来ると、いつもと様子が違う。なんか、デレデレしてて…)


さくの心は、複雑だった。

小野寺は、血の繋がりこそないが、自分にとって唯一の「家族」だ。その大切な「居場所」に、見知らぬ女性が、入り込んでくる。それが、たまらなく不快だった。

そして何より、陽菜と楽しそうに話す小野寺の姿を見ていると、胸の奥が、チクリと痛むのだ。それは、まるで、アサヒくんが他の女子と仲良くしているのを見かけた時のような、そんな、モヤモヤした感情に似ていた。

(…まさか…『嫉妬』…? 私が? 拓海さんに? …いやいや、ありえない! 私はただ、この家の平和な秩序が乱されるのが、嫌なだけよ!)


「さあ、さくちゃん、このモンブラン、すっごく美味しいのよ? 一緒に食べましょう?」

陽菜が、お皿に乗せたケーキを、さくの前に差し出す。

「……いらない。甘いもの、好きじゃないから」

つい、口をついてでてしまった。本当は、甘いものには目がないのに。

そのあまりにも分かりやすい態度に、陽菜は、困ったように、しかしどこか楽しげに微笑んだ。


「そう?残念だな。じゃあ、小野寺さん、二人でいただいちゃいましょうか」

「あ、ああ、そうだね。じゃあ、お茶を淹れるよ」

楽しそうにキッチンへ向かう小野寺と陽菜。その二人の後ろ姿を、さくは、ソファの上で膝を抱えながら、じっと見つめていた。

リビングには、二人の楽しげな笑い声と、コーヒーの香ばしい匂い、そしてケーキの甘い香りが満ちていく。

それは、温かくて、幸せな「家庭」の光景そのもののはずだった。

だが、今のさくにとって、その光景は、自分だけが仲間外れにされたような、言いようのない孤独感と、そして、自分の知らない「大人の世界」への、ほんの少しの戸惑いを感じさせるものだった。


(……なんなのよ、もう…)


さくは、小さく呟くと、立ち上がって自室へと向かおうとした。

その時、不意に、小野寺に声をかけられた。

「あ、さく。もしよかったら、今度の日曜日、三人でどこかに出かけないか? 新しくできたファンタジーゾーンのテーマパークとか…陽菜さんも、興味があるみたいなんだ」

その言葉に、さくの足が、ぴたりと止まった。

三人で?

この人と、拓海さんと、私と?


(……別に、行きたくなんかない。テーマパークなんて、人が多くて面倒くさいだけだし。でも…もし、断ったら、拓海さんは、この人と二人で行ってしまうんだろうな…。それは…なぜか、すごく嫌だ)

彼女の脳裏に、もしアサヒくんが、他の女の子と二人でどこかへ行く、という想像がよぎり、胸がチクリと痛んだ。それと、今のこの気持ちは、少しだけ、似ているのかもしれない。


「…………」

さくは、何も答えずに、俯いたまま、自分の部屋のドアを、バタン、と少しだけ乱暴に閉めた。

残されたリビングでは、小野寺と陽菜が、顔を見合わせて、困ったように、しかしどこか温かい笑みを浮かべていた。


自室のベッドに倒れ込んださくは、枕に顔をうずめた。

胸の奥が、モヤモヤする。

この感情が、何なのか、彼女にはまだ、よく分からない。

ただ、彼女の、そして小野寺の「ひとりぼっち」だった日常が変化しようとしているということは、確かなようだった。

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