【Side Story】キューピッド・ストライカーズの受難
~夕暮れの帰り道と、神様の限界突破~
【オアシス・トーキョー:中学校の帰り道】
季節は巡り、月詠さくは、中学一年生の秋を迎えていた。
思春期という、最も多感で、最も輝かしい季節の真っただ中。一つ年上のアサヒくんとの関係は、ルナ・サクヤの知らないところ(いや、全て筒抜けなのだが)で、そしてキューピッド・ストライカーズの健気な(しかし大抵は空回りに終わる)支援活動の甲斐もあってか、友達以上、恋人未満という、最も甘酸っぱい距離感を保っていた。
その日の放課後。
さくは、図書委員の仕事で少しだけ帰りが遅くなり、一人で夕暮れの道を歩いていた。空は茜色に染まり、家路を急ぐ人々の影が、長く伸びている。
(……はぁ。今日も、アサヒ先輩、格好よかったなぁ…。数学の問題、私が分からないところ、すっごく丁寧に教えてくれたし…。あの時、顔、近かったし…)
さくは、先ほどの出来事を思い出し、一人で顔を赤らめる。もう、彼への気持ちは、隠しようもないほどに大きくなっていた。
「――さくちゃん!」
不意に、後ろから聞き慣れた、そして今一番聞きたい声がして、さくはびくりと肩を震わせた。
振り返ると、そこには、少しだけ息を切らせたアサヒくんが立っていた。
「あ、アサヒ先輩!? どうして…?」
「いや、さくちゃんが一人で帰るって聞いたから、心配で…。この辺り、最近ちょっと物騒だって言うし。家まで、送っていくよ」
アサヒくんは、少しだけ照れくさそうに、しかし真っ直ぐなさくの目を見て言った。その言葉と眼差しに、さくの心臓は、またしても破裂しそうなほど高鳴り始める。
(お、送っていく、ですってぇぇぇ!?)
【月詠朔:神域(旧六畳間)】
「…………っはぅあっ!!!!」
神域で、宇宙規模のエネルギー調整を行っていたルナ・サクヤの動きが、完全に停止した。彼女は、どこからともなく、自分の身長ほどもある巨大でふかふかなクッションを「錬成」すると、それを力一杯、ぎゅーーーーーっと抱きしめた。
彼女の顔は、耳まで真っ赤に染まり、口元からは「ひぃっ、ふ、ふひぃっ…」という、神にあるまじき、幸せと苦しみが混じったような、奇妙な呼吸音が漏れている。
『ルナ・サクヤ! 対象:小野寺さくのセロトニン及びドーパミン分泌量が、過去最高値を記録! それに伴い、貴殿の精神干渉システムに、致命的なレベルの負荷が発生しています! このままでは、サンクチュアリ・ゼロの冷却システムが暴走する可能性が…!』
シロ(システム)の、かつてないほど切迫した警告も、今の彼女には届かない。
「し、シロ! 見てなさい! これは、これは絶好のチャンスよ! キューピッド・ストライカーズ! 全員、総力を挙げて、この『送り狼イベント』を成功させるのよ! 何としても、二人を『いい雰囲気』にするの! これは、神としての、絶対命令よ!」
彼女は、巨大なクッションに顔を埋め、もごもごとした声で、しかし有無を言わせぬ、絶叫にも似た指令を飛ばした。
【帰り道:キューピッド・ストライカーズの暗躍】
「了解! メインユニットより神命受諾! これより、作戦名『夕暮れのシンデレラ・ロード』を開始する!」
物陰に潜んでいたCSリーダー001号が、冷静に、しかしその声は興奮で微かに震えながら、宣言した。
二人が歩く帰り道。そこには、CSたちによる、完璧な「お膳立て」が、次々と展開されていく。
お膳立て①:夕焼けブースト
ルナ・エコー002号(空間光学担当)が、大気中の光の屈折率を微調整。夕焼けが、まるで最高級の恋愛映画のワンシーンのように、ドラマチックに、そしてロマンチックに、二人を照らし出す。
お膳立て②:そよ風アシスト
ルナ・エコー003号(気象制御担当)が、絶妙なタイミングで、心地よいそよ風を吹かせる。風は、さくの髪をふわりと揺らし、シャンプーの甘い香りを、アサヒくんの元へと運んでいく。
お膳立て③:障害物(という名の吊り橋効果)設置
ルナ・エコー004号(物理操作担当)が、二人の進路上に、工事中の看板を「偶然」出現させ、少しだけ遠回りの、人通りの少ない、雰囲気のある公園の小道へと、二人を誘導する。
「……なんか、今日の帰り道、いつもと違うね」
さくが、不思議そうに言う。
「そうだね。でも、こっちの道も、静かでいいかも」
アサヒくんが、そう言って、優しく微笑む。
二人の間の距離が、ほんの少しだけ、縮まった。
(……よし! いい感じよ! このまま、このまま…!)
神域で、ルナはクッションをぎゅっと抱きしめ、固唾をのんで見守っていた。
そして、二人は公園のベンチに、並んで腰掛けた。夕日が、二人をオレンジ色に染めている。
沈黙が、流れる。それは、気まずく、しかし心地よい沈黙。
「……あのさ、さくちゃん」
先に口火を切ったのは、アサヒくんだった。
「な、なに…?」
さくは、俯いたまま、か細い声で答えるのが精一杯だった。
「俺…ずっと、さくちゃんのこと…」
アサヒくんの顔が、ゆっくりと、さくの顔に近づいていく。
さくも、その視線に引き寄せられるように、ゆっくりと顔を上げた。
二人の唇が、触れ合うか、触れ合わないか、その距離、あと数センチ。
夕日が、二人のシルエットを、美しく、そして劇的に照らし出す。
風が、止まった。
時間が、止まった。
【月詠朔:神域&キューピッド・ストライカーズ】
「「「「「…………………(ぷすんっ)」」」」」
その瞬間、ルナ・サクヤと、全キューピッド・ストライカーズの思考ルーチンが、完全に、そして見事に、ショートした。
神域では、ルナが抱きしめていた巨大なクッションが、ぽふん、と音を立てて光の粒子に還り、彼女自身は、目をぐるぐると回しながら、その場に、こてっ、と可愛らしく倒れ込んだ。顔を耳まで真っ赤にして完全に意識を失っている。サンクチュアリ・ゼロの出力が、一瞬、ゼロになった。
公園の物陰では、全CSたちが、ピシッ、と音を立てて硬直し、まるで石像のように動かなくなった。何体かは、口から魂のような光を吐き出していた。
完璧な「お膳立て」は、その当事者(神)のキャパシティを、遥かに超えていたのだ。
【帰り道:当事者たち】
「…………」
「…………」
あと数センチ、というところで、アサヒくんは、ふと、我に返った。
(…や、やべえ! 俺、今、何をしようと…!? こんな、人目があるかもしれないところで…!)
中学二年生男子特有の自意識と羞恥心が、彼のロマンチックな衝動に、急ブレーキをかけたのだ。
彼は、さっと顔を赤らめ、慌てて体を離した。
「ご、ごめん! なんでもない! そ、そうだ! もう暗くなってきたし、早く帰らないと、拓海さんが心配するよな! さ、行こう!」
アサヒくんは、早口でそう言うと、立ち上がって、さくの手を引っ張った。
「え…あ、うん…」
さくもまた、夢から覚めたように、顔を真っ赤にしながら、彼に手を引かれるまま、歩き出した。
結局、その日は、二人の間に、それ以上の進展はなかった。
だが、帰り道、ずっと繋がれたままだった二人の手は、夕日よりも熱く、そして、お互いの気持ちが、言葉にしなくても、確かに伝わっていることを感じさせていた。
後日。
意識を取り戻したルナ・サクヤは、シロから事の顛末を聞き、神域の玉座で、頭を抱えて呻いた。
「……うぅ…私の、私の完璧なシナリオが…! あの、中途半端なところで止めるとか、アサヒくん、ヘタレでしょ…! でも、でも、あの雰囲気は…すごく〜良かった…うぅ、も...もう一回ぃ…!」
彼女は、キューピッド・ストライカーズの全機を再起動させると、次なる「恋愛成就作戦」の立案に、これまで以上の情熱(と、個人的な願望)を注ぎ込むことを、固く心に誓うのだった。
ひとりぼっちの神様の、甘酸っぱい受難は、まだまだ続きそうである。