第四話:神域(サンクチュアリ)への招待と無言の圧力
【ギャラクシー・ギルドニア銀河:エルダの隠れ神殿】
慈愛の星神エルダと、その同志たちが、天の川銀河への訪問という、重大な決意を固めた、まさにその瞬間。
彼らの頭上に、再び、あの月の女神、ルナ・サクヤの声が、穏やかに、しかし抗いようのない響きをもって降り注いだ。
『――あなたたちの覚悟、確かに受け取りました。良いでしょう。では、その信頼する仲間たちと共に、私の『庭』を、その目で直接見に来なさい』
その言葉と共に、エルダ、ゼピュロス、ガイア、そしてソラリスの四柱の神々の体が、淡く柔らかな光に包まれた。目を開けていられないほどの眩い光が収まった時、彼らは、先ほどまでの薄暗い神殿ではなく、全く別の場所に立っていることに気づいた。
【ルナ・サクヤの神域:草原のティールーム】
どこまでも広がる、穏やかな緑の草原。吹き抜ける風は、清浄なエネルギーの香りを運び、空には、見たこともないほど優しく、そして力強い光を放つ、巨大な天体(サンクチュアリ・ゼロの概念的投影だろう)が浮かんでいる。
ギャラクシー・ギルドニア銀河の、荒廃し、淀んだ空気とは全く異なる、生命力そのものに満ち溢れた空間。
四柱の神々は、そのあまりにも清らかで、秩序だったエネルギーに圧倒され、ただ言葉を失った。
「ようこそ、私の『神域』へ」
声のした方へ視線を向けると、そこには、美しいテラスカフェと、優雅にティーカップを傾けるルナ・サクヤの姿があった。その傍らには、銀色の髪を風にそよがせる、神々しい少女アリアが、静かにたたずんでいる。
「エルダ様…これが、天の川銀河の女神の…『神域』…」
ゼピュロスが、ゴクリと喉を鳴らした。この空間にいるだけで、自分たちの神力が、まるで洗い清められ、そして活性化していくような感覚さえ覚える。彼我の力の差は、もはや比べるまでもない。
「さあ、おかけなさい。長旅でお疲れでしょう。とびきり美味しいお茶と、お茶請けを用意しましたから」
ルナは、まるで旧知の友人を招くかのように、自然な仕草で彼らを席へと促した。
エルダたちが恐る恐る席に着くと、テーブルの上には、彼らの故郷の星々の、最も美味とされる銘菓が、寸分の狂いもなく再現されて並んでいた。
「さて、と。まずは、皆さんに、私の『庭』が、今どのような状況にあるのか、少しだけお見せしましょうか。ちょうど、面白い『余興』もやっているところですしね」
ルナが、悪戯っぽく微笑みながら指を鳴らすと、テーブルの上の空間に、巨大なホログラムスクリーンが出現した。
そこに映し出された光景に、四柱の神々は、今度こそ本当に絶句した。
スクリーンに映っていたのは、監獄惑星での「神格再教育プログラム」のライブ映像だった。
その中心で、ひときわ目を引くのは、かつての宇宙大総帥ドン・ヴォルガの、あまりにも無様な姿だった。
彼は、ルナが創り出した「食虫宇宙植物」の、無数の触手によって、まるで子供の手毬のように、ぽーん、ぽーんと、面白おかしく宙に打ち上げられている。
「ぶべらっ!?」
宇宙植物の触手が、しなやかに、しかし容赦なくドン・ヴォルガの尻を打ち上げる。彼の巨躯が、情けない声を上げながら、綺麗な放物線を描いて宙を舞う。
「ぽひーんっ!」
落下してきたところを、別の触手が待ち構えていたかのように、完璧なタイミングでレシーブ。ドン・ヴォルガは、再び空高く打ち上げられ、空中でくるくると回転する。
「ぎ、ぎもぢわるい…と、とめて…やめてぇぇぇ…目が、目が回るぅぅ…うぐっぷ!」
彼の悲痛な叫びは、誰にも届かず、ただ宇宙植物たちの、どこか楽しげな(ように見える)触手の動きによって、何度も、何度も、繰り返される。その光景は、あまりにもシュールで、滑稽で、そして何よりも、神としての尊厳を微塵も感じさせないものだった。
「……これが…かつて我らが恐れた、ドン・ヴォルガ様の…なれの果て…」
ガイアが、信じられないといった様子で呟いた。
物理的に滅ぼされるよりも、遥かに恐ろしい「罰」。
それは、神としての「尊厳」を、徹底的に、そしてコミカルなまでに破壊し尽くす、あまりにも悪趣味な、しかし効果絶大な「お仕置き」だった。
「ふふん。どうかしら? 私の『再教育プログラム』は。彼も、こうして毎日良い汗を流していれば、いずれは、その凝り固まった脳みそも、少しは柔らかくなるでしょう」
ルナは、楽しげに言いながら、コーヒーを一口すする。
「言っておくけれど、私は、あなたたちに、彼のようになってほしいとは思っていないわ。むしろ、あなたたちには、あなたたち自身の力で、ギャラクシー・ギルドニア銀河を、もっと効率的で、もっと美しい場所に変えていってほしいと思っているの。そのための『支援』なら、私は惜しまないつもりよ」
その言葉は、穏やかでありながら、その裏には、無言の圧力が込められていた。
――私に逆らえば、あなたたちも、ああなるのよ?――
エルダたちは、そのメッセージを、痛いほどに理解した。
「……ルナ・サクヤ様。貴女様のお力、そしてお考え、しかと理解いたしました」
エルダは、覚悟を決めたように、椅子から立ち上がり、ルナの前に深く頭を下げようとした。
しかし、その体がぐらりと傾いだのを、隣に座っていたゼピュロスが、素早く、そして優しくその腕で支えた。
「エルダ様、お気を確かに。長旅と、そして…この衝撃的な光景で、お疲れなのでしょう」
ゼピュロスの声は、心配と、そしてエルダへの深い想いに満ちていた。彼の大きな手が、エルダの肩をそっと支える。その二人の間に流れる、どこか親密で、生暖かい空気に、向かいに座っていたガイアとソラリスは、思わず視線を交わし、そして少しだけ呆れたようにため息をついた。
「我ら、慈愛の星神エルダとその同志たちは、貴女様の示す『新たな秩序』に、心からの敬意を表し、その監督下において、ギャラクシー・ギルドニア銀河の再建を誓います」
ゼピュロスに支えられたまま、エルダは、それでも毅然とした声で言った。
その言葉に、ゼピュロス、ガイア、ソラリスも、一斉に立ち上がり、エルダに倣って頭を垂れた。
ルナ・サクヤは、その様子を、満足げに頷きながら見ていた。全ては彼女の計算通り。これでギャラクシー・ギルドニア銀河も、ようやく効率的な管理体制へと移行できるだろう。
――と、彼女の完璧な論理回路が、結論を導き出そうとした、その瞬間。
ゼピュロスの、エルダを支えるその大きな手が、ほんの少しだけ、彼女の肩を慈しむように撫でたのを、ルナの「神の視界」は捉えてしまった。
そして、エルダが、そのゼピュロスの手に、一瞬だけ、自分の手をそっと重ねたように見えた。
二人の間に流れる、言葉にはならない、しかし明らかに親密な空気。ゼピュロスの瞳に宿る、エルダへの熱い想い。エルダの頬にさした、微かな紅。
「…………ッ!?」
月詠朔――ルナ・サクヤの思考が、完全にフリーズした。
ドクンッ!と、神域の核が、ありえないほどの高鳴りを打つ。
さくちゃんとアサヒくんの、あのプラトニックで淡いドキドキとは、明らかに次元の違う、もっと生々しく、成熟した大人の神々の「それ」。
その濃厚な感情の波動が、ルナの純粋な精神に、ダイレクトに流れ込んできたのだ。
(う、うわーっ! うわーっ! な、ななな、何なのよ、この空気はーっ!? ま、待って、私の論理回路が…! 観測データの許容量を、感情パラメータが、オーバーフローしていく…!)
彼女の顔が、カッと熱くなる。コーヒーカップを持つ手が、カタカタと震え始め、神域の草原に、なぜか突風が吹き荒れ始めた。
傍らに座っていたアリアが、その異変に気づき、心配そうにルナの顔を覗き込む。
『お姉さま…? どうかされましたか…?』
「な、なんでもないわよっ! ちょ、ちょっと、神域の気圧調整に、微細なバグが発生しただけだから! す、すぐに治るわ! だから、そんな風に見ないで!」
ルナは、慌ててエルダたちから視線を逸らし、あらぬ方向を見つめながら、必死に平静を装った。
しかし、その心の中は、まさに嵐。
(なんなのよ、もうっ! なんで、神様って、普通に恋愛とかするのよ!? もっとこう、孤高で、超越的な存在じゃないの!? …いや、でも、考えてみれば、地球の神話の神様たちも、結構そういう話ばっかりだったような…って、今はそんなことどうでもいいじゃない!)
(でも、あのゼピュロスって神、エルダ様のこと、絶対好きよね…!? あの眼差し、あの手の動き…さくが見てる恋愛ドラマで、見たことあるやつだわ! うわー! うわー! 見てるこっちが恥ずかしいじゃないのーっ!)
彼女は、しばらくの間、一人で悶絶し、神域の天候をめちゃくちゃにしながら、ようやく、ほんの少しだけ冷静さを取り戻した。
そして、その思考は、ある一つの「結論」へと辿り着く。
(……でも、放っておくわけにもいかないわよね。あの二人、どう見ても両片思いじゃない。じれったいわ! じれったすぎる! こうなったら…私が、ちょっとだけ『後押し』してあげないと…!)
彼女の脳裏に、かつて地球で編成した「キューピッド・ストライカーズ」の、健気な(そしてあまり報われない)姿が浮かんだ。
(…よし、決めたわ。キューピッド・ストライカーズ、異銀河派遣、正式決定! エルダとゼピュロスの恋愛成就は、この銀河の安定にとっても、極めて重要なファクターよ! も、もちろん、全ては二つの銀河の平和のためなんだからね! 私が、個人的に二人のイチャイチャを見てみたいとか、そういうことじゃ、断じてないんだからねっ!)
ひとりぼっちで恋愛未経験な神様は、他人の恋路を「支援」するという、新たな「任務」に、真剣に、そしてどこか楽しげに、燃え始めていた。
その気まぐれが、二つの銀河に、どんな甘酸っぱい(そして多分、コミカルな)騒動を巻き起こすのか。
それは、まだ、神様自身にも予測できない、新しい物語の始まりだった。