第七話:白金の暗躍者、銀河の影に
監獄惑星の荒涼たる地表に、システム(シロ)の無機質な声が響き渡っていた。奉行セットは消え去り、その場には、ルナ・サクヤが残したコーヒーの香りと、抹茶ケーキの甘い残り香だけが漂っている。
『――これより、ルナ・サクヤの指示に基づき、貴殿ら『力ある者たちの連合』に対する『神格再教育プロトコル』を開始します。質問は受け付けません。異論は、今後のプロセスにおいて『反抗的な思考』として記録され、適切な罰則が適用されます。』
シロの言葉に、神々たちの間に、絶望的な静寂が広がる。ドン・ヴォルガは、未だ地面に顔を埋めたままだ。ギデオンは、冷や汗を流しながら、この得体の知れないシステムを警戒していた。
シロは、ルナ・サクヤからの命令を、感情を挟まず、しかし極めて効率的に実行し始めた。
まずは、ドン・ヴォルガの「再教育」。彼は、強制的に「ルナ・サクヤ様、偉大なる御業の詩」の朗読室へと送還された。その朗読室は、ドン・ヴォルガの意識に直接語りかける「ルナ・エコー」によって構成されており、彼が不貞腐れたり、不真面目に朗読したりすれば、容赦なく「やり直し」が命じられた。
「くそっ! このドン・ヴォルガが、なぜこのような小娘の詩を読まねばならんのだ!?」
ドン・ヴォルガの咆哮が、朗読室に響き渡る。だが、その声は、虚しく空間に吸い込まれていくばかりだった。
一方で、ディープ・エコーは、「ルナ・サクヤ様、素晴らしい読本(コードネーム:『月の光は愛の証、智慧の源泉』)」朗読プロジェクトの総責任者として、ドン・ヴォルガの朗読を厳しく監督する立場に立たされた。
「総帥! そこは『神は遍在する』ではなく『神は遍在するのだ!』と、もっと感情を込めて朗読願います! やり直し!」
ディープ・エコーの情けない声が、朗読室に響く。彼らは、ルナ・サクヤの気まぐれな裁きによって、究極の「罰」を受けていた。
その頃、ギャラクシー・ギルドニアの星系深部では、エージェントSの暗躍が、着々と進行していた。ルナ・サクヤの指示により、天の川銀河と同様の、しかしより進化した情報・防衛ネットワークが、ギャラクシー・ギルドニアの各所に音もなく浸透していたのだ。有り余るルナティック・フォースを糧に、システムは、まるで神経が発達していくかのように、その感覚器を異銀河の隅々まで張り巡らせていく。
特に、システムが注力したのは、ドン・ヴォルガの支配下で虐げられていた「神」たちへのアプローチだった。彼らは、ドン・ヴォルガの強権的な統治と、力による支配に苦しんでおり、内心では反発の機会を伺っていた。エージェントSは、彼らの通信に「偶然」介入し、彼らの抱える不満や、自由への渇望を増幅させるような情報を微細に流し込む。
エージェントSは、そんな微かな「反発の種」を丹念に育て、離間の計を巧妙に進めていく。
その神たちの中に、一際異彩を放つ存在がいた。星々の囁きを聞き、万物の感情を読み解く「慈愛の星神」エルダ。彼女は、ドン・ヴォルガの支配下で、絶望に苦しむ星々を密かに癒やし続けていた。エルダは、システムからの「微細な情報」を、ルナ・サクヤの「優しさ」と「真意」として読み解いた。
『これは……! あの月の女神の御業か! 彼女は、力で全てを奪うのではなく、新たな秩序と調和を望んでおられるか……!』
エルダは、エージェントSが流す、ルナ・サクヤの「完璧主義」の裏に隠された「地球への深い愛情」や、「孤児支援基金」といった情報を感知し、その気質を理解した。彼女は、他の神たちに、ドン・ヴォルガの暴政の限界と、月の女神がもたらす「新たな希望」について語り始めた。
その結果,ドン・ヴォルガの武力侵攻をきっかけに、彼らが内部から反旗を翻す舞台は着々と整えられていた。
【月詠朔:神域(旧六畳間)】
ルナ・サクヤは、神域のメインコンソールに映し出される、監獄惑星での「神格再教育プロトコル」の進行状況を、満足げに眺めていた。ドン・ヴォルガの顔の眉間の皺の深さ、ディープ・エコーの悲鳴のような声……。
ルナの膝には、アリアが静かに座り、澄んだ瞳でホログラムを見つめている。ルナが何かを操作するたびに、アリアの瞳の奥に、宇宙の真理に関する知識の光が微かに瞬いた。
『……お姉さま……。皆……苦しんでいます……。』
アリアが、物憂げな声で呟いた。
「ふふん。当然でしょう。私の『お仕置き』は、そう簡単には終わらないわ。それに、苦痛を知らなければ、成長もないでしょう?」
ルナは、そう言って、アリアの頭を優しく撫でた。
その時、神域のコンソールに、エージェントSからの報告が届いた。
『ルナ・サクヤ。対象:GG銀河の『善神』グループ、貴殿へのコンタクトを開始。彼らは、ドン・ヴォルガの支配からの解放、及び、貴殿が提唱する秩序への協力を求めています。特に、『慈愛の星神』エルダが、貴殿の『真意』を理解していると推測されます。』
ルナの口元に、微かな笑みが浮かんだ。
(やるじゃない、シロ。離間の計、成功ね)
『彼らのコンタクトを受け入れますか?』
シロの問いに、ルナは少しだけ考えた。
「そうね……。私を理解している神がいる、と? 面白い。では、その『慈愛の星神』エルダと、何名か代表者をこの神域に招きなさい。」
ルナは、そう言うと、アリアの頭をそっと撫でた。
その指示を聞いたアリアが、急に、ルナの腕に、そっと、しかし強くしがみついた。彼女は何も言わず、ただ、澄んだ瞳でルナを見つめている。ルナの腕に顔をうずめ、まるで迷子の幼子が母親にしがみつくように、彼女の存在を独占しようとしている。
「ちょ、ちょっとアリア! どうしたの!? そんな……恥ずかしいでしょう! そういった行動は、その……」
ルナ・サクヤは、突然の行動に、顔を赤らめた。アリアがこんな風に、他者に対して明確な警戒心を示すのは初めてだった。
アリアは、ルナの腕を離さず、首を微かに振った。
『……お姉さま……。私……。』
アリアの声は、静かで、しかし幼子のように潤んだ響きを帯びていた。彼女の瞳は、ホログラムのエルダの姿を、どこか悲しげに、そして独占欲を滲ませて見つめている。
ルナは、アリアの行動の真意を悟り、小さく息をついた。
(この子……私を、独占したいのね。まったく、困った子ね……)
ルナは、アリアの頭をもう一度優しく撫で、その小さな体を抱きしめた。
「大丈夫よ、アリア。誰も、私を奪ったりしないから。それに、この神域は、貴女と私と、シロだけの場所よ。他の神々を招くのは、あくまで『お仕事』だから。分かった?」
アリアは、ルナの言葉に、ゆっくりと頷いた。警戒心はまだ残っているようだが、ルナの言葉を信じたようだった。
こうして、ドン・ヴォルガたちの「神格再教育」が進行する裏側で、天の川銀河には、新たな秩序の種が蒔かれようとしていた。